第12話  戦国五 勝利の果てに

「いくぞ、爺。あの世で会おう。短かったが、爺のおかげで面白い人生だったぞ」


 腹ごしらえを終えたその戦闘集団の指揮官とその家来衆は、立ち上がりざま抜刀した。


普通の鎧武者と違う点は 戦闘指揮官以下すべての武者が両手にいわゆる『小太刀』を持った二刀であることだった。


 爺と呼ばれた男は、この時代に ”門外不出の奥義”として【柔術】を持ち込んだが

実戦に即してその体術にあった刀の使い方を完成させていた。


 幼いころより父親から教えられた技は、柔術だけではなく、裏の柔術、体術、剣術、打撃術、さらにありとあらゆる武器の使い方とその対応の仕方にまで及び、その究極は相手に斬られる前に懐に飛び込み、相手の急所のみを攻撃するという、無駄を一切排除したものであった。


 完全とまではいかずともこの集団構成員すべてが、”爺”とよばれた男にその奥義を授けられた弟子たちであったことを考えればその武器の使い方が同じであることはなんら不思議はない。


 刀が使えなくなれば体術のみでも一瞬で敵を倒すことができる技量に達した者たちばかりであった。


 奥義の次期後継者はすでに”舞姫”と決まっていたものの、その伝承の儀式を終える前に今日のいくさの日を迎えたのである。 



「この命ある限り、斬って斬って斬りまくってやる。刀が折れたらこの腕で敵をなぎ倒し、腕がなくなったら敵の大将、笹川義元ののど笛に喰らいついてやるわ」


「姫さま・・・・・・あの世でもわしらは姫さまにどこまでもついていきまする。敵の大将首を土産に地獄の閻魔さまにお目通り願いましょうぞ・・・・・・ こうして誰かと長い距離を共に駆け抜けることがわしにはなぜか懐かしく感じまする。遠い昔あったような・・・・・・」


「まだまだ、地獄でもまた一緒にひと暴れしよう、なあ 爺」


 土と汗にまみれた十数人の集団は、夜明けとともに音を立てることも掛け声すら上げることもなく、まるで暗殺者のごとく静かに敵の本陣の”大将首のみ”を目指して突入した。

 


 夜明けと同時に、近隣の農家の若者が、女の、と思われる”勝どきの声”を確かに聞いた、と言い伝えられてはいたが、この戦闘に関する正確な記録文書はなく、大挙して押し寄せた伊の国の軍勢が、この日を境に静かに自国へと引き上げた、と口伝されているのみである。伊の国という名前もどこにあったのかさえも、表の歴史でも伝承文にも伝えられていない。


 また、爺と呼ばれた男の生年と没年も記録には残されてはいない。不思議な術を使ったと伝えられ、舞姫のお守り役として常に行動を共にした男が、どこから来て、いつ、どこへ没したのかは、また別の亜の国の物語としていつか発見されることはあるかもしれない。


 彼らの決死の行動が成功したかどうかでさえ、古今東西の歴史書のなかに確認することはできないが、代々に残された遺髪と言い伝え文書のみに”姫さま”と呼ばれた英雄とその家来たちの活躍がこの地方を救ったと記されている。


 そしてこの戦の敵本陣の所在地と開催された百キロマラソンのゴールが、まさに同じ場所であったことを知る人も今ではもう残されていない。



  以下は 記録としてどこにも残されなかった真実のお話である・・・・・・



「爺、大将はどこだ!・・・・・・義元のねぐらは・・・・・・時間がない」


 夜明け前の暗がりの中、敵陣に突入した戦闘部隊は、必死に義元の所在を捜し求めた。 が、彼らの想像を超えた規模の部隊の真っ只中に、ただ一人を探し出すことは容易なことではなく、次第に焦りの色が濃くなっていた。


 大部隊の中でそう簡単に自軍の大将の所在地にたどり着けるように兵が配置されているはずがないのだ。


 何重にも張り巡らされた見張りの網を、潜り抜けることすら不可能に思われた。


 もう一度爺に呼びかけようと、舞姫が隣の男の顔を追ったその視線の先に再び”天狗”がいた。

 天狗は本陣らしき陣幕の入り口の前に立っていた。


 不思議と周辺には一人の見張りすら存在せず、まさにここにこそ敵大将がいるといわんばかりの風情で、天狗は立っていた。


 天狗に誘われるように敵陣最深部に突入を果たした決死隊は奇跡を演じようとしていた。


 いや、ここまで無傷で到達できたことがすでに”奇跡”であった。


 義元の部隊は、この日の昼前に予定した総攻めの準備をほぼ終え、明け方の一時の空白時間が生じていた。


 戦場という過酷な環境の中で、小鳥の朝のさえずりさえ聞こえてきそうな、ぽっかりとできあがった『静寂の時間(とき)』・・・・・・

 

 まさにフィナーレの前の静けさというにふさわしい時間と空間だった。

 

(ありがたい、天狗殿。なんの縁かは知らぬが恩に着るぞ。これでこの戦、勝ったら七代までも子々孫々奉る!)


 舞姫は無言で振り返り、続く十数人に目で合図した。


 敵大将の首を狙うは爺と舞姫の二人の役目、それ以外の者は敵首級をあげるまでその場に敵兵を近づけないこと、を役目としてすでに決めていた。


 十数人が左右に分かれ、入り口付近の守りの位置についた。


 二人が敵大将の元へ飛び込んだとき、敵総大将”笹川義元”は 太刀こそ手元に持ってはいたがさすがに早朝のこの時間帯では、鎧装備を身につけてはいなかった。


”天運”というも憚れるほどの強運であった。


 突然の敵の襲撃に一瞬の狼狽をみせた義元であったが それでもやはり大国の大将としての落ち着きをはらった堂々とした体躯と気構えをみせた。


 下っ端サムライならば その一国の大将の強烈な威圧感だけで襲撃者を撃退することも出来たであろう。が、今、目の前に現れた二人が生易しい相手でないことを瞬時に悟った義元だった。 

 

「下郎! 何やつ!わしを笹川義元と知っての狼藉か! 返り討ちにしてくれん! お側衆は何をしておるのだ! 敵だ、敵だぞ! 者ども、出会え~い!」


 敵が侵入したことを家来衆に知らせんとして声を上げる敵将の真正面に舞姫と宮下の二人は向かい合った。宮下が舞姫の一歩後ろで後方の敵を警戒する。


「おい、がま蛙、いやさ、笹川義元殿とお見受けいたす。私を側室にしていただけるとの話だったな。今こそ私にふさわしい殿御かどうか腕試しさせていただこうか、義元殿」


「おまえは? ま、舞姫か! 小ざかしい、今こそその鼻っぱしらを叩き折ってわしの目の前にひれ伏させてやるわ。泣いてわしに命乞いさせてやる。わしの○△#$%()”!」


 それまで威厳を見せていた義元の口元が卑猥な笑いでつりあがっていた。


「この、下衆やろう・・・・・・」


 ”恰幅のよい体格”といえば聞こえがいいが、舞姫にとっては 腹の突き出たお歯黒に薄い化粧すらほどこした醜悪でしかない生き物を一刻も早く目の前から消し去りたかった。


 前面に宮下、後ろに舞姫が宮下の影に完全に収まるよう体を入れ替えると、二人はまるでひとつの生き物のように、無言のまま一直線に敵将までの最短距離を駆け抜けてゆく。


 義元の目からは一人の男が四本の刀を左右に広げて迫る”阿修羅”に見えたかもしれない。


 一気に間合いを詰めてくるそのスピードに驚愕こそしたものの、義元もさすがに数々の歴戦をくぐり抜けてきた戦国の武将であった。鞘から一瞬で刀を抜き放ち構えた。先ほどの野卑な笑いはその表情からは消え、一人のサムライとして侵入者を迎え撃った。


 大国の王たる戦国武将の放つ、その闘気はさすがに凄まじいものがあった。


 戦国時代に忍者が跳梁跋扈し、暗殺にも一役買っていただろうことは想像に難くないが 意外にも忍者に暗殺された戦国武将の話は多くは伝わっていない。そもそも暗殺された、などと馬鹿正直に文献に残すはずもない・・・・・・


 実際のところ、暗殺する際に一国の頂点まで上り詰めることのできた戦国武将の持つ闘気に暗殺する側が気圧されることが多い、というのが俗説では知られている。


 宮下と舞姫も笹川義元の圧倒的な闘気を肌でもろに感じたが、それを闘気で跳ね返そうとはせずに、軽く受け流すことができる境地に達していた。


「ぬん! 」


 正面から無造作に飛び込んできた二人を裂ぱくの気合と共に一刀両断せんとした義元の剣戟は、およそその見た目の鈍重そうな体格からは想像も付かないほど鋭く、十分な体重の乗った見事な太刀裁きであった。


 しかし、二人を斬り捨てるはずの義元の剣の切っ先は、むなしく空を斬ったのみであり、義元が斬ったと確信したのは高速移動する二人の残像でしかなかった。全く手ごたえのない斬撃から一瞬にして刀を斬り返さねば、と意識の奥から己の身体に送られるはずの二撃目の命令は永久に伝達されることはなく、すでに義元の身体は完全に生体としての機能を失っていた。


 義元の剣が振り下ろされると同時に 師弟コンビは左右に移動、その切っ先をかわし、それぞれの片方の刃が頚動脈を、もう片方は振り下ろされたそれぞれ左右の腕を完全に切断していた。


 ご丁寧にも返す刀で心臓と左右の膝裏側の腱も切断され、ここに時代を築き上げた一国の戦国武将、笹川義元は絶命した。


 齢四十一、人生五十年と言われた戦国の世にあっても死を迎えるには十分に若すぎる年齢であった。


 戦闘開始から戦闘終了までに要した時間はほんの数十秒・・・・・・ はたから見ていればなんともあっけない、と思えたろう。


 が、それは 無駄を一切排除し、万が一の多人数相手の戦闘にも耐えれるよう訓練してきた師弟の十数年の努力が結実した瞬間であった。


 返り血を避け、それぞれ笹川義元の左右にやや離れて位置取りした二人のちょうど中間で義元の巨体が血潮を噴出しながらゆっくりと崩れ落ちた。


「やりましたな、ついに・・・・・・姫さま」


 技の完成を示した言葉だったのか、首級を挙げることができたことに対する言葉だったのか、どちらとも受け取れる男の安堵のつぶやきだった。


 陣幕の外では 護衛役に立った弟子たちが、その師弟と同様に集まってきた敵家来衆を次から次へと血祭りに上げていた。


『うお~! 敵だ~ 敵襲!! どこだ? 敵はどこだ!』


 義元の陣は 大将の首がまさに落とされようとしたその頃、ようやく目覚めた。この日予定されていた総攻めによって亜の国を粉砕することを信じきっていた笹川家は、よもやこれほどの大軍に奇襲をかけてくるとは予想していなかった。否、予想していた家臣はいた。が、大軍を前にどれほどの奇襲効果があるものかと高をくくっていた大勢に、その意見は黙殺されたのだ。


 そのつけは、自らの”命”をもってあがなうこととなった。


 音もなく忍び寄り、急所のみを掻き斬り姿を消す集団・・・・・・ 集団なのか少人数なのかさえわからぬまま次々と絶命していく笹川家家臣団と雑兵たち。


 明け方の、薄い濃霧の発生がさらに混乱に拍車をかけて行く・・・・・・


 やがて同士討ちが始まり、あちこちで火の手があがるとパニックは最高潮を迎えた。

 ろくに甲冑を身につける暇のない兵が右往左往し、敵味方見境の付かない殺戮で流れた血の匂いは、遠く数里先にまで漂っていく・・・・・・


『敵が、敵の大軍が来たぞ! お屋形様は すでに討ち取られたそうだ!逃げろ』

『お屋形様は無事ぞ、体勢を立て直せ、逃げるやつは斬る!』


 宮下の弟子たちが、混乱に紛れて撒き散らした偽情報と本物の情報が錯綜した。義元の首が落とされていようがいまいが、混乱を起こせば宮下と舞姫の脱出の手助けとなる事は間違いなかったのだ。


(お師匠様、あなた様は正しかった・・・・・・ ありがたや・・・・・・ )


 弟子の一人として宮下に付き添い、これまで身の回りの世話をしてきた御浦は、師匠の教えが全てこの日のためにあったのだと理解した。多人数相手に首級をあげることを捨てただひたすら敵の戦闘能力を奪うことのみに特化した訓練が、ここに結実したことを悟ったのだ。己が今、生き残れたのは師匠のおかげであると感謝し、移動する間に心の中で手を合わせたのだった。


 敵の返り血を全身に浴び、それでも冷静に一人また一人と瞬殺していく宮下の弟子たちは、やがて撤退の合図を待った。


 時をおかず、義元の首級を挙げた本物の舞姫の勝どきの声を遠くに認めると、混乱の極地にあった敵陣の中を巧妙にすり抜け、脱出に成功した。


 再集結予定地点に舞姫と宮下、そして弟子たちは一人の損失も出すことなく奇跡の生還を成し遂げようとしていた。


 脱出を果たし、突入前に腹ごしらえをした小高い丘の上に立ち、敵大将の生首を血の滴るままぶら下げ、混乱する敵陣の様をながめていた舞姫は、脱出を果たした爺と仲間たちを振り返った。


「やったぞ!爺!・・・・・・やった・・・・・・爺のおかげ・・・・・・!?」


 その時、山々にこだます一発の銃声!・・・・・・


 舞姫の歓喜の眼は、静かな歓喜の渦の中で突然、胸から血を流し今にも崩れかけようとする男の姿に釘付けとなった。


「爺!・・・・・・ なぜ? なんで避けなかった! 鉄砲の玉一発、わけもなかったろう!」


 男は笑みを浮かべてはいたが、傷がもはや致命傷になりうることをその苦痛の表情が物語っていた。


「爺は・・・・・・爺は、姫様に見惚れていて避け得ませなんだ・・・・・・」


「こんな汗と血と土まみれの、私のこんな姿に魅入られていただと?・・・・・・」



「姫さまの、その姿こそがこの国の宝となりましょう」


 男の姿はこの世から、この世界から今まさに消えようとしていた。


「・・・・・・姫さま・・・・・・ どうやらお別れの時が来たようです」


 この【世界】と【舞姫】とに、望まずとも別れを告げなければならない、孫娘との今生の別れを愛おしむような男の悲しげな笑い・・・・・・


「何?! 爺! 待て! 私を残してどこへ行く!?」


「姫さま・・・・・・ この世界での私の役目は終わったようでございまする。楽しゅうございましたなあ。爺はいつでも姫さまと共におりまする。私の技はすべて伝授いたしましたぞ。これからさらなる精進をお忘れなきように。姫さま、別の世か、はたまた地獄でお会いしましょうぞ。爺はそのときを楽しみにしておりまする」


 舞姫と残された弟子たちは、徐々に薄くなって消えていくおのが師匠をなすすべもなく見送るしかなかった。


「爺! 私も連れて行け、戻ってこい、爺!」


「お師匠さま!・・・・・・」


 舞姫と弟子たちの悲痛な叫びもむなしく、忽然と姿を現したときと同様、”爺”とよばれた男”宮下”はこの時代からその姿を消し、再び亜の国に姿を現すことはなかった。


 こうして舞姫と生き残った宮下の弟子たちは 敵大将を討ち取ったあと 火事の混乱を利用して敵陣からの脱出に成功、城への帰還を果たしたがその中に宮下の姿はもちろんあるはずもなく、戦勝に沸き立つ城内の片隅で舞姫はひっそりとつぶやいた。


「爺、お前と一緒に天下を取りたかったぞ・・・・・・また逢おう、いつか別の世でもう一度共に暴れようぞ・・・・・・」 


 舞姫と宮下を死地に追いやった浅野義明は、舞姫の帰還を待たずに流れ矢の傷が元で、すでに絶命していた。舞姫が突入を果たした明け方同じ頃、笹川軍の一人の男がたまたま放った矢が、見回りのために櫓にいた義明の首に、見事命中したのだった。




     *****


 そして 亜の国が笹川義元の大軍を退けてから、二十数年後・・・・・・ 


 炎と共に今まさに崩れ落ちんとする寺の奥座敷で、この世界の覇者にならんとあと一歩と迫っていたその武将は『人生五十年・・・・・・』敦盛の舞を終えんとしていた。


 その衣装は戦国の世にあってはまだ珍しい南蛮風の衣であった。きらびやかな色も鮮やかに戦国武将として生き抜いてきた舞姫の最初で最後の花嫁衣装姿での”舞”であった。


「爺・・・・・・ おぬしがいたならば、私の天下取りはもっと早くに達成できていたであろうな。爺が見たがっていた私の花嫁衣装姿、今ここで見せてやる。とくと見よ!」


 己の人生の終焉を迎えてさえその顔には壮絶な笑みを浮かべ、五十の齢にもなろうというその姿はまばゆいばかりのオーラを放っていた。ほぼその手に天下人の座を手中にしていた武将、いや、一人の女性、最後の姿であった。


 この日の明け方、側付きの小姓から裏切りの発生と、寺がすでに幾十にも包囲されており脱出は不可能であることを告げられた。


「裏切りものはだれぞ!?」


「はっ、桔梗の旗ざしが翻ってございまする」


「・・・・・・はげねずみか・・・・・・ははっはは。これは愉快・・・・・・是非もあらん」


「お屋形さま・・・・・・もはや、これまで。ここは私が守りますゆえ、一刻も早く・・・・・・」


「このわたしが そう簡単にこの首、渡してやるものか、最後に目にものみせてくれるわ」



 かつて亜の国の「姫さま」と呼ばれ、笹川義元の上洛を阻止し、以来天下取りにまい進してきた舞姫もいまや齢五十を数えんとしていた。


 伝説とさえなった舞姫と宮下の、活躍の原動力であったその弟子たちも、もはや六十半ばの年齢に達し、いまでは半分以下の数となっていた。


 最後の時を迎え、舞姫の側にあって壮絶な奮戦を見せていたのはその生き残りの武将たちであった。


 かつて師事し、行動を共にした宮下が忽然と姿を消したおよそ三十年ほど前、当時の笹川義元の城攻めの際に受けた矢傷がもとで領主浅野義明は戦国の世からあっさりその姿を消し、代わりに領主となった舞姫は「天下布武」を宣言した。


 当初だれもが冗談としか受け止めなかった舞姫の決意を心底真摯に受け止め、その覇業を助けたのはやはり宮下の残した弟子たちであった。


 その宣言のとおりやがて近隣諸国を次々に制覇し、当時の皇室でさえ取り込み始めたころようやく人々は「舞姫」のほら話をまともに受け止めるようになったのである。


 しかし、以来嫁入りすることはただの一度もなく、一戦国領主としての人生を全うせんとする舞姫に子孫が残されなかったことを人々は嘆いた。 



 迫りくる裏切りの者たちを、矢の尽きるまで片っ端から射抜いた舞姫は、もはやこれまでと弦の切れた強弓を捨て、宮下の弟子のひとりであり、己に最後まで仕えてきたあやと共に奥座敷へと向かった。


「この首はなんとしてもやつには渡さん。あの”はげねずみ”の悔しがる顔がこの目に浮かぶわ」


 もう一人、人生の大半を舞姫と共に修行に明け暮れ、その最後に立ち会わんとするお側衆の一人、御浦信繁の目は涙で濡れていた。


「お師匠様さえおられれば、こんなことにはならなかったものを・・・・・・無念でござりまする・・・・・・」


「言うな・・・・・・爺は、一足先にあの世で待ってるわ。今度はあの世で一緒にもうひと暴れよ」

 舞姫が短刀をその腹にあて、御浦が介錯せんと太刀をふりかぶったその時、舞姫の姿はゆっくりと消滅し始めた。


 短刀を手にしたその手が徐々に透明になっていくにつれ、舞姫は己の運命を、そしておのれの行き先を悟った。


「爺・・・・・・待たせたな、いま行くぞ。どこぞの世界だろうとまたいっしょに大暴れしてみせる。私はこのときのくるのをずっと待っていたのだ」


 舞姫の笑い声は寺の崩壊する音と共にかき消され、ここに戦国の一時代が終わりを告げた。


 焼け落ちた寺から、舞姫の亡骸も首級も手にすることのなかった”はげねずみ”と揶揄された桔梗の紋の主は、この後手にした天下を十日あまりで他者に譲ることとなる。


 舞姫によって収まるかに見えた戦国の動乱の行方もこの後、数十年、いや数百年の年月を要し、後世の一部の歴史家をして「舞姫がこのとき以降も生きていれば・・・・・・」と嘆かせる原因となった。


 幾度となく論争の的となった『もしも舞姫が天下を取っていたら世の中はどう変わっていたか』は、いまだにごく少数の、この国の裏の事情を知るものにとっては尽きることの無い話のネタとなっている。 

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