09. 防壁の上で

「ええっと、まとめると『王立学院で軍事系やってた防衛施設愛好者マニア南の防壁ここを見るためにわざわざ王都からファーネまで出向いてきた』と」

「うん、まあ……」

「……学院の連中ってみんなそんなんなの?」

「少なくとも俺の知ってるやつは、数年ぶりの手紙に虫の越冬と寿命の関係とか中央大陸の端から端まで大移動する蝶の話とかをびっしり書いてきやがったけど」

「そっかあ……」


 少しの間、遠い目をしてから、その領兵は「班長に掛け合ってみるわ」と見張り塔に入っていった。

 周囲に他の領兵の気配がないことを確認して、ブレイズは後ろを振り返る。


「……ってわけだから、あとは上手くやれよケヴィン」

「恨むぞオーデット……」


 顔を引きつらせているケヴィンの横で、マーカスが腹を抱えてうずくまった。

 朝に作戦を伝えてから、二人ともずっとこの調子だ。


 ――ラディが提案してきたのは、『防壁が好きで好きでたまらない男が、王都からわざわざ辺境までやってきた』で押し通せ、という力技だった。

 学院を出て国軍に所属しているなら軍事知識はあるだろうし、フォルセの友人なら、彼が虫のことを語る時の様子を真似ることだってできるだろう、というわけだ。

 平たく言えば、防壁キチのふりをしろ、ということである。


「……っくく、まぁ、下手に正当性のある理由を持ち出さないほうがいい、って意味では適切っすよ……ぷっ」


 言いながら、マーカスがなんとか立ち直る。まだ肩が震えているのを、ケヴィンがじろりと睨みつけた。やや間延びした喋り方をする男だが、今はそれがまた癇に障るようだ。

 ちなみにリオンはここにはいない。ファーネまでの旅の疲れが出たらしく、昼までは宿で休むことにさせたそうだ。何かあれば、宿からギルドに知らせが入るようになっている。


「不意打ちでそういう正当性を振りかざされると、『裏で何かが動いてるんじゃないか?』って警戒するモンっすからねえ」

「ああ、例年と違うタイミングで起こる抜き打ち検査とかな。大抵どこか別のところで起きた不祥事の余波だったりするが」

「あー、あったあった。持ち込み禁止の物品ものが見つかって、一斉に持ち物検査とか」


 ブレイズの隣で、ウィットがこくこくと頷いた。今の会話で、うっすら思い出すことがあったらしい。


 ウィットを連れてきた理由は二つある。

 一つは、防壁の上から魔境を見せたら、何か思い出すことがないかという期待。今の、様子のおかしい魔境に立ち入らせるのは危なっかしくて無理だが、防壁の上から一望する程度ならいいだろうと判断した。

 もう一つは、この交渉の成功率を上げるための後押しだ。ケヴィンたちとは別口で、ウィットを防壁の上に登らせてやれないかと先ほどの領兵に頼んでいる。両者がいる前で、片方を許可してもう片方は駄目というのは、心情的に言い出しにくい。厳格な組織であれば、そこを押し殺してきっぱりと断るのだろうが……、普段から子供たちを防壁に登らせてやるような気のいい・・・・連中だ。おそらく、そうはならないだろう。


 ちなみに、もしブレイズたちだけが許可されてケヴィンたちが断られた場合、「どうしてあの子供は良くて僕たちは駄目なんだ?!」とケヴィンが全力で駄々をこねる手筈になっている。これを提案した時のケヴィンのはもの凄い表情かおをしていたし、マーカスはそこで一度腹筋をぶっ壊した。


「しかし、実際に近くで見ると……」


 防壁を見上げて、ケヴィンが苦々しい口調で呟く。


「ボロいな」

「造りはしっかりしてますけどねえ」

「しかし内側でこれだろう? 外側はどうなっているやら」


 二人の会話を横で聞いていると、先ほどの領兵が、班長とやらを連れて戻ってきた。ブレイズより少しばかり年上に見える、若い男だ。


「防壁内部の見学については、私の案内に従って頂けるなら許可しよう。……ブレイズ、そっちは案内いらないな?」

「勝手に登っていいのか?」

「ああ。……今日は少し風が強い。ウィットは飛ばされないように気をつけるんだぞ」


 班長はウィットの頭をそっと撫でて、それからケヴィンたちを連れて行った。



 ◇



「なんか、みんな微笑ましい目で見てくるんだけど」

「お前が死にかけだったのを見てるやつが多いからな。元気そうで嬉しいんだろ」


 見張り塔の階段を登って、防壁の上を歩いている。

 転落防止のためだろう、陸地ではあるが胸壁のような石の壁が両面に築かれていて、魔境側がやや高い。それでも、ブレイズの腰のあたりまでしかないが。


「風が気持ちいいねえ」


 魔境側の壁に寄りかかって、ウィットが心地よさそうに両目を閉じる。幸い、高所を怖がる様子はなかった。


「なんか思い出したか?」

「全然」

「だよな」


 そう言って笑うと、ウィットは不思議そうな顔をする。


「何か思い出すと思って、僕を連れてきたんじゃないの?」

「そうだけど、あんまり期待してなかった。一応見せとこうと思っただけだ」


 壁の向こうに広がるのは、一面の森。樹海の、濃い緑色。

 それだけ見たって、何か思い出せるとは思えない。


「俺も思い出せなかったしな」

「え?」


 きょとんとした目を向けるウィットから魔境へ視線を移して、ブレイズは告げた。


「俺とラディも、魔境の森で拾われたんだよ。それより前の記憶はない」


 ――今から、十四年ほど前。

 発見された『白の小屋』で、二人の子供が保護された。

 頭から血を流して倒れていた男の子と、魔力を暴走させて血まみれになっていた女の子。

 保護したのは調査に来ていた商業ギルドの者たちで、子供たちはそのまま、ファーネ支部に運び込まれた。

 目を覚ました子供たちは言葉もろくに話すことができなくて、結局、彼らが何者なのかは分からずじまい。

 最終的に二人を引き取ったのは、調査に同行していたファーネ支部の警備主任である、ジルベルト・エイスという男だった。


 ジルベルト――ジルには昔、二人の仲間がいたらしい。

 顔に火傷の痕がある戦士、ブレイズ・オーデット。

 ハルシャの神童と呼ばれた魔術士、ラディカール・“ノエ”・レガイア。

 ……もっとも、『ラディカール』のほうは神童として名が売れていたので、中央大陸こちらではレイリアという偽の姓を使っていたようだが。


「暴走させるほど魔力のあるあいつ・・・を見て、ジルは『ラディカール』を思い出したんだろうな。名前をそのままつけた。……で、逆に魔力がほとんどないは『ブレイズ』、と」

「それ、当人に許可取ったの?」

「とっくに死んでるんだと。俺らを拾うより何年も前に」


 だからケヴィンがギルド支部に来た時、故人あっちの『ブレイズ』を訪ねてきたのかと思った。故人を知っているにしては若すぎると、すぐにその可能性は否定したが。

 ちなみに、『ラディカール』はハルシャで有名らしい……というか、今でも『彼』にあやかって、息子にラディカールと名付けることがあるようだ。カチェルがファーネに来たばかりの頃に教えてくれた。いつか、『彼』の足跡をたどる誰かがファーネまで来るかもしれない。


 だが、『二人』を知るジルは十年前に死んだ。

 彼に友人の名をつけられたブレイズとラディだけが、こうしてファーネに残されている。

 自分が何者なのか、思い出せないまま。


「そっか……きみたちも、なんだ」

「ああ」


 もう一度、そっか、と呟いて。

 ウィットはブレイズと同じように、魔境へと視線を投げる。




「僕は……――――なかった、のか」


 独り言は風に流されて、ブレイズの耳には届かなかった。

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