12. 背負うもの

 ケヴィンという客人がギルド支部に駆け込んできた時、リカルドは夜勤明けの仮眠から起き出して遅めの昼食を取っているところだった。


 ラディが作ったという、山鶉やまうずらのソテーと野菜のスープ。鶉は大山脈のふもとで捕れたものだろうか、しっとりと火が通っていて美味い。

 強いて言うなら味付けが少々淡白だったが、おそらく味覚の鋭いブレイズへの配慮だろう。あれは昔から、香草や香辛料が苦手なのだ。

 半分ほど食べてから、テーブルの上に黒胡椒の瓶がちょこんと鎮座しているのに気がついた。


(あ、美味い)


 胡椒をかけると、ぼやけていた味の輪郭が引き締まる。野菜スープは塩味が優しく、パンと一緒に舌を休ませてくれた。


 コップに注いだ水を飲み干して席を立つ。

 食器を洗おうと皿を手に取ったところで、ギルドの受付に繋がる扉がそっと開いた。そこからにょきりと、青灰色の頭が生えてくる。セーヴァだ。


「リカルド悪い、警備交代できるか」

「構わないが、今日の当番ルシアンはどうした?」


 答えながら、食器を流しに置いて水に浸ける。洗っている時間はなさそうだ。

 セーヴァは受付おもてを気にするそぶりを見せながら、低い声で言う。


「……昨日来た連中が駆け込んできた。連れの一人がいなくなったらしい。宿の部屋が荒らされていて、金目の物がいくつかなくなっていたそうだ」

かどわかしか」

「おそらく、とただし書きは付くがな」


 午後は街歩きでもしようと思っていたので、服装は問題ないはずだ。

 近くの椅子に置いていたナイフとポーチを腰のベルトに下げる。


「ルシアンが捜索に加わりたがってる。やけに焦ってるように見えるが……」

「では代わろうか。そういうことなら、私よりあの子のほうが役に立つだろうしな」


 セーヴァの肩を押して扉をくぐると、ギルドの出入り口近くで、見覚えのある深緋色の髪が波打っていた。

 受付カウンターから出ると、ルシアンが警備の腕章を手に持って駆け寄ってくる。


「待たせたかな」

「いえ、こちらこそすみません。お願いします」

「うん、任された。行っておいで」


 腕章を受け取りながら、逆の手でルシアンの背をぽんと叩いてやる。

 ほっとした表情をしたルシアンが、「行ってきます!」と声を上げて出ていった。

 こちらにひとつ目礼をして、ケヴィンがその後ろを追いかけていく。


「……背負うものがあるというのは、大変だなあ」


 根無し草の賞金稼ぎとなった自分には、よく分からない世界だ。

 魔境の南、故郷で家を継いだだろう末の弟を思い出して、リカルドはゆったりと笑った。



 ◆



 陽光が入りにくく薄暗い路地を、ブレイズを先頭にして進んでいく。その後ろをウィットが歩き、最後尾はラディが守っている。

 ウィットをギルドに戻すことも考えたが、この周辺あたりには初めて来たらしく、一人で戻れるか不安そうなのでやめておいた。それでうっかり変な道に入ってしまって、別の危険に巻き込まれるほうが厄介だ。

 一緒にいれば、大抵の危険からは守ってやれる、と思う。最悪、ラディが上空に火球でも撃ち出せば、何ごとかと領兵が集まってくるだろう。


 布の区画は、ファーネの市場の端に位置している。その路地の向こうにあるのは、十年前、ファーネを出ていった者たちに打ち捨てられた廃屋の集まりだ。

 元は針子や仕立て屋の仕事場だったのだろう、雨ざらしにされて腐った木の看板らしきものが、傾いたドアの足元に転がっている。

 もっと奥に進めば、彼らの住まいだったものがあるのだろう。しかし、そこまで深く入り込む気はなかった。ラディは荒事に向かない装いだし、何よりウィットを連れていては無茶ができない。


(一人で来たほうがよかったか……?)


 今更ながら、そう思った。

 ラディにウィットを任せて、ブレイズ単身ひとりで来れば、もう少し奥を見に行っても良かったのかもしれない。

 今からでも二人を表通りに戻そうか、と口を開きかけたとき、ざり、と地面をにじる音がした。近い、すぐ後ろだ、振り返る。


「どうした」

「魔力が」


 声をひそめて問うと、音の主、ラディが短く答えた。視線を横に向けている。

 ブレイズ同様、その手の感覚がないウィットが不思議そうな顔をしているのを、ラディのほうへ押しやった。


「一定の間隔で、弱い火の魔術が発動している」

「距離は?」

「大股で六、いや七、遠ざかってる!」


 それを聞いた瞬間、ブレイズはラディの視線の先にある廃屋のドアを蹴り開けた。

 ろくに手入れのされていない扉は簡単に外れ、廃屋の内側へ倒れていく。

 その上を踏みつけて、ブレイズは抜剣しながら中へと踏み込んだ。


「何だァ?!」


 酒焼けしたようなしゃがれ声が聞こえた。そちらを見ると、いかにも賞金稼ぎ崩れ、といった風体の男が二人。

 ブレイズたちが入ってきたのは表のドアだったようで、裏口のドアから出ていこうとしていた、ように見えた。

 男たちの間に、見覚えのある亜麻色の髪。


「――見つけた!」

「おっとぉ!!」


 速攻で片をつけようと足を踏み出すブレイズを制するように、手前に立っていた、禿頭の男が亜麻色の髪をわし掴む。

 こちらに対する盾にするように、その少年を引きずり出した。

 眼鏡のない、けれど知っている顔だ。


「リオン!」

「動くなよ! 知り合いなら尚更いい、下手な真似しやがったらこの場で殺すぞ!!」


 しゃがれた声でそう言い放って、男はナイフを少年――リオンの首元に当てる。

 ナイフには見覚えがあった。昨日、リオンが腰の後ろに差していたものだ。奪われたのだろう。

 リオンは布で口を塞がれており、両手は見えないが、後ろ手に拘束されているようだ。あれでは、彼の抵抗は期待できそうにない。


(くそ……!)


 じりじりと、男たちが後退していく。

 ブレイズたちは見ているしかできない。


 ――と、その時。

 男に引きずられるままだったリオンの目に、力が入った。

 後ろでラディが息を呑む気配。

 リオンの顔の左側に火が灯る。それはリオンの口を塞ぐ布を、その右頬ごと焼いた。


「――ッ燃やしてください!! 私ごとでもいい!!」

「てめぇ!!」


 布を吐き捨てて叫ぶリオンの髪を、しゃがれ声の男が強く引き寄せる。

 痛みに顔をしかめながら、リオンはその力に逆らわず、背中から男へ体当たりした。


「っづぅ?!」


 思わず、といった様子で、男がリオンの体を前方、ブレイズたちの方向へ突き放す。

 その腹のあたりが黒く焦げている、と気づいた直後、男とリオンの間に突風が吹いた。まるで二人の距離を離そうとするように、男のほうを吹き飛ばす。


「ブレイズ、リオンを!」


 ラディの声だと認識した瞬間、ブレイズは駆け出していた。

 リオンをこちら側へ、と手を伸ばしかけ、その手で剣を握り直して持ち上げる。


 もう一人の、無精髭を生やした男が頭上から振り下ろした剣を、刃の根元で打ち払った。

 男の、錆びかけの刀身がぼろりと崩れる。


「……いい得物ものを持ってるじゃないか」


 無精髭の男は皮肉げな薄笑みを浮かべると、柄だけになった剣をその場に放り捨てた。

 跳ぶように後退し、ブレイズと距離をとる。


「リオン、こっち」

「すみません」


 横手から、ウィットとリオンの声が聞こえる。

 気づかないうちに、ウィットが飛び出してきていたようだ。


「……んの、やろおおおおぉァ!!」


 一瞬、訪れた静寂を裂くように、しゃがれ声の怒号が上がった。

 反射的にそちらを見れば、ラディに吹き飛ばされたはずの禿頭が、憤怒の表情で一歩、こちらに――。


(――違う!)

「ウィット!!」


 しまった、と思った。無精髭をを警戒するあまり、反応が遅れた。

 禿頭の男が睨みつけているのは、リオンだ。


「近寄るな!!」


 ラディが叫ぶのが聞こえたと同時、首の後ろが熱くなり、背後から火が躍り出る。

 それは腐りかけの床板を舐め、禿頭の目前に、燃え盛る壁として立ち塞がった、が、男は構わず踏み込んでくる!


「お、おい!」


 慌てたような無精髭の声、禿頭の半身が炎に突っ込む。頭に血が昇っているのか、怯む様子はなかった。

 振り上げた腕の先で、ナイフが炎の色に光る。

 リオンを庇うように、ウィットが身を乗り出して。


「ッ――!!」


 二人の前に割り込もうと床を蹴りながら、間に合わない、と頭の隅で悟ったとき。


 視線の先で、ウィットの瞳が色に光った気がした。

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