11. 眼鏡の示す先
「――それで、領主とギルドのどちらに行く?」
「ギルドだろうな、どこ行っても付き合わなきゃなんねえ」
「領主を味方につけたほうがよくないか?」
「そんなもん、他の領地に行っちまえば関係ねえだろ。それとも、ここで一生暮らす気か?」
「……そうだな。あまり長居する
(仕方ないとはいえ、酷い言われようだ……)
荒屋の片隅で、少年はその会話に聞き耳を立てていた。
両手両足は縄で縛られ、口には布で
眼鏡はない。どこかで落としてしまったようだ。
ブレイズたちに、『リオン』と名乗った少年である。
どうせ防壁へ同行することは
昼時で宿の食堂が忙しくなれば、当然、部屋のほうへ向けられる人目も減る。そんな時間に一人で無防備に寝ていれば、それはもう留守であるのとほとんど変わらないだろう。
滅多に宿泊客の来ない宿の防犯体制など、そこまで期待していいものではない。野営のつもりで、とまではいかなくても、街道沿いの宿と同じ感覚でいてはいけなかったのだ。
足音を殺して宿の裏口から入り込み、
手段と侵入経路は、そんなところだろうか。
聞こえてくる会話からして、自分たちの素性を知っての狼藉ではなさそうだ。少年の素性を知っていれば迷わず領主のもとへ行くだろうし、ケヴィンの素性を知っていれば、そもそも手を出さないだろう。
ただの物取り、強盗の
(運がいいやら、悪いやら)
自分の素性が割れていないこと、それにもかかわらず命を取られていないこと。これは幸運と言える。
眼鏡がないので少々視界がぼやけているが、どこに何があるのかくらいは分かる。
縄だって普通の縄だ。火の初級魔術で、こっそり焼き切ることは難しくない。
(その気になれば逃げることはできる、けれど……)
聞こえてくる喋り方からして、片方は元々それなりに良い家の出自なのだろう。でなければ、ただの紙切れだと手に取りもしなかったはずだ。
(
このまま放置して、彼らに使わせるわけにはいかない。
◆
昼食を済ませて食器を洗った後、ブレイズはラディ、ウィットと共に、市場の布を扱う区画に来ていた。
もっとも、買うものが買うものなので、どの店に行くのかはラディ任せだ。ブレイズは彼女の後ろをついていって、財布と荷物持ちに徹するつもりでいる。何かあった時のために剣は
今日のラディは、シンプルな麻のワンピースに編み上げサンダルを履いた、ただの娘のような格好をしていた。
午前中、ウィットが抜ける代わりにカチェルの手伝いで家事や書類仕事をしていたそうだから、こちらのほうが動きやすかったのだろう。彼女の場合、大抵の危険には魔術で対処できることだし。
「ウィット、どんな服がいい?」
「汚れても良くて動きやすいの。……ていうかさ、下着はともかく服のほうは、ブレイズのお下がりで全然構わないよ僕」
「そこは
ラディはウィットが着ているチュニックをちらりと見て、「それに」と続ける。
「その服、大きめだけど子供服だからな……。似合ってないわけじゃないけど、ウィットの
「僕には違いがよく分かんないんだけど、それは確かに世間体がやばそう」
「うん、今は
(……酷え言われようだ)
言葉を濁すラディの後ろで、
女ふたりの取り留めのない会話を右から左へ聞き流しながら、なんとなく周囲を見回していた。
布や服を扱う区画は、市場の中でも端のほうにある。
食品や香辛料などの臭いがつくのを嫌ってのことだと、幼い頃、ギルドの大人に教えてもらった。……名前も顔も、もう覚えていないが。
商品のほとんどを街の外からの輸入に頼っているため、食料品の区画と同じく、今の時期は商品が少なく閑散としている。次の仕入れまで、店を閉めているところすらあった。思い切りが良すぎる。
(下着はともかく、服はもうちょい待ったほうが色々選べて良かったかな)
今更ながら思い当たるが、そろそろルシアンが仕入れのために警備当番から抜ける予定なので、次にラディと休みが合うのがいつになるか分からない。
ウィットには少々妥協してもらって、一着か二着、着るのに抵抗がないものを選んでもらおう。仕入れが終わった頃に、また買いに来ればいいのだ。下着でなければ、ブレイズだけでも連れてこれるし。
「なあ、思ったんだけど」
「ん?」
まとめた考えを口にすべく、ブレイズは声を上げる。
ウィットがそれに反応し、こちらを振り向こうと首を巡らせて――。
「……ウィット?」
その瞳が、店と店の間にある細い路地に向いた瞬間、彼女の動きが止まった。
訝しむブレイズの声に一瞬遅れて、ラディも足を止める。
じっ、と路地を見つめる視線を辿ると、何かが陽光を反射してキラリと光った。
ガラスの破片か何かかと思ったが、違う。同じくらいの大きさのものがふたつ、きちんと並んでいる。
そこまで認識したところで、ウィットがするりと路地に入りこんだ。
ブレイズたちが何か言う間もなく
「それ……」
「眼鏡、か?」
接地していた部分が土で汚れているが、全体的にきれいな状態の眼鏡だった。
レンズに小さくヒビが入っているが、それ以外に壊れている部分は見当たらなかったし、粗末な造りでもない。
それなりに高価なものだろう――もし落としたら探し回るだろうと、容易に想像できる程度には。
「これ、あの子がかけてたのに似てない? ええと……リオン、だっけ」
ウィットの言葉に、ブレイズとラディは顔を見合わせる。
きれいな状態の眼鏡。
小さくヒビの入ったレンズ。
……まるで、少し前に落としたばかりのような。
視線を、路地の奥へと向けた。
「……きな臭えな」
こくりと、ラディが頷く気配がした。
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