第3話  戦国一 舞姫

 意識を取り戻した宮下は、平原のど真ん中で一人の男、いや、甲冑姿の男を地面にたたきつけている己(おのれ)に気がついた。


「これは・・・・・・ここはどこだ? おれはいったい何をしているんだ?」


 視覚障がいを患っていたはずの自分が、なぜか今は視覚を取り戻し、場末の飲み屋で用心棒を投げ飛ばしていたはずの記憶が、まだ手の中に生々しく残っていた。


 己の足元には鎧を着た男が呆然と自分を見上げており、周りを見渡せば、同じような鎧を身にまとったサムライ十数人が今にも食いつきそうな勢いで、にらむように宮下を取り囲んでいる。


 刀や槍をきらりと光らせて、我先にと待ち構えていた。


「次は拙者が・・・・・・ご免!」


 刀を振りかぶり様、袈裟斬りに斬って捨てん、と飛び込んできた鎧武者の懐に、考える間もなく瞬時に飛び込んだ宮下の、絵に描いたような”一本背負い”が決まった。


(なんと・・・・・・自分でも信じられないくらい速く動けるぞ・・・・・・)


 驚いたことに、刀のスピードをもってしても宮下の動きを追いきれていなかった。もっと正確に言えば、刀の初動開始以前に宮下はすでに動いていたというのが正しいだろう。


 視覚を取り戻した宮下だったが、その眼で相手の動きを見て動いているわけではなく、切っ先が届くより前に届く、相手の意識を『感覚』で捉えていたというべきか・・・・・・


 目の前の男の肉体を真っ二つに斬りさげることを確信したその瞬間、己の天と地がひっくり返される様を体験したサムライたちは、まるであやかしの術にかかったとしか転がされた本人も見ている者たちにも、全くその理由がわからなかった。


「ええい、かかれ、かかれ!」


 サムライにとって刀は”絶対”であった時代である。その刀を持たぬ男に次から次へとなすすべもなく倒されることは、武士としてあってはならぬ、許されざる”恥”ですらあったのだ。


 続く男たちも、奇妙な”技”の前に、次々と地面にたたきつけられ、己の鎧の重さゆえにその衝撃が倍加されて、多くはそのまま失神する結果となった。


 元来、柔術の修行に明け暮れていた宮下が視覚を奪われたその結果、他の感覚が異常に研ぎ澄まされ”走る”ことが体力の低下を最低限に防いでくれたのだろうとしか宮下自身にも、とっさには己の動きを説明することはできなかった。


 そんな奇妙な立ち会いの様子を、取り囲む人々の中からとりわけ異彩を放ちつつ見物する姿があった。どう割り引いて見ても七、八歳にしか見えないのだが、明らかにこの集団の中の指揮官としてのオーラを有する一人の少女だった。


 鎧こそ身につけてはいないものの、それなりの戦闘装束をまとった黒髪の少女は、およそ宮下がかつて出会ったこともない、驚くほどの美少女であった。


 血気にはやる若サムライたちはその少女に気が付くと、道を左右にあけて頭を下げた。


「姫さま! こやつ あやかしの術を使っているようですぞ。お気をつけください」


「そのほうら、素手の相手にかなわぬからといって”あやかしの術”で事をかたづけるつもりか? おのれの腕の未熟とは考えんのか?」


 相手にかすり傷すら与えることの叶わなかったサムライ達に弁解の余地はなく、かといってそのまま納得するには彼らは若すぎた。言葉にならぬ言葉を探し、もてあましたエネルギーのはけ口を求めて苦渋に満ちた表情を少女に向けることしかできなかった。


「そのほう、名をなんと申す?」


 少女は素手の男に問うた。


「・・・・・・わ、わかりませぬ・・・・・・」


「覚えていないのか? 名を言えぬ何か訳があるのか?・・・・・・」


「思い出せませぬ。私はいったいここで何をしていたのでしょうか?・・・・・・」


 いまさら場違いともいえる、男のそのとぼけた言に少女は思わず笑った。 


「今頃何を言っておるのだ、おぬしは・・・・・・ 仕官させてくれと先ほど突然現れ、腕試しをさせて欲しいと申し出たのはそのほうではないか・・・・・・ まあよかろう、名前が思い出せるまでは、しばらく『爺』と呼んでやる。もし思い出せなんだらそのうちにいい名前もつけてやろう。仕官するつもりがあるなら私といっしょにこれから城へ参れ。父上、いやお屋形様にあわせてつかわそう」


「は・・・・・・」


「それにしても 不思議な技よのお・・・・・・ 素手で真剣を持った鎧武者を次から次へとなんの苦もなく組伏せるとは・・・・・・ われらも組み打ちになったおりには素手で敵を倒す技を存じてはいるが、おぬしの技ほど見事なものではない。そのほうの技、”美しさ”すら私に感じさせてくれたわ」


 幼女のものとは思えぬ口調と、見た目からは想像もできない他者を圧迫する威厳。生まれついての覇者の放つオーラとはこういうものかと、自然とこうべを下げざるを得なかった。


 話の流れを納得しきれぬままその場にひざまずいた男は、己の命だけはともかくも助かったらしいとだけは理解できた。だが、自分の名前だけは、何度聞かれてもなぜか思い出すことはできなかった。


(武術を学んでいなかったら、今頃は・・・・・・)


 男の足元に転がる日本刀の妖しい輝きは、改めて心の奥底から男を震え上がらせるには十分すぎるものであった。生きて今あることが奇跡としか思えなかったのである。


「はっ ありがたきお言葉・・・・・・」


 いつの間にか 話しぶりすら変えている己に気づき、男は苦笑した。


(おれは夢を見ているのではないのか・・・・・・)


 いずれにせよ、一度失った視覚をこの世界で再び取り戻して生きていけるのなら、夢でもいい、ただの”爺”として扱われても構わない。夢の中で思う存分生き抜いてみようと決心するのに、さほどの時間を必要とはしなかった。


 何のために、この時代この国に飛ばされ、目の前の幼女とサムライの集団と関わりを持つことになったのかは、後から考えればいい・・・・・・


 『生きること』を最優先事項と決めたのだった。


 これが、亜の国の『姫さま』と呼ばれる”舞姫”との出会い、そしてその後十数年に渡る師弟関係の始まりだった。

 戦国の世に”柔術”その他の武術を持ち込み”爺”とよばれた男と”姫さま”の二人の伝説の幕開けでもあった。


 一説によれば、我々現代人が知る柔道、とりわけ『柔術』といわれる原型は戦国時代の武将の体術にあったとされるが、その祖とされる人物が”爺”と呼ばれた男である証拠はむろん何も残されていない。



 姫さまと呼ばれた幼少の指揮官とその家来衆に連れられ、男は登城した。

 亜国の領主と謁見ということとなったのだが、予想違わずそこでもまた技の披露をする羽目になった。


 登城前と同様、領主の指定する剛の者たちとの立会いも、立会った本人はもちろんのこと、見ている者にも何がどうなって試合の決着がついたのかまるでわからなかった。


「これは、なんとも不可思議な・・・・・・」


 領主『宮下義明』は、己の眼前で、木刀で襲い掛かる相手を何の苦もなく素手にて床板にたたき伏せる男の技に、ただただ驚嘆するばかりであった。この時代の猛者たちにとって、武器を持たぬものとは、すなわち”弱者”であり、素手で武器に立ち会うなどという発想は、”窮鼠猫を噛む”ことにさえ及ばないはずだった。


 あくまでもそれは、いざというときの最後の手段と考えられていたにすぎないのだ。


 もちろん、戦場で”組打ち”の後、首を取る、というのは戦国時代には当たり前のことではあったにせよ、はじめから武器を持たずに立会いをする、というのは自殺行為に等しかったであろう。

「素手の技はわかった。そのほう、肝心の剣の腕はどうなのだ?」


「は、多少なりとも・・・・・・」


「うむ、龍ノ介、相手をいたせ」


 その場にいた者たちが、大きくどよめいた。


 龍ノ介と呼ばれた、他のサムライ達とはふた周りほどもあるかと思われる武者が、並みの人間ではもちあげられない程の太さの八角棒(木刀)を手に進み出たからだ。無骨一辺者である龍ノ介と呼ばれた男は、己の力で相手の化けの皮をはがしてやらん、とばかりに発するその闘気は誰の肌にもビリビリと伝わってくる。


 その大木のような木刀を構えた、あふれんばかりの相手の闘気を、男は知ってか知らずか軽く受け流した。


「それでは私はこれを・・・・・・」


 大男とは対照的に、闘気をみじんも感じさせず、素手の代わりに二本の小太刀を両手にだらりと下げたまま男は構えた。


 通常の女性の胴回り位もあろうかというほどの木刀が、勢いうなりをあげて頭上から降ってくる。

 そこに居合わせただれもが、老小男の頭蓋から身体全てが砕け散る場面を想像したに違いない。小太刀ごときでは、なすすべもなく殺されるだろうと・・・・・・


 だが、次の瞬間、男の二本の小太刀は、大男の首と股の間に当てられていた。巨漢の男の振り上げた木刀は、大きな音を立てて床板を砕き陥没させてはいたが、相手を捉えることは叶わなかった。


 いつの間に懐に入られたのか・・・・・・それは普通の人間の理解の範疇を超えていた。


 真剣ならば頚動脈を斬られて死んでいたのは、間違いなくその巨漢の持ち主のほうであった。


「ま、参りました・・・・・・ どうやって拙者が負けたのか・・・・・・ わかりませぬ。確かに私はその小太刀もろとも砕いていたはず・・・・・・」


 小太刀を収め、にっこりと笑う男の目の奥に底知れぬ恐ろしさを垣間見た巨漢の男はその場に座りこみ、がたがたと震えながら頭を下げた。


 中途半端な力量の持ち主は何度負けようとも、己の未熟さを知ろうともせず、繰り返し勝負を挑んでくるものだ。


 しかし龍ノ介と名乗る男は、さすがにこの国一の剛の者であった。


 一合も剣を交えることがなくとも、互いの力量の差を知ったのだった。


 一見、闘気がなさそうに見えた男は間合いに入り込む一瞬に、龍ノ介にのみ伝わるように尋常ではない強さの闘気をぶつけたのだった。その闘気のすさまじさは、相手に戦闘意欲どころか、その場に立っている気力すら奪うに十分すぎるほど巨大なものであったのだ。


 立会いの結果に半信半疑の領主、宮下義明であったが、領内の最強を自他ともに認める龍ノ介が、自ら負けを認めるという事実の前では納得せざるを得なかった。


「姫から聞くだけではとても信じるに値せぬ、たわけた話とおもうたが・・・・・・ まことであったとは・・・・・・その龍ノ介は当家一の強者であったのだが・・・・・・こうもあっさりあしらわれるとはおもわなんだわ・・・・・・う~む・・・・・・ あいや、わかった、そのほう、当家の剣術指南役として迎えたいがどうか? あ、いやぜひとも当家剣術師範として仕官してもらいたい」

 舞姫をはじめ、この国の名だたる武将と思しき男たちが、その場に勢ぞろいしていたがまともに声を上げることの出来たものは一人としていなかった。


「・・・・・・謹んでお受けいたしまする」


 男はそう応えたのみ、と後に伝聞されているが、確かな資料は何も残されてはいない。


 この日、領主への謁見と腕試しの立ち会いの後、ひとまず着替えのため案内された別室では、身の回りの世話をする数人の侍女と一人の小姓が待っていた。


 着替えの世話を受けるなどという、今まで経験したことのない気恥ずかしさを感じつつも黙ってなされるがままに男は身を任せた。


「面白い形でございますなあ・・・・・・ 見たことがございませぬ、それはなんというものなのですか?・・・・・・」


(ああ・・・・・・この時代ではTシャツとパンツは珍しいのか、いや、なかっただろうな、もちろん・・・・・・) 


 小姓がじろじろと下着姿を興味深く眺め回すその様子が、なんとも不思議にも思えたが、今まで視覚障がい者として長きを生きてきた男にとっては、久しぶりの新鮮な感覚だった。

(恥ずかしい、などと感じたのはいつ以来だろうか・・・・・・)


 視覚を取り戻すことと引き換えに、余計なものまで背負い込んでしまったが、これもそれも眼が見えればこそと、新しい生活を楽しむことに決めたのだった。


 そのTシャツとパンツ姿の男は湯殿へと小姓に案内され、ようやく昼間の汗と汚れを落とすことができた。

 湯殿からでた男に用意された下着は、Tシャツとパンツではなく、ただのさらし一枚の長い布だった。


「こ、これはひょっとして 『褌(ふんどし)』 というものか?」


「はい、左様でございまする。身につけたことはございませぬか?」


「耳にしたことはあるが、実際に眼にして身につけたことは・・・・・・ない」


「それでは、つけ方をお教えいたしまする」


 小姓は、もう一枚の同じ布を手に、おそらく男の生きていた時代では『六尺ふんどし』と呼ばれていたであろう”下着”の巻き方を教えてくれた。現代の下着と違い、身体へのフィット感と妙に慣れない違和感が同居していたが、


(これは いいかもしれない・・・・・・)


 男は素直に、覚えたての新鮮なこの感覚を歓迎することにした。


(おれはもうこの世界に生きていくしかない。ふんどしでもなんでも来い。郷に入りては郷に従えということだ・・・・・・なにがどうしてこうなったかわからんが、再び目が見えるようになるのなら、おれには地獄も天国だ)


 入浴後の簡単な食事を終え、用意された寝床に入ると男は深い眠りに到達するまでに数秒しかかからなかった。あれこれ考えるよりも体力の回復を、その身体自身が求めていた。

 男の寝息を確認すると、小姓は静かに音もなく部屋から下がっていった。


    

 翌日、城内の剣術場に案内されると、すでに一汗流した舞姫と若きサムライ十数人が待ち構えていた。


「爺、この者たちは、私を含め、今後爺の弟子として志願したものたちだ。数こそ少ないが、それなりに腕は確かな者ばかりだ」


「それがし、申し遅れましたが、御浦信繁と申しまする。よろしくお願いいたしまする」


 昨晩、男の身の回りの世話をしていた小姓が頭を下げた。


 弟子入りを許可された居並ぶ顔は、せいぜい二十歳前後。舞姫にいたっては十歳にも満たない。どの顔も現代の日本の同じ年頃の若者に比べればサムライの剛毅さの片鱗を見せていたが、命のやりとりが日常茶飯事の戦国時代にあっては当然のこととして男は受け止めた。


 技の継承は領主の意向に従い、亜の国以外への流出を禁じられた。


「姫さまも弟子入りとは・・・・・・」


「私が幼すぎる・・・・・・と言いたいのか?」


「・・・・・・はい、実のところ・・・・・・」


「爺、されば試してみよ、ここに居並ぶ全員を。爺の眼からみて役立たずと思われる者は私を含めて弟子入りを拒んでも構わん」



 役立たずの烙印を押されてまでおめおめと生きていられる者は一人もいないだろうことは、揶揄する舞姫の言葉に憤慨するその表情を見るだけで十分だった。


 とはいえ、素質が皆無のものを弟子入りさせる無駄はしたくない。一通り剣術、槍術、弓術などの技量、そして一人ひとりのサムライとしての覚悟の程を見極めることにした。


 どんな技術であろうとも、生死を分かつところで死地へと飛び込む勇気のない者には何の役にも立たない、そんな輩は所詮ものにはならないことを男はよく知っていたからである。

 そして驚かされたのは今度は、男の番だった。


 もっとも戦闘力が低いと思われた舞姫こそは、何をさせても他を寄せ付けない圧倒的な素質を見せつけたのだった。


 他の者達が期待できない程度の輩であったのかと言えば、そうではない。


 武術家としての目で見ても、次期後継者として育てて、全くそん色ない若者たちであったのだ。

 その中でも、舞姫の素質の非常識さは抜きん出ていた。お手玉遊びが似合いそうな華奢な身体からは到底信じられない、速さと力強さを備えたその攻撃を、まともに受け止めることのできた相手は唯の一人もいなかったのである。


「どうだ、爺。納得したか?」


 あどけない顔にやや大人びた笑顔を見せ、額にきらりと汗を光らせた舞姫は、男の顔を覗き込んだ。並んで立てば、男の胸の高さでしかない幼女のどこにそんな力が秘められているというのか、男の興味は俄然かきたてられた。 


「されば今度は、私が皆の相手をさせていただきます。技を知っていただくのが一番手っ取り早いというもの。私の技に魅力を感じなければ、私の方こそ師匠として認めていただけなくとも結構でございまする」


 男は、小姓御浦信繁を手始めに、それぞれの好みの得物(武器)で己と立会わせた。


 むろん 男は素手である。


 一見無防備に構えて見える男に向かって、まるで吸い込まれるかのように若きサムライたちは、己の武器を無遠慮に打ち込んだ。


 結果、十数人すべてが秒殺・・・・・・本物の戦場でならば 仕留められたことすらわからぬまま死んでいただろう。実際に男の技を受けた彼らの表情は驚愕というレベルすら超えていた。


「どうやって?・・・・・・ いつの間に倒されたのだ・・・・・・おぬし見ていただろう。教えてくれ、俺には動きがまるで見えなかった・・・・・・」


 御浦信繁は、己の倒されたときの様子を他の同輩に聞き出そうとしたが、聞かれたほうもどんなに穴の開くほど観察しようと実際に立ち会おうと、その倒され方を理解することも説明することもできなかった。


「まるで”あやかし”か何かにだまされたとしか思えんぞ・・・・・・これだけの人間が必死に目を凝らして観ていて”見えない”ということなどあるものか!・・・・・・」


 最後に舞姫と立ち会った。


 今度は男は小太刀の木刀一刀である。


 舞姫は昨日の、この国一番の剛の者、龍ノ介があっさりと男に敗れるその様をしっかりと眼に焼き付けていた。


 小太刀をだらりと下ろしただけの構えをみせる男に、遠い間合いから一気に斬りかかる舞姫にとって、先手に振り下ろした己の剣が空を斬ることは、十分予想の範疇だった。


 すぐに斬り返して水平に男の胴をなぎ払うという、一瞬で十文字形に斬る舞姫がもっとも得意とする連続技で勝負した。一撃目をかわすことができてもその二撃目で悶絶させることのできなかった相手は、今まで一人も存在しなかったのだ。


 今度こそ相手を捉えた、と確信した。が、舞姫の木刀はやはり虚しく空を斬っただけで終わった。


 男の反撃をこらえねば、と瞬時に構えなおす舞姫は、さらにとんでもない光景を見せつけられるはめになった。


 二撃目で仕留めるはずだった相手は、水平になぎ払った舞姫の木刀の上に、まるでその体重がなくなったかのように、天に向かって直立していたのだった。


「おおお!」


 木刀の上に立つ男を除き、その場の全員の驚愕の声が一斉に沸き起こった。


 剣を水平にしたまま動けない舞姫は 唖然とするばかりであった。


 必死の思いで、もう一度斬り返しを試みようとしたその瞬間、男は音もなく舞姫の剣の鍔元に寄ってくるやいなや反撃する隙すら与えず、その小太刀は舞姫のノド元に当てられていた。真剣ならばすでに絶命している。


 完敗だった。


「いったい、どうやったらそんなことが出来るというのだ・・・・・・ 私の木刀には爺の重さなど何も感じなかったぞ。とても木刀の上に爺がいたなどとは信じられぬ・・・・・・」


「もう一度、もう一度だけお願いする」


 男は、己の力量を知らないが故ではなく、経験したことも出会ったこともない大きな存在に、己の持てる力を全てぶつけてみようと試みる舞姫の一途な心に好感を覚えた。舞姫の技量とて並ではないのである。 


 二度目の立会いでは、舞姫は男に先手を取らせることにした。男は舞姫の意図を悟ったかのように、小太刀を片手にスルスルッと間合いを詰めてきた。無造作としか言えない、傍から見ていれば、なんとも間の抜けた動きである。


 しかし、その予備動作も攻撃の意思をも消し去った一撃は、達人でもない限りかわすことは難しい。その小太刀の一撃を、どうにかかわし得たのは舞姫の図抜けた素質を物語っている。


 再び勝ちを確信した渾身の舞姫の剣撃は、男の残像をすり抜け、むなしく床を叩いただけだった。気が付いたときには天井の羽目板が視界いっぱいに広がっていた。


 人は、己の予想を超えた攻撃には恐ろしいほど脆い。例えその攻撃の力が指一本ほどのものであったとしても、いともあっさり倒されてしまう。


「姫さま・・・・・・ お見事です。並みのものなら、私の最初の一撃で決まっていました」


「爺・・・・・・ いや、師匠と呼ばせていただく・・・・・・ 私は己が恥ずかしい。今の今までこの世で一番強いのは、この私だと思い込んでいた。どんなに屈強な武士といえども私の敵ではないと侮っていた。上には上がいることを今日ほど思い知らされた事はない・・・・・・ 私はこの国に、どんな大国にも負けないサムライの集団をつくりたい。弱小大名家が生き残るにはそれしかないのだ・・・・・・ 爺、いや 師匠、よろしくお願いいたします。このとおり」



 舞姫は転がされたその場にあらためて座り直し、他の家来とともに深々と頭を下げた。


 戦国という殺伐とした世界では、十歳にも満たない幼子でさえもが、必死に生き抜く方法を模索しなければならないという、過酷な現実と真摯な覚悟の程を男は肝に銘じた。


 舞姫の斬撃の破壊力によって、床に食い込んだ木刀を見るに及んで男は己の持つ技の全てを、ここにいる新たな弟子たちに伝えようと決心した。


「武術、剣術、体術、武器術だけではなく戦に勝つための方法を、すべて学んでいただきます。・・・・・・ それから私のことはいままで通り”爺”とお呼びください、姫さま」


「底知れぬ男だな、爺は・・・・・・ もし敵方であったらと思うとぞっとするぞ!」

 

 この日の稽古を終え、仮住まいに戻った男は小姓と再び顔を会わせた。


「お師匠様。昨日お召しになっておられたもの、洗っておきました」


 差し出された、この時代に持ち込んだ唯一の『Tシャツ』と『パンツ』


「俺にはもう不要のものだ、捨てておいてくれ」


 生まれ故郷の、未練を断ち切る意味を言外に含んで小姓に伝えると

「あの・・・・・・ お師匠さまが不要ということでしたら、せっしゃいただいてもよろしゅうございますか?」


「なんだ おれの身につけていた古下着でもいいのか? おかしなやつだな・・・・・・好きにしていい」


「あ、ありがとうございまする。大切にいたしまする」


 にこにこと躍り上がらんばかりに平伏する小姓の姿に思わず苦笑いする男であった。


 これが後に、財政難のこの国を救う切り札となることなど、男はもちろん小姓にもこのとき想像すらできなかったことは言うに難くない。


 それはまた亜の国の別の物語・・・・・・ 



 こうして、後に戦国の世の謎の戦闘集団として語り継がれたサムライたちの師弟の契りが交わされ、翌日以降、今まで経験したことのない地獄のような訓練の毎日が待っていようなどとは夢にも思わぬ舞姫と若サムライたちであった。

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