第24話 ハッティンの戦い <その二> 大地の祝福

「おっちゃん、もう一つ確認しておきたいんだけどエルサレム王国にはギーとかいう男みたいなのしかいないのか? 少しはまともそうなのもいそうだけど・・・・・・」


「ボードワン四世の側近、トリポリ領領主のティベリアスというのはかなりの男だ。戦力も十分に有しているし、確かな戦略眼を持っている。何よりも今はこの帝国と事を構えるのはエルサレム王国の崩壊につながることをよく知っているのだ」


「そんな男ばかりならおっちゃんもかなり苦労しそうだね」


「ところがティベリアスはギーとは犬猿の仲だ。ギーの戴冠は阻止しようとするだろうが、一旦戴冠してしまえば離反するのは見えている」


「他には?」


「最近エルサレムに近いイベリア領の領主になったバリアンという男は戦力としてはまだ未知数だが優秀な男らしい」


「情報の源は?」


「領主が代わってから領内の生産性、領民の意識、戦備の充実度が跳ね上がったそうだ」


「なるほど・・・・・・ 調べておいたほうがよさそうだね」


「シビラという国王の妹姫の、今や愛人だそうだが・・・・・・」


「う~ん・・・・・・ ちょっと複雑だねえ。ボードワンとの相性はどうなの?」


「ボードワンはシビラと再婚させて王国をバリアンに継がせたいらしいが、バリアン自身が首を縦には振らんらしい。そういうやり方は騎士としての矜持が許さないという考えの持ち主だと聞いた」


「へ~・・・・・・ そんなやつもこの世界にいるのかあ。おっちゃんとこの情報網もたいしたもんだね」


「情報は戦力だ、と私は考えている」


「確かに・・・・・・」


 かつて大国から侵略を受けた時の奇襲戦の勝利が、情報に大きく左右されたことを舞姫は思い出していた。


 舞姫は体験として、情報如何によっては劣勢の軍が起死回生の逆転劇を演じることが可能なことを知ってはいたが、そのことは二人には黙っていた。


 やがて舞姫にとって、あまり馴染のない装備がどっさりと目の前に運びこまれた。


「これが騎士団の戦士の標準的な装備?」


 テーブルの上に重量感たっぷりの装備を一つ一つ確かめながら舞姫は問うた。


「鎧兜といわれる金属性のものは騎士、特に馬に乗った騎士が使う。こっちの鎖帷子というのは軽装の戦士用ともいえるが・・・・・・」


「おいらの国にもこれと同じような装備で戦う種類の戦士はいたよ」


「これを着ていると斬られても致命傷にはなりにくい。我が国の戦士は優秀だがこれに比べれば装備は貧弱といえような・・・・・・ ほとんど丸裸といってもいいくらいだ。正直なところほとほと手を焼いている」


「おいらの剣で斬れないことはないけど数をこなせないなあ、これは・・・・・・ 打撃系の武器か、他の手段考えないと・・・・・・でもあまり気になるほどのものでもないけど」


 それまで黙してサラディーンと舞姫の話を聞いていたアル・タヌイーンが身を乗り出してきた。

「マイのその戦闘技術をぜひ教えてほしい。私はそれなりに自分の力に自信を持っていたが、あれほどあっさり負かされたことは今までに一度もない」


「おおっ・・・・・・ 私もぜひ見てみたい! マイの技を」


「いいよ。・・・・・・だれか力自慢か、この国で一、二番を争う戦士を連れてきたら遊んで上あげる」


 アル・タヌイーンもサラディーンも、はたまた部屋の隅で控える奴隷達の表情も期待が一気に高まる。


 いかにも、という出で立ちの一人の戦士が登場した。


「私めにこの小娘と試合をしてみろと?」


 あきらかに侮蔑の表情を浮かべ、部隊長であるアル・タヌイーンに 


(ご冗談をおっしゃいますな)


 とその眼は訴えていた。


 連れてこられた戦士は、身の丈はマイの二倍はあろうかという大男だった。


「武器はなんでもいいよ。その着こみをつけて、騎士の使う剣で相手してよ」


「娘よ、悪いことは言わん。私の一撃でお前など吹っ飛ぶ。小娘をなぶり殺しにしたとあっては私の名前にも傷がつく」


「そういうことは、やってみてからほざくんだね。おいらの国にも君みたいな自信の塊みたいなのがたくさんいたけど、皆負けて家来になるか、首をとられるかどっちかだったよ」


 大男はやれやれといった表情で、観戦するアル・タヌイーンとサラディーンに


(何があっても責任はとりませんぞ)


 と、目だけで再度確認した。

   

 それでは と構えようとした大男の眼前から一瞬でマイの姿は消えていた。


(ぬ!・・・・・・?どこだ? どこに消えた?)


 大男の頭は、常識はずれのマイの動きに追いついていなかった。


 舞姫はすでに大男の後ろから両足を首にまきつけ、締めにはいっていた。頸動脈の血流を絶たれ気を失いかけた直前にその戒めは解かれた。


 舞姫の姿が再び大男の前に現れた。


「君、もう死んでるよ、実戦なら。もう首刈ってるし」


「うっ・・・・・・今のは油断しただけだ・・・・・・ もう一度お願いする」


「いいよ、何度やっても同じだけどね・・・・・・」


 舞姫の言葉が終わらぬうちに、今度は大男の打撃が一閃する。


 大男の剣の巻き起こす風が、その場の全てをなぎ倒すかと思われたが、剣を振り下ろしきる前に大男の身体は一回転して床に叩きつけられていた。


「これで二回目だね、死んだの」


 マイの覗きこむ顔を下から仰ぎ見た男は、なぜこの状況が生まれたのか全く理解できなかった。その喉元には小娘と馬鹿にした相手の、鋭利な切っ先が触れていた。


「ち、力なら負けん! 」


 真っ赤になりながら、大男は吠えた。


「ん、じゃあこうしよう。今度はおいらが振り下ろす剣を君が無事に受け止めることができたらその力自慢を認めてあげるよ、どう?」


「望むところだ! そんな、か弱い腕から繰り出される剣がこの私に受け止められぬわけがない」


 再び立ち上がり構え直す二人・・・・・・ 


 舞姫の小太刀が大男の前にゆっくりと振り下ろされると、男は己の剣を水平に構えてその剣を悠々と片手で受け止めた。


 いや、受け止めたはずだったのだ。


「何ほどのこともないではないか! 小娘の戯言など・・・・・・ うっ、あっあっ!」


 受け止めた瞬間は平然としていた男だったが、やがて支えきれずに両手で剣を受け止め直すはめに陥った。みるみるうちに大男の苦悶の表情に脂汗が浮かび、ポタポタと床にしたたり落ち始めた。


「お、おのれ!・・・・・・ こんな小娘の剣が、なんで支えられないことがあろうか」


 男の巨体は膝から崩れはじめ、仰向けのままマイの剣がまたもやその喉元数ミリへと迫った。


「ま、参った・・・・・・」


「三回目ね」


 男はゼエゼエと息が上がっていたが、人ではないものを見るように舞姫の顔を見ていた。


「お前は魔術師か、それとも人間の皮を被った化け物か・・・・・・」


「魔術師でもなければ化物でもないよ。師匠に大地の力の使い方を教えてもらっただけさ」


「大地の神の祝福を受けているということなのか、マイ・・・・・・」


 アル・タヌイーンがサラディーンの言葉を聞きながら絶句していた。


 この後、”大地の神の祝福を受けた娘”として帝国の全軍の兵士の崇拝にも似た尊敬を舞姫はその身に受けていくことになる。


「私にもわかるように説明してくれないか、娘よ、いや戦士と呼ばせてくれ」


 力こそ絶対、と信じて疑う事無く戦歴を重ねてきた男にとってそれは、神の啓示とすら思えたのだ。


「普通大地は己の下にあるものだけど、これが上下逆にあると仮定してその重さの一部でもおいらの剣なり、腕なりに集中できたとしたらそれをどんな力自慢でも受け止めるのは難しいと思うけどな・・・・・・それだけのことなんだけどね」


「なるほど・・・・・・ それでは受け止められようはずはない・・・・・・だが言うはやすき行うは難きだな、それは」


「マイには師匠がいるといったが?」


 サラディーンが興味を示して問うた。


「ああ、おいらなんかじゃあ、師匠の足元にも及ばないよ。師匠は・・・・・・爺は私に武術をひと通り教えてくれた後、突然姿を消してしまったんだ」


「そうか・・・・・・ 一緒にこの国に来てくれていれば、さぞ頼もしい限りだったのだがな」


(爺、今頃どこにいるんだ?・・・・・・)


 その後、この時代の武器、防具、または素手での格闘などを試すためその道の優秀な兵士を相手に模擬戦闘を行ったが、舞姫の前に一分と立っていられた男は一人も存在しなかった。


 舞姫が戦闘技術を教える教官として、戦略的な参考意見を述べる作戦参謀としての地位を確立するのにさして時間はかからなかった。


 この時すでに舞姫の頭の中は、エルサレム王国の騎士団を将来どこへ誘い込んで瞬滅を図るか、その作戦概要が検討段階に入っていた。

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