第22話 第一節 二人の姫と二人の爺 <その三> シビラ
五人ほどの強盗集団はイベリア領に入った後、真夜中が来るまでの時間をだれも居ない廃墟の中に潜んでいた。
「お頭、今日の獲物はちょっとは期待できそうですぜ」
「ああ、そうだな。イベリアの領主は替わったばかりの若造らしいが、いろいろと新しい事を始めてここ最近羽振りがいいそうだからな・・・・・・ 実入りも多かろうよ」
「ひひひっ 女も・・・・・・」
「女はダメだぞ、今日は! いただくもの頂いてさっさと逃げるぞ」
「そ、そんな殺生な・・・・・・」
「ばかやろう。最近はどこの地方領主もサラディーンとの戦が近いってんで警戒して、警備の人間増やしてっから捕まったら最後だ」
「へ、へい・・・・・・ わかりやした」
「じゃあ そろっと支度していくぞ」
暗闇の中からゴソゴソと起き上がる男たちが強盗に向かう準備を始めたその頃、イベリアのバリアンはシビラとひとつのベッド共にしていた。
(ボードワンが死んだら 一旦はシビラが女王になるだろうが、シビラの夫のギーは黙っていないだろう・・・・・・ 奴がこの国の王になったら一気にサラディーンと戦争だ。なんとか戦争を避ける方法はないのか・・・・・・)
バリアンの今日も寝付きの悪い原因はそこにあった。堂々巡りの自問自答。
(ボードワンはおれに王国を継げと言われた・・・・・・ シビラと一緒になってこの国を守れと・・・・・・)
現国王は不治の病のため、己の存命中に妹のシビラを現在の夫ギーと離縁させバリアンと再婚させることを暗に勧めていた。
(おれにはそんなことはできん・・・・・・)
バリアンがようやく眠りにつこうとした矢先、邸内から悲鳴が上がった。
ベッドから飛び起きざまに外に飛び出た中庭には、すでに見知った顔の数人と見知らぬ顔の男たちが相対して刃物を片手に睨み合っていた。
「ばかやろう、だから女には手をだすなとあれほど言ったんだ。さっさとずらかるぞ」
「すいやせん・・・・・・」
状況はバリアンにもすぐに分かった。押し込み強盗の男たちのひとりが、女を手篭めにしようとして、悲鳴を聞きつけたバリアンの家人が駆けつけたということらしい。
(おや? あれは確か、宮下といったあの異人か・・・・・・武器は持たずに駆けつけたのか)
強盗の五人はそれぞれが偃月刀をすでに抜いていた。
宮下は、月夜に怪しげに光る五人の刃物を目の前にしても平然と立っていた。
(なんという美しい立ち姿だ・・・・・・とても老人とは思えない・・・・・・)
強盗の集団は周りを警戒しつつ逃げ出すため出口に向かおうとしたが すでに宮下は出口への道を塞ぐ位置にいたため、五人の男は邪魔な男の排除の姿勢に出た。
(危ない! いくらなんでも素手で剣をもった五人を相手は無理だ、逃げろ)
バリアンが叫び声を上げる間もなく、一人目の剣が宮下に振り下ろされ、哀れ老人の惨殺死体が出来上がるかと思われたが、振り下ろされた剣は遠くへ弾き飛ばされ、その野盗の大きな図体は石畳の上に強烈に叩きつけられていた。
宮下が披露した『柔術』、現代では柔道とよばれている畳の上で行うスポーツでしかないが、野外で行われた場合、投げられることはすなわち死に直結する危険性を人は知っておくべきだ。特に石畳で遠慮無く投げられたり、頭部から落とされたら無事で済むはずがない。
一人目の野盗を皮切りに四人目までをあっさりと片付け、最後に野盗の頭とおもわれる男のみが残った。
(何が起きたんだ?)
その場にいた全ての人間が茫然と佇んでいた。言葉を失い夢の出来事かとただただ観ていることしかできなかったのである。
日本の戦国時代といい、この国この時代でも 人は刃物によって人を傷つけ、また、身を守ることができると信じていた。素手で武器に対抗するなど常識以前の話なのだ。
それを魔術師の如く平然とやってのけた目の前の老人の技量を、とうてい素直に認めることなどできようはずもないが、残念なことにこの世界、少なくともこの場で宮下の素性と戦(いくさ)人としての戦闘力の高さを知るものは一人もいなかった。
しかし最後に残った男はこの時代、この世界では事戦闘に関しては只者ではなかった。アイユーブ朝イスラム帝国の、幻の暗殺集団と噂の高かった部隊の元教官だったのだ。
右手の偃月刀をその場に捨てると両手の袖から太い針のような武器を取り出し己の顔の前で両手を交差して構えた。
交差した両腕の隙間から鋭い眼光を宮下に向けていた。
宮下からは細い武器が男の両腕をカバーするかのように見えているはずだ。正規の軍人の武器の使い方ではない、暗殺屋のやり方だ。
(それなら私も自分の武器でお応えしよう)
宮下は日本刀の小刀を自分用に改良した武器を構えた。宮下も二刀流、強盗の暗殺部隊元教官も二刀といえばいえなくもなかった。
バリアンにとっては両方共馴染みのない武器であり、欧州では直刀の剣が当たり前であったこの時代では 目の前の二人の戦闘は一種異様な雰囲気であった。
足音もしない、叫び声も、武器のぶつかり合う音すらしない戦闘・・・・・・
おそらくは一瞬の間の一撃で決まるとおもわれる闘いは、観ているだけの者ですら汗が滲んできそうな熱い空気をまとっていた。
「バリアン?!・・・・・・」
騒ぎを聞きつけて後から中庭に姿を見せたシビラの声に、その場にいた戦闘中の二人以外の全員が振り向いた瞬間に、戦闘はあっけなくけりがついてしまった。
”観客”が再び戦闘当事者を振り向いた時には、頸動脈と心臓に致命傷を受けて倒れた暗殺集団の元教官はすでに絶命していた。
この事件をきっかけに、イベリア領主バリアンは、己の代わりにシビラとシビラの兄、ボードワン四世の護衛を宮下に依頼することになった。エルサレム現国王もこの夜の顛末を聞き、素直にバリアンの薦めを受け入れることにしたのだった。
主にシビラの護衛を数週間務める頃には、王宮内部で常に宮下を”爺”と呼び、そのシビラを”姫さま”と呼ぶ宮下の二人連れの光景はいつしか日常茶飯事となっていた。
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