第5話 戦国二 修行の日々
「爺は どんな武器の相手でも勝てるのか?」
ある日の稽古が終わり、師匠である男に舞姫は問うた。
弟子たちも常日頃、同様の疑問を持っていた。
「はい、おそらくは。ただ飛び道具だけはやや勝手が違いまするが・・・・・・」
「飛び道具の話は後で聞くとして、まずは、刀、槍、なぎなたなどで教えてくれ」
「相手がどの武器で斬りかかろうと、要は相手の刃がこちらを切り裂く前に、相手の懐に飛び込む技量と胆力を持ち合わせているかどうかが問題なのです。懐にさえ飛び込めれば後は急所を攻撃するのみです。技の種類もそれほど多くは必要としませぬ」
「刀と槍では当然彼我の間合いが変わってくるが、それも問題ではないと・・・・・・」
「はい。確かに槍が相手では懐に入るのは厄介です。ですがどんな武器であろうと間合いの長さに違いがあろうと共通することがあります」
「それは何だ?」
「相手の”殺気”と”勝ちを確信する心”です。つまり攻撃する場合には必ずその殺気が発生すること、それをあらかじめ知ることができれば避けることはできます。勝ちを確信するとは、私がこのまま黙って立っていたならば、斬りかかる側は当然私を斬れると思うでしょう。しかしその刃の当たる瞬間に、私がその場にいなかったらいかがになりましょうか?」
「刃は当然空を斬り、第二の手を繰り出そうとしたときには、懐に飛び込まれて、時すでに遅し、ということか・・・・・・」
「はい。なすすべがありませぬ。総じて武術というものはその点で共通しています」
世の”達人”と呼ばれる範疇に属する武芸家の多くは”殺気”を消せることを男はむろん知ってはいたが、あえて戦国時代の戦場という状況においてはあまり意味が無い、と考えていた。
達人といえども”戦場”という特殊な環境下にあって、平静のままでいられる人間はごく限られた者であることを知っていたからだ。
それでも あえて殺気を消すことの出来る真の達人に、戦場で出会ったらそれはもう”運が悪い?”としてあきらめるしかないと、男は割り切っていたのでこの場では、それ以上の説明は差し控えた。
修行の果てに、いつか教えるときが来るかもしれない、と今は考えないことにした。
「爺に挑んだときは、たいていこれならやれそうだ、勝てる!と思って木刀を繰り出した瞬間に、いつも床に転がされているのはわれらのほうだなあ、確かに・・・・・・」
「これからの稽古は、敵の攻撃を知り、かわして無駄なく急所のみを攻撃する、これに尽きまする。さすれば敵数人を斬っただけで力尽きた、などということはございますまい。刀の刃こぼれや血糊による切れ味の劣化も極力防げまする。特に戦場では、無限の敵との斬りあいを可能としなければ少数部隊で大軍を叩く、など”絵に描いた餅”というものでございます」
「絵に描いた餅か・・・・・・ 素振りだけしていれば到達できるというものではなさそうだな」
「ここにいる皆に必ず会得していただきます、何が何でも。技も知識も修行に終わりはございませぬ・・・・・・」
「攻撃の時がわかってもぎりぎりでかわすというのも言葉ではわかってもなかなか難しいです、お師匠様・・・・・・」
普段は身の回りの世話役の、信繁の漏らした言葉を受けて男は答えた。
「速くかわしすぎても遅すぎてもいけません。この中で【書】を得意とするは、どなたでしょうか?」
男は皆を見回して尋ねた。
「そりゃあ 姫さまじゃ」
一同の声がひとつになる。
「姫さま、姫さまは『一』の文字を書くときに、何をどう考えて書かれますか?」
「いや、なにも考えないで『一』とただ書いてると思うぞ・・・・・・」
「『一』と書をしたためるに腕の位置がどうだ、何を観ているか、それぞれの指の使い方がどうだなどと、いちいち考えて書く者はおそらくいないでしょう。しかしながら意識はしなくとも『一』の文字を書くことはできます」
「ただただ無心で書いている気がする・・・・・・」
「実際武術、剣術の世界でも、相手の一撃を避けるときは、己の身体を使って横一文字に思い切り『一』のただ文字を書くだけでいいのです。すべてはそこから始まります」
「無意識に『一』の文字がただ描ければいいと?・・・・・・ で、相手を斬る時は縦に『一』の文字をただ書くだけでよいと?・・・・・・」
「姫さまは理解が早い。『一』の文字をいかに適切に書けるようになるかが修行そのものなのです」
「稽古するしかなさそうだな、迷うことなくひたすら稽古しかない。爺、よろしく頼む」
(良き後継者に恵まれたようだ、私は・・・・・・ 元の世界にいたならば決してかなわぬことだったかもしれぬ。私はこのために戦国の世に送り込まれたのか・・・・)
食事の時間すら惜しむ修行の時間は、途切れることなく毎朝毎晩と続いた。その内容は武術剣術に限らず、時にはこの時代では発想すらされていなかった城攻めの方法や守り方、築城の方法を教える事にまで及び、時代の枠を超越したその卓抜な知識の豊富さと実践的な戦闘技術論は、弟子たちを心酔させるには十分すぎるものだった。
やがて修行諸々の内容は、門外不出の”奥義”として後に弟子の一人がまとあげることになる。
こうして弟子たちとの稽古に明け暮れる生活にもようやくなじみを覚えたある日のこと、舞姫が厳重に包まれた長物を持って来た。
「爺、爺はこれがなんだかわかるか?」
「・・・・・・はい、『鉄砲』ではないかと」
鉄砲がこの時代に海を越え伝播され、急速にこの国に広がったことを 男は知識として知っている。包みの上からでもわかる重量感、長さ、貴重品らしきことを勘案すれば答はおのずとそこへと行き着く。
「それならば、話が早い。そうだ、これがその鉄砲だ」
持参した長物の包みの中から舞姫が取り出したのは まさにその『鉄砲』・・・・・・火縄銃といわれる戦場の新しい武器であった。当時はまだ、火縄銃一丁で豪邸が建つほど高価なもので世の中にそれほど出回っていない貴重品である。
「姫さまは、この鉄砲をいくさに使いたいとお考えで?」
「うむ・・・・・・ まだ私にはよくわからんのだ。やたら音が大きいので敵の馬や雑兵どもを驚かすことはできそうだが、武器として本当に使い物になるのやら・・・・・・」
「単発で、次発装填までに時間がかかり、射程距離も短く威力も思ったほどはない、雨の日は使えない・・・・・・ といったところでしょうか」
「よく存じておるな、爺。まるでとうの昔に知っているかのような口ぶりだな・・・・・・」
「今はまだ飾りのような、脅かしに過ぎない程度のこの『鉄砲』は いずれ世のいくさの様子を一変させます、いえ、させるかもしれませぬ」
「ほお?・・・・・・ もっと詳しく聞かせてくれないか、爺」
舞姫の目の奥がきらりと光る。
「いえ、なんとなくそう思いましただけで、深き考えがあってのことでは・・・・・・」
「かまわん、爺の存念を申してみよ」
むろん男の知識の中には自身の知るおおよその戦国時代における鉄砲の果たす役割が記憶に残っていた。その知識がこの世の中に、ひいては舞姫の夢の実現にどう影響するか図りかねたが、この世界にはまだ存在しないはずのものをすでに持ち込み、いまさらどうこうもあらん、と男は知識の伝達を心に決めた。
「ひとまず試し撃ちを皆に披露してはいかがかと・・・・・・」
鉄砲談義は後からということで、まずは実際に撃ってみることにした。
試射一発の轟音は、舞姫以外の弟子たちを飛び上がらんばかりに驚かせるには十分すぎるほどであった。そればかりか、近くの馬場の馬の驚きのいななきも騒々しく、台所場からは奉公人が手持ちの食器類をとり落とす盛大な合奏が聞こえた。
「このようなもの、私には役に立つともとても思えんが・・・・・・敵を驚かすのが関の山であろう・・・・・・それも慣れてしまえば何のことはない」
が、この試射の後、男が舞姫に示した今後の鉄砲の開発の行方と、火縄銃を戦術的にどう利用するかの時代を先取りした知識はやがて数十年の後、戦国の歴史を塗り替えることになる。
それまで圧倒的だった騎馬軍による突撃を鉄砲の威力によって初めて 舞姫が撃退する歴史的事実は”鉄砲三千丁による三段撃ち”として後世長く語り継がれる革新的な戦術であった。
現代の日本人の多くが『織田信長』の使った当時の革新的戦術としてこのことを知っている。
そう、歴史の教科書にも出てくるあの『長篠の戦い』・・・・・・
余談だが、しかし筆者はこの俗説を信じてはいない。当時の火縄銃を三千丁、一列あたり千丁の鉄砲を並べて、迫りくる騎馬隊に対し一斉発射などできたかどうかは大いに疑問ありと思っている。千人が並ぶのにどれだけの距離が必要で、その長い列に対しどうやって一斉射撃の号令を伝えられるのか・・・・・・ また仮にできたとしても、一度に千丁の鉄砲からでる煙は半端なものであったはずもなく、風向きによっては二度目の射撃時には標的が煙の中で定まらず、命中率が相当に落ちたはずなのだ。
ではなぜ武田勝頼率いる騎馬軍団は敗北したのか・・・・・・ それはここでは検証を差し控えるが、鉄砲を使った戦術の転換のきっかけがここで生まれた、という記述のみにとどめておきたい。
「爺ならば、飛び道具相手にどうするのか、まだ聞いてなかったな」
「・・・・・・かしこまりました。鉄砲は連発できませんので、代わりに信繁に弓矢を用意させましょう」
御浦信繁をはじめとする五人の弟子に五間(約九メートル)の距離に横隊で並ばせ、男に向かって矢を射させることにした。
男はいつもの立会いとなんら変わることなく、両腕をだらりと下げた構えのまま矢の放たれるのを待ち構えた。
「いつでも結構でござる」
五人の射手の合図役を舞姫が担い、その以外見物の弟子たちはその行方を真剣に見守った。
(おいおい、まことに大丈夫か・・・・・・ いくらお師匠様といえど、矢を避けるなんて・・・・・・それも五本同時だぞ・・・・・・)
弟子たちの懸念はその場に居合わせた人間の総意であった。当の的になった男を除いて・・・・・・
五本の矢が若干の時間差をつけて舞姫の合図で男に向かって勢い良く放たれた。
誰の目にも、男の身体から血しぶきが舞い上がる事は避けられぬもの、と思われた。
が、男は何事も無かったかのように己に向かってくる矢をあっさりとかわし、また元の場所に立っていた。もちろん放たれた矢は男の後ろの塀に突き刺さリ、力のやり場を失ったかのようにブルブルと振動しているだけだった。
あまりのあっけなさに拍子抜けした弟子たちだったが、
「お師匠様めがけているからといって 手ごころくわえたのだろうよ、あの五人は」
観ているだけの弟子たちからの笑いと非難の声が上がると
「ばか言うな、おれらは皆姫さまの見ておられる前で 確かにお師匠様をねらってたさ。普通なら五本とも刺さってるはずだ! なんならおぬしらやってみろ!」
五人の射手は、自分たちの腕を疑うのかと大いに憤慨したものだ。
「私も五本の矢が爺に向かって放たれたのをしかとみた」
舞姫も五人の射手に同調する。
「ではどうやって飛んでくる五本の矢を避けることができたのです?」
「私にもわからん・・・・・・爺の動きがあまりにあっけないので狐に化かされたような気分だわ」
男は、笑みを浮かべながらゆっくりと、弟子たちが喧々諤々と論争する場に戻ってきた。
「爺、教えてくれ。いったいどんなからくりなのだ?」
「からくりなどというものでも、狐の化かしでもございません。これも稽古の究極とも申すべきことです」
「爺と同じことが、稽古の積み重ねでわれらにも同じようにいつかできると申すのか?」
「はい。言葉でいくら説明してもおわかりにはなれないかと・・・・・・ ただ、もしも」
「もしも?」
舞姫と弟子たちの男への畏怖はまさに最高潮に達していた。何が何でもその奥義をものにしてみせんと十数人の耳は、一言一句を決して逃さぬように男ににじり寄った。
「もしも、姫さまは矢の飛ぶ道を矢の飛んでくる前に、その目で見ることができたなら、よけることはたやすきことではありませぬか? 実際に矢がそのとおりの道筋を飛んで来るとしたら・・・・・・」
「当たり前だ。あらかじめ矢の通り道がわかっていて、そのまま通り道に立ってる馬鹿はおらんだろうよ」
「修行によって、矢の放たれる前に矢の通り道が見えるようになるのです。拙者だけではなく、いずれ姫さまも ここにいる皆も・・・・・・」
「なんと、まことか・・・・・・ さようなことが本当にできるようになるのか・・・・・・まさか、相手が鉄砲でも矢と同じように避けることができるなどと申すのではあるまいな・・・・・・爺」
「・・・・・・ はい、できまする・・・・・・条件付きではありますが・・・・・・」
「爺には 驚かされるばかりぞ・・・・・・まことそのような話、信じてよいのか・・・・・・」
「これからおいおいお教えしていくことになるかと・・・・・・」
居合わせた弟子たちは互いの顔を見合わせ、半信半疑ではあったがいつか己にも出来る日を夢みてその目が輝いた。剣ではだれにも負けず、鉄砲も弓矢も避けれるとなればまさに鬼に金棒だが、信じろというほうがよほどどうかしてるだろう。
厳しい稽古にも慣れ、やがて数年が過ぎるころ、連日続いた稽古の休養日としたある日のこと、舞姫とその師匠、弟子を含めた十数人は馬で遠出に出かけた。
初夏の風の清清しい朝、領内の湖まで足を伸ばした。もちろん乗馬も立派な訓練の一つであり、休養日とはいえ 戦国の武将に真の平和など堪能できるはずもなく、亜の国にとっていくさのなかったこの一年は珍しい。
領内の松林の道を通り抜けると、やがて大きな、澄んだ水をたたえる湖が目の前に広がっていた。
「爺、私はいつか父の跡を継いでこの国の領主となるだろう。私の望みはこの国からいくさをなくすことだ。この美しい山や湖、領民たちをいくさで失いたくない。いつか私の手でいくさの無い国をつくりたい」
湖のほとりで 舞姫の言葉を爺と弟子たちは背後に控えて黙って聞いていた。
「爺、おぬしの生まれたところでは、いくさなどなかったのだろう?」
振り向く舞姫の瞳は、まるで目の前の男の素性など、とうの昔に知っているといわんばかりだった。
「はい・・・・・・ ございませなんだ。少なくとも私の生まれた国ではいくさなどはなく、武士という存在すらなくなっていました」
「そうか・・・・・・ サムライなぞ無用の長物となっている平和な世界か・・・・・・ いってみたいものだ。いや、私はそんな国を作ってみせるぞ、この手で・・・・・・ 民もサムライも、いくさがなくいつでも笑って安心して過ごせる国を作ってみせるぞ」
「・・・・・・ わたしもそのお手伝いをさせていただきまする・・・・・・ただ・・・・・・」
「ただ?」
「姫様は、そのいくさのない国をつくるために、亜の国以外すべての国を敵に回して戦い抜く覚悟のほどはいかがかと・・・・・・」
「爺の言うとおり、いくさの無い国を作るためには、これから幾千のいくさと何万何十万という民や家来、他国の武将たちを犠牲にしていかねばならぬだろうよ」
「すでに、ご覚悟なされているものとお見受けいたしましたが・・・・・・」
「・・・・・・本音をいうとな、爺。私は爺の居たその”いくさ”のない世界で、爺とこうして一緒にのんきに山や湖でも眺められたらなあ、と今おもうたのだ」
「・・・・・・ 姫さま・・・・・・」
「爺が我らの知らぬ遠い世界から来た、などとゆうても誰も信じはせぬ。ははは、心配するな。私とここにいる爺の弟子たちは信じるかもしれんがな」
背後に控える弟子たちの二人に注がれる視線は厳しくも温かい。
爺と舞姫の強烈な影響と教育を受けてきた彼らにとっても、いくさで他国を攻め取ることにあけくれる世界よりも、いつかいくさのない平和な世界を作り上げたいと思う心が、自然と頭の中に形作られていた。そのためにはまずなんとしてもいくさを生き残らねばならないのが戦国の世であり、その新しい世界を己が生きて目にすることは、おそらく叶わないであろうこともむろんわかってはいた。
「だが、それにはまず、他国から侵略されぬ国づくりのほうが先のようだがな・・・・・・まだまだこの亜の国は、いくさも金も他国頼み・・・・・・」
十歳をわずかに過ぎたばかりの元服前の幼子の、弱小大名となることを定められた悲哀の表情が旭日に照らされていた。
他国の大名と舞姫の差は、いくさの先をどう見据えているか、だっただろう。いくさのない国を作るためのいくさに明け暮れ、殺戮のための技術を学ぶ日々・・・・・・その矛盾を心の奥底にしまいこんで、明日の平和な国を夢見るおよそ戦国時代には珍しい集団ではあった。
舞姫以外の他国の大名達の多くは、覇者になろうとはしても、その先に戦のない時が来ようなどとは間違っても考えていない。サムライが不要になる世界など想像外の事だったのは無理もない話なのだ。
舞姫の言葉を裏付けるかのように、この遠出をした日のわずか数ヶ月後、隣国からの突然の侵略を受けた亜の国は、それから数十年に及ぶ、およそ平和な日々を甘受することのない戦国の戦いの渦の中に巻き込まれていく。
舞姫とその一党は、終わりなき国づくりの戦いの中に経験を積み、そして身を投じて行くことになるのだ。いつか実現するかもしれない、いくさのないこの世を夢みながら・・・・・・
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