10. 評価と異変

 もうすぐ昼飯時、という時刻になって、ケヴィンとマーカスが見張り塔を下りていくのが見えた。

 どうやら、見るべきものは見たようだ。


「ウィット、そろそろ戻るぞ」

「はーい」


 少し離れた壁にもたれて魔境を眺めていたウィットは、ぱっと身を起こすとブレイズのそばへ寄ってきた。


「付き合わせて悪かったな、退屈だったろ」

「ううん。一回来てみたかったし、いい気分転換になったよ」

「なら良かった」


 小声で短く会話して、見張り塔の階段を下りていく。

 表向き、防壁を登りたがるウィットに保護者のブレイズが付き合った形だ。ウィットが快く口実になってくれて助かった。


「頼んだらまた登らせてもらえるかな」

「あんま仕事の邪魔するのも悪いし、時々にしとけよ」


 はぁい、と少し甘えたような声で返事をするウィットを、すれ違う領兵たちが微笑ましく見ていた。

 先ほどウィット本人にも言ったが、あの雷雨の夜、青白い顔でぐったりとブレイズに背負われていた姿を、魔猪の襲撃で防壁に集められた領兵のほとんどが見ていた。彼女がこうして元気に動いているのが当然ではないと知っているからか、どうにも領兵かれらはウィットに甘くなりがちだ。

 今回ウィットを連れてきたのは、そのあたりを当てにしていたのもある。……善意につけ込むようで、領兵たちには悪い気もするが。


 見張り塔を下りると、ケヴィンとマーカスが待っていた。領兵たちに軽く挨拶をして、防壁を離れる。

 十分に離れたところで、ブレイズは口を開いた。足は止めない。まだ領兵たちから見える位置だ、ここで立ち止まると怪しまれる。


「……で、どうだった?」

「論外だった」


 切って捨てるように短く答えて、ケヴィンは深くため息をついた。


「……いや、領兵どもがたるんでいるのはまあ良……くはないが、仕方ない。国軍なら再教育対象だが」

「こう言っちゃアレっすけど、所詮は貴族の私兵っすからねえ」

「だが防壁の維持があれ・・ではどう考えたってまずいだろう……いつ破綻してもおかしくない」

「……具体的にどうだったんだ?」


 マーカスに聞いてみると、彼は頭痛を堪えるような顔になる。


「まず点検のための人を寄越さないんで、定期的に防壁の状態をチェックすんのは領兵のお仕事の一つだそうで……。彼らも素人っすからね、分かりやすく崩れてなけりゃあ、修繕が必要かどうかなんて分からんでしょう」

「……いざ修繕が必要と判断して報告を上げても、費用が高すぎると言われて予算がろくに下りないそうだ」

「実際のところどうなの? 防壁の修理って高いの?」

「高くならざるを得ない」


 ウィットの質問に、ケヴィンは足を止めて答えた。

 ギルドの建物が見えてきている。これ以上進むと、今度はファーネの住民に話を聞かれる恐れがあった。


「防壁の修繕ができる職人は、ファーネにはいないそうだ。だからまずは、その職人がファーネに来るまでの旅費と護衛代、ファーネに滞在している間の宿泊費がかかる。それから魔境側の修繕をしている間は獣からの襲撃に備えて職人の護衛に人を割かなければならんし、そもそも仕事中にそういった危険があるのなら、その分は職人の賃金に上乗せするものだ。でないと引き受ける職人がいない」

「めちゃくちゃお金かかるんだねぇ……で、そのお金が出せないと」

「ああ。それでやむなく、領兵が素人なりの修繕をして凌いでいるそうだ」

「うわぁ……」


 絶句するウィットの隣で、ブレイズは防壁を振り返る。

 半月前に魔猪の突撃すら耐えた防壁は、思っていたよりも危ない状態であるらしい。


「あの防壁がまだってるのって、実は凄いことだったのか……」

「俺も領兵さんに同じこと言ったんすけど、『分かってくれるか!』って、色んなこと喋ってくれましたねえ」

「苦労話としてな。……とにかく、防壁の現状はだいたい分かった。二人とも、協力に感謝する」


 ケヴィンが話を切り上げて、再び歩きだした。マーカス、ウィットと続いていくのに、ブレイズもついていく。


「……この後はどうするんだ?」

「宿に一度戻って、リオンの様子を見てくる。元気そうなら午後は市場だ。あいつはファーネの物価を調べに来たようなものだからな」

「帰りの分の保存食も買っておきたいところっすねえ。おすすめの店あります?」

「宿屋の旦那に頼んで分けてもらえ。早めに言っとけば黒パンも焼いてくれる」

「市場に行く意味」

「仕入れの時期なら、西の港街カーヴィルから来た魚の油漬けマリネとか売ってっけど……今はなあ」


 今は、支部長――今回は代理のルシアンが、そろそろ仕入れに出るかと警備の当番を調整している時期だ。月の中で、最も売り物が少ない時期とも言える。

 こんな時期に売られている保存食など、古くなって処分する寸前のものを、叩き売っているのがほとんどだ。これから旅に出る彼らが買っていいものではない。


 案内してやれればいいのだろうが、今日の午後は、ラディと一緒にウィットの服を買いに行く約束をしている。

 こちらの主な目的はウィットの下着なので、同行させるのは気の毒だろう。ブレイズだって、セーヴァに「ちゃんと面倒を見ろ」と釘を刺されていなければ、財布だけ渡してラディに丸投げしていた。


「……ま、行くなら裏通りに入り込みすぎんなよ。時々、どっかから流れてきた賞金稼ぎ崩れ・・が勝手に住み着いてたりすっから」

「む、そうか。覚えておこう」


 昼食は宿の食堂でとるという二人と別れて、ブレイズとウィットはギルドへ戻ることにした。



 ◆



 ブレイズたちの姿が見えなくなると、ケヴィンは深く大きくため息をついた。


「ある程度の覚悟はしていたが……あいつが落ち込みそうな話ばかり聞こえてくるな」

「リオン坊っちゃんっすか? 大丈夫っすよ」


 なんでもないことのように言ったマーカスに、ケヴィンは怪訝な顔を向ける。

 その視線を受けて、マーカスは肩をすくめた。


「とっくにドン底っすから。あれ以上落ちようがないでしょ」

「……いや待て、僕の知らないところで何があった」

「実は昨夜、坊っちゃんに頼まれて宿の酒場にちょっくら聞き込みに行きまして」


 坊っちゃんじゃ育ちの良さが透けちゃって酒の席には向きませんからねえ、と言いながら、マーカスは宿へ向かう歩みをやや遅くする。

 周囲へ視線を走らせる様子に、あまり聞かれたくない話と察して、ケヴィンはマーカスのほうへわずかに身を寄せた。


「食料品や布物のだいたいの値段を聞いてきたんっすけど、坊っちゃんいわく――」


 一瞬だけ、マーカスはケヴィンの耳元に唇を寄せる。


安すぎる・・・・、と」


 低い声で、ぼそりと言った。


「……それで?」

「つまり、誰かが無理・・をしてるってことっすね。もうちょい詳しいことは坊っちゃんから聞いてください、今計算してるそうなんで」


 そうか、とひとつ頷いて、歩調を元の速さに戻す。

 宿に入ると、カウンターには主人マスターの一人娘が立っていて、「お帰りなさい」と声をかけられた。


「残していった連れはどうしてる?」

「朝ごはん食べた後、もう少し寝るって部屋に戻ってったわ。……だから、ベッドのシーツまだ代えてないの」

「ああ、それは構わない。気を遣わせてしまったな」

「いえ、そんな……」


 ケヴィンが笑いかけると、娘がはにかんで淡く頬を染める。

 背後でマーカスが「うっわ……」と呟くのが聞こえた。部屋に戻ったら覚えておけ。

 食堂のほうから刺すような視線を感じたので、軽く会釈してその場を離れ、宿泊部屋のある上階へ向かった。


「罪な男っすねえ」

「同年代の異性に免疫がないだけだろう。……地元の男どもは、父親がしっかり牽制しているようだしな」

「やっぱあの旦那っすか、さっきの気配……」

「僕は機嫌を損ねてしまったようだ。保存食の交渉は任せたぞ」

「ええー……」


 ぐだぐだと無駄話をしているうちに、昨日から泊まっている部屋の前へたどり着く。

 マーカスが扉を軽くノックして、声をかけた。


「リオン坊っちゃーん、ただいま戻りましたぁ」


 返事を待たず、マーカスはがちゃりと扉を開ける。

 部屋には荷物が散乱しており、彼らの連れである少年の姿も、見当たらなかった。

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