第21話 第一節 二人の姫と二人の爺 <その二> サラディーン

 太陽の強烈な日差しのなかで、舞姫は意識を取り戻した。


 無性にのどの渇きを覚えた舞姫は、砂の上に横たわる己の顔のすぐ側に、水の匂いを感じた。なにも考えることもなく泉の水を口にした舞姫は、泉の水面に映る自分の容貌が、五十代の女の姿ではなく、いつの間にか十代それもローティーンに属する幼女に近い顔かたちであることに驚いた。


「これはいい。この年齢からやり直しをさせてくれるのか・・・・・・ 神に感謝せねばな・・・・・・」


 いままで生まれてこの方、神を心底信仰したことのない舞姫にも、このときばかりは自身に降りかかった『神のいたずら』を苦笑しながらも喜んで受け入れた。


(しかし、ここはいったいどこなんだ・・・・・・)


 舞姫の見たこともない砂漠の風景と泉のそばにわずかな木陰をつくる樹木。そして経験したこともない灼熱の太陽。あきらかについ先ほどまで生活していた日の本の国ではないことはわかった。


「○△$%&・・・・・・‘!!!」


 突然 後方で男の絶叫がして 舞姫の座る場所数十センチ離れたところに、観たことのない形の矢が突き刺さっていた。


「そこの娘よ。お前は私の所有物である水を黙って許しもなく盗んだ。かくなるうえは私の奴隷となるか、ここで私の剣によって神の世界へいくか、好きなほうを選べ」


 馬上の男が、見たことのない服装で見たことのない剣を振りかざして叫んでいるのが今度ははっきりと聞こえた。


(・・・・・・あれは いつだったか、爺が教えてくれたなんとかという世界の戦士の姿と武器そのものかもしれん。たしかイスラムとかアラーとか言ってた様な気がするが・・・・・・)


 舞姫が、爺と呼ばれた宮下と過ごした十数年の修行の際に、宮下は己の知る世界の歴史と地理、そして日の本の国以外ではどんな武器が使われているのかをおおよそ教えてくれたのだ。もちろん基本的なその武器の使い方や材質の特徴までも含めて・・・・・・


 舞姫は、武器になるものはないかどうか、身の回りを探してみた。


(あった・・・・・・ これさえあれば・・・・・・)


 二本の日本刀の小太刀であった。


 戦国武将として数え切れないほどの戦闘を生き残り、また一武術家として宮下より授かった流派の継承者としての血が一気に目覚めた舞姫は、その場にすっくと小太刀二刀を構えながら立ち上がると、馬上から鋭い視線を浴びせてきた男にむかって応えた。


「ふざけるな! 馬上の男よ。この泉がお前のものだという根拠はなんだ?」


「この周辺の土地は私のものだ。私の所有地のその泉はやはり私のものだ。なんびとと言えどわが許可なく飲ませるわけにはいかぬ」


 華奢とも思える二本の短刀で身構える幼子を、いたぶりつくす様を想像しながら馬上の男は、あきらかに舞姫を侮っていた。


「ほお・・・・・・? ではその泉の水を飲んだ私はたった今からこの泉の所有者になったわけだ。取り返したくば、私を倒してからほざくんだな」


「後悔するなよ、見知らぬ国の娘。その命、アラーの神に捧げん!」


 灼熱の太陽の中、乾いた砂を舞い上げて男は舞姫に向かって突撃を開始した。


 最初の馬上からの一撃を、慣れない砂の地面の感触を確認するため、かわすだけに留めた舞姫は、二撃目からは反撃に出た。正面に突っ込んできた馬の右側に何気なく移動すると馬上の男の剣が振り下ろされる前に、予備動作一切することなくふわりと舞い上がった舞姫は、馬上の男をその馬から引きずりおろした。そして地面に叩きつけられた男の右手の剣を腕ごと踏みつけて押さえ込むまでは、一瞬の出来事だった。


「後悔するのは お前のほうだったな。見た目にだまされるな、とだれか教えてくれなかったのか?」


 幼女の目の奥に、歴戦をくぐり抜けてきた『戦士』の魂をみた男は、あっさりと抵抗することをあきらめた。


「・・・・・・殺せ・・・・・・ 幼女に負けたとあってはこの先、戦士として生きてはいけぬ。殺せ」

「・・・・・・いや、私はこの世界に来たばかりで右も左もわからん。お前の生殺与奪の権利を私がもらったということなら、おまえ、しばらく私の道案内をしろ。死ぬのはいつでもできるだろう、戦士」


 男の喉下に突きつけた日本刀の切っ先を収めて舞姫は言った。


(幼子よ。”この国” とは言わず ”この世界”は初めてというお前はいったい何者なんだ?)


 その幼子は男の心を読んだかのように、にやりと大人の笑みをみせると

「おまえ、名はなんという?」


「・・・・・・アル・タヌイーン」


 名前だけを確認すると、スタスタと歩き始めた。


「アル、早く来い! どっちへ行けばいいんだ? 見渡す限り何もないところだな、ここは・・・・・・」


 見たことのない形の剣で、すんでのところで首を刎ねられるところだった男は、こうして舞姫の道案内をすることとなった。


 男は、この異国の不思議な少女を、自分の主人である『サラディーン』に引き合わせてみようと密かに思った。この少女とおのれの主人があいま見えることで、なにやら想像もできないおもしろいことが起きるやもしれんと思わせるには十分な存在感を、その少女は見せてくれたのである。


 こうして二人は「エルサレム」とは反対方向へとしばらく旅をすることになる。


 しかし、アル・タヌイーンにとって幼女に戦闘で敗れたにもかかわらず己の主の元へと戻ることは死を覚悟せねばならなかった。


 サラディーンは慈悲深い王ではあったが、部下の失敗を許す人ではない。ましてや王の側近として身辺警護を任された立場では、およそあってはならない失敗を犯したことになる。


 アル・タヌイーンにとって『負け=死』が当然であったのだから・・・・・・


 己の命と引き替えにしても、二人の出会いを演出しようと考えたのは、この国の未来がサラディーンと目の前の異国の少女が握っていると感じたからなのかもしれなかった。


 そして何日も共に旅を共にするうちに、ますますその感を強くしていくアル・タヌイーンだった。


「アル・タヌイーンよ、おまえが連れてきたという異国の娘とは、その娘か?」


 すでに数日前に、サラディーンの情報網には直近の部下アル・タヌイーンが、砂漠のど真ん中で一対一の闘いで異国の幼女に敗れ、サラディーンの元へとむかっていることが報告されていた。


「はっ!」


「アル・タヌイーン、お前は私の身辺警護を役目として与えられたイスラム世界でも十指に入る達人ではなかったのか? そんな幼子に敗れたとあっては、場合によってはその首、即刻飛ぶぞ」


「言い訳はいたしませぬ。私のご報告の後、罰はなんなりと・・・・・・」


 平伏するアル・タヌイーンの横で、舞姫は憮然とした表情で座っていた。もちろん頭など下げて平伏するはずもない。だが、一国の王たる者同士の対面、お互いになにかしら通じ合うものはあったのかもしれない。


「異国の娘よ、おまえが私の警備隊長であるアル・タヌイーンに一対一で勝利を収めたというのは本当なのか?」


 目だけで相手を射抜くかという視線の中にも、孫娘をみるような慈愛の念を見せるサラディーンに声をかけられ、舞姫も戦闘モードは少なくとも解いたようだ。


「隠すつもりも嘘もついていない。おそらくこの国の情報屋の伝えたとおりだと思うがな、サラディーン、だっけ? おっちゃんの名前?」


 隣で平伏しているアル・タヌイーンの顔が一瞬で青ざめた。


「ふわっははは、これはいい。ここ数十年そんな口をこの私に聞いたやつはおらんぞ。皆首を刎ねたからな」


「首を刎ねるつもりならいつでも受けて立とう。だがタダでは斬らせんことも覚悟してもらおう・・・・・・」


 舞姫とサラディーンの視線と視線がぶつかり、お互いに睨み合ったまま沈黙が続く・・・・・・


 沈黙はサラディーンが破った。


「・・・・・・まあよい。異国の娘、名はなんというのだ」


「ここへ来るまでは”舞姫”と呼ばれていた。名前は”舞”だけど、おれの国では”姫”というのはプリンセスの意味だ」


「ほう? ならば、お前はそれなりの高貴な身分ということか?」


「そういうことになるかな・・・・・・高貴というほどのものでもないと思うけどね」


「舞姫とやら、お前の国の話を私に聞かせてくれぬか、今晩ゆっくりと・・・・・・もちろん客人としておもてなししよう」


 サラディーンは、例え相手が他国のどんな高貴な身分の娘であろうとも、今までに決して見せたことのない、敬意をもって頭を下げたのである。


 隣に平伏していたアル・タヌイーンの驚きの表情は、それはもう尋常どころの話ではない。


 自分の主の意図はなんなのか探ろうと、顔をあげて主の表情を見つめていた。


(サラディーンが、主がこんな表情を見せるなんて・・・・・・信じられない・・・・・・ 仕えてから一度も見たことのない笑顔を見せておられる・・・・・・)


「いいよ、サラディーンのおっちゃん。おっちゃんの頼みなら聞いてやるよ。ただ、酒でも出してくれるともっと助かるけどな。腹も減ったし、喉も乾いた・・・・・・」


「これは、気が利かぬことをした。すまなかった、早速用意させよう」


 サラディーンの合図で一人の側近が部屋を出ていった。


「アル・タヌイーンの処分は明日の朝決める。それまで謹慎処分とする。この異国の娘、”舞姫”だったな、舞姫の話を聞いて私が判断する」


「はっ・・・・・・ 」


 この日の夜、サラディーンの邸宅では明け方まで延々と、灯りとサラディーンの笑い声、料理を運ぶ奴隷の出入りの姿が絶えることがなかったという・・・・・・


 この夜を境にサラディーンの横には常に舞姫が付き従い、孫娘の歳ほどの異国の娘にとっては宮下を失った後を埋めるに存在感十分のサラディーンだった。


 それは単に家族が感じる親近感というだけではなく、お互いに話をする間にサラディーンは戦略的な目を持つ舞姫に想像以上の価値を認めたことによる。そして舞姫はこの時代の異国の情報収集を稀代のイスラムの王より直に受けることのできた意味は十分にすぎるほど大きかったのだ。


 サラディーンと舞姫が出会ってから数日が過ぎた頃、舞姫がサラディーンを”サラディーンのおっちゃん”と呼び、サラディーンが舞姫を”マイ”と呼ぶことにだれも違和感を感じることはなくなっていた。


 事情を知らないものが聞けば舞姫はサラディーンの本当の娘か孫娘と思ったかもしれない・・・・・・


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