第25話 潜入

 エルサレムの城郭内にアル・タヌイーンの案内によって入り込んだ舞姫は、教えられたギーの邸宅へと夜中の人通りが絶えた時間に忍び込んだ。


 アル・タヌイーンに教えられた通りに邸内を進むと、かすかな怒鳴り声が舞姫の耳に伝わってきた。


 部屋のドア越しからは、会話の内容がはっきりと聞こえてきた。


「おまえはいつまであのバリアンとかいう小僧と乳繰り合ってるつもりだ!? 」


 顔を殴られ、床に崩れ落ちたシビラは無言で自分の夫、ギーを睨みつけた。


「お前の兄の先は長くない。そうなれば次の国王はお前だ。なんの後ろ盾もないお前には王権を維持することは無理だろう。だが指名権がある以上、そのままこのおれを後継指名すればこの国はおれのものにできる」


「そんなことはしません!させません! 私の息子に王位を継承します。あなたなんかには死んでも王位を渡すもんですか!」


「威勢のいいのも大概にしておくんだな、ふふん・・・・・・」


 ギーは自分の妻に詰め寄ると言い放った。


「お前がお前の息子に王位継承したところでなんの意味がある? 騎士団の後ろ盾のないお前とお前の息子など名前だけの存在にすぎん。おれが後ろ盾になってやろうといってるんだ。どうだ?」


「・・・・・・」


「そうでなければお前の息子の命などあっという間に吹き飛ぶぞ!・・・・・・バリアンの小僧にでも守ってもらうか? ん?」


「そ、それでも私はあなたなんかに・・・・・・」


「いいことを教えてやろう。お前の息子な、王位を継承して誰かに殺されるまでもなく直ぐにおっ死んでしまうのさ、おれが敢えて手を下す必要もない・・・・・・」


 シビラの表情が自分の夫の言うことを理解できずに混乱していた。


「お前の兄、ボードワンと同じ病気なのさ、お前の息子は」


「そ、そんな! そんなはずは・・・・・・」


 シビラのそれまで毅然としていた表情は曇り、それは思い当たるふしがあることを示していた。

「お前もなんとなく気がついていたんだろう? 気が付かないふりをしていただけだ。すぐに死んでしまう息子に王位継承するよりおれに寄越せ!」


 絶望の底へと落ち込みそうになるシビラの視界の隅に、ギーの背後に立つ一人の少女が突然飛び込んできた。 


「か弱い女を殴るような野郎は断じて許せないな」


 いつのまにか背後に現れた少女にぎょっとなったギーは腰の剣に手をかけながら振り向いた。


「お、お前は何やつ! どこから忍び込んだ」


「そこのドアから。そんなに怒鳴ってちゃ通路にも丸聞こえさ」


「おのれ、小娘! タダではおかんぞ」


「自己紹介しておくよ。おいらの名前はマイ。イスラム帝国のサラディーンのおっちゃんの客将で作戦参謀さ。みんなは”舞姫”って呼ぶけどね」


 ギーとシビラが一瞬驚愕の表情を見せる。


「なに!?」


「この国の次期後継者になりそうな奴の様子をみてこいってさ、おっちゃんの指令」


 あの帝国の絶対君主、サラディーンをおっちゃん呼ばわりする目の前の少女の言葉をどこまで信用していいものか戸惑う二人には構うこともなく、舞姫は話を続けた。


「個人的な趣味もあってお前の剣の腕も調べにきたんだ。それにボードワン四世の妹姫もどんな人かなと思って・・・・・・」


「誰であろうと、忍び込んだ怪しい奴! 成敗してくれる!」


 剣を抜きざま立ち上がりかけたギーの剣の鞘から剣が半分ほど見えた瞬間にギーの懐に舞姫はすでに飛び込んでいた。


 ギーの動きがそこで硬直して止まった。


「か弱そうだからといっていつもいつも女が黙ってると思うなよ。平気で女を張り飛ばすような奴はおいらが相手だ」


 己の急所を握りつぶされそうな勢いで掴まれたギーの顔が真っ赤に悶絶しそうになる。

「がっ・・・・・・お、おのれ・・・・・・卑怯な・・・・・・」


「金○掴まれて卑怯もくそもないだろ? 実戦ならもう死んでるよ? 悔しかったら戦場で汚名を晴らすんだな、いつでも相手してやる・・・・・・ お、お前、威勢の良い割にはあそこは小さいな。これじゃあ他の男に女房を寝とられてもしょうがないね」


 ニヤリと笑う少女の言葉に、さらにギーの顔色に羞恥の色が真っ赤を通り越してどす黒くなる。

 舞姫がギーの首を軽くトンと叩くとその巨体はあっけなく崩れ落ちた。


「ごめんな、お姫さま。騒がせるつもりはないんだ。ちょっと様子見にきただけなんだけど、こいつあんまり評判良くないんで、少し懲らしめておこうかなと思ってさ」


「・・・・・・いえ・・・・・・ 助かりました。ホントはこの人と一緒にいるのも嫌なんです」


「よっころしょっと。重てえなあ・・・・・・」


「一体何をなさるんですか?・・・・・・」


「ちょっと懲らしめてやるっていったろ?」


 舞姫は手際よくギーを素っ裸にすると、持参したロープで縛り上げ、窓際からその巨体を吊り下げた。

「これでいいや。朝までこのままだけど死にやしない。風邪くらいは引くかもだけど・・・・・・ 死にたいくらい恥ずかしいだろうけどね。汚いケツだなあ、こいつ」


 シビラの顔が驚きと可笑しさでコロコロと表情を変える。


「これでこいつは、おいらを戦場で見つけたら死にものぐるいで追っかけてきそうだな」


「あははっ これはおかしいです。くくくっ・・・・・・ 久しぶりに笑わせていただきました。八つ裂きにしても足りないと追いかけ回されるのは間違いありません」


「やっと表情が明るくなったよ」


「・・・・・・今度お会い出来るのは戦場で、ですの?」


「そうだね、そうかもしれないし、もっと別の機会にも会えるかもね。君の愛人のバリアンにもよろしくね、戦場で会えるのを楽しみしているって伝えて・・・・・・」


「はい、私も楽しみにしております、戦場で・・・・・・」


「敵同士、仲良くやろようよ。じゃあね、また」


 どこまでが本気でどこまでが遊びなのか・・・・・・マイと名乗る娘が姿を消したドアをしばらく見つめたままでいたシビラは、突然思いついたようにバリアンの元へと出かけている”爺”を大急ぎで呼び戻すよう、家人に伝えた。


 もちろん翌日早朝、邸内は大騒ぎとなったことはいうまでもない。


 日頃のギーの横暴さに嫌気のさしていた邸内の住人やエルサレム城内の人々からは、やんやの喝采があがり、うわさ話は尾ひれをつけて広まるまで一日とはかからなかった。


 数週間、ギーの『殺してやる!殺してやる』という呪詛の言葉が邸内から消えることはなかったという。


「潜入してきたその者は、確かに”マイ”と名乗ったのですね?姫さま」


 シビラの急遽帰還命令を受け、戻った宮下がシビラに確認した。


「”マイヒメ”とも呼ばれていると・・・・・・」


「・・・・・・姫さま・・・・・・」


「え?」


「いえ、もしそれが本当ならば、サラディーンとの今後の戦いはこの王国にとってはかなり厳しいものになります」


「見た目は普通の、異国の少女でしたが・・・・・・」


「・・・・・・あれは私の弟子なのです。私の持つ戦闘力と戦略的戦術的知識を全て受け継いでいます」


「夫、というのもおぞましい存在ですが、ギーですらまるで赤子をひねるようにあしらわれてしまいました。あれも偶然ではなかったと?・・・・・・」


 シビラがその時の痛快な出来事を思い出し笑いしながら問う。


「バリアン様には私から詳しく説明しておきましょう。今すぐどうこうはないはずですが、戦略の見直しが必要です」


「分かりました。兄にも私からそれとなく伝えておきます」 

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