05. ウィット

「人参三本に赤茄子五つ、ノリッツ芋がひとかご、塩が中袋でひとつ、よっし覚えた! じゃあ行ってくるね!」

「待て待て待て」


 黒髪の少女がギルドを飛び出そうとするのを、後ろ襟を掴んで阻止した。ぐえっ、とか言っているが、加速前に捕まえたので首が締まるわけないだろうに。

 少女が足を止めるのを待って、ブレイズは手を離す。


「財布持たずに何しに行く気だ」

「あっ忘れてた」

「籠も渡してないんだけど……」

「何しに行く気だったんだお前」

「ニ回言われた……」


 カチェルが少女に買い物用の大きなバスケットを渡し、それから小さな革袋を取り出すと中を開いてみせた。小ぶりな銀貨がひとつと、銅貨が大小合わせていくつか入っている。


「なるべく銅貨で払ってね。塩だけちょっと高いはずだから、そこは銀貨で。たぶん足りると思うけど、足りなかったら買わないで、お金取りに戻ってきて。お店の人にいいって言われても、後払いにしちゃ駄目よ」


 カチェルの言いつけに、ふんふんと少女が頷いている。

 後払いツケにするなと言っているのは、後で払いに行った際、口約束なのをいいことに代金を水増ししてくるやつがたまにいるからだ。

 信用できる店を指定して、そこ以外を使わないように言ってあるが、店の売り子が小遣い稼ぎにこっそりやることまでは防げない。


 カチェルが少女に、財布代わりの革袋を渡しながら言う。


「じゃあもう一回確認ね。買ってくるものは?」

「人参三本に赤茄子五つ、ノリッツ芋ひと籠、塩が中袋でひとつ」

「正解」


 まるで母親だなあと思っていると、医務室のドアが開いた。セーヴァが顔だけ出して口を開く。


「ウィット、お前まだ本調子じゃないんだから、あんまり走るなよ」

「わかった行ってきます!」


 言ったそばから中央通りを駆けていった少女に、セーヴァはため息をついた。カチェルが困ったように笑いながら、受付に戻っていく。


「そんなに心配しなくても、もう大丈夫だと思うけど」

「だといいがな」


 出入り口の横に立つラディが、少女の走り去った方向を心配そうに見つめていた。



 ◇



 ウィットネイト。

 ブレイズが拾った少女は、そんな感じの名前を名乗ったそうだ。

 伝聞でしかないのは、少女が目覚めた時にブレイズはラディと魔境の森へ調査に出かけていたからであり、少女自身が後に「そんなこと言ったっけ?」と首を傾げたからである。


 どうにも記憶がはっきりしないらしく、あの雷雨の夜に森でブレイズと遭遇したことも、それより前のことも、さっぱり覚えていないようだ。

 あの『白の小屋』の変化についても何も知らない様子だったので、こちらは領兵とギルド本部に報告だけして棚上げ、ということになった。本部への報告書は、ルシアンが発注のついでに届けてくれるそうだ。


 少女のことは、セーヴァが聞き取った名前を縮めて「ウィット」と呼ぶことにした。


 そのウィットは、動けるようになってすぐ、あちこち元気に駆け回るようになった。

 目に映る何もかもが珍しいと言わんばかりに、街中の建物や人々を、興味深そうに見て回っている。その様子からすると、ファーネの住人ではないのだろう。ジーンたち領兵に頼んで調べてもらったが、彼女を知る者はこの街に一人もいなかった。


 ただ、他の街の住人というのも考えにくい。

 目覚めた当初、ウィットの言葉はたどたどしく、まるで喋り方を忘れかけているようだった。筆談も試したが、まず文字を読むことができず失敗に終わった。どこかの街に住んでいたなら、こうはならないだろう。


 今、あのように話せているのは、ベッドから下りる許可が出るまでの半月、寝てばかりも暇だろうとブレイズたちが代わる代わる言葉を教えたからだ。

 ウィットは異様に覚えが早く、すぐに日常会話程度ならできるようになってしまった。近いうちに、簡単な読み書きもできるようになるだろう。

 主に文字を教えていたラディは、「共通語を知らなかっただけで、口が利けなかったわけではなさそう」と言っていたが……。




「総合すると、魔境の森の奥、未調査域に人間の集落がある可能性が高いな」


 医務室でウィットの診察記録カルテをつけながら、セーヴァが言った。


「お前とラディについては聞いた話しか知らんが、『白の小屋』はファーネからそこそこ距離があるだろう」

「そうか? わりと近いぞ?」

「そりゃお前らがまともな靴を履いてるのと、森を歩き慣れてるからだ。サンダル履きの素人なら倍はかかる。……で、ファーネから魔境へ入ったなら防壁の連中が見ていないはずがないし、あの辺りで発見されるのは、どう考えてもおかしい」

「でも実際に見つかってるじゃんか」


 反論するブレイズの手には、乳鉢と乳棒がある。非番オフで暇を持て余していたら、「なら薬作りでも手伝え」と医務室に引っ張り込まれたのだ。

 渡された白っぽい薄片を乳鉢に入れて、ごりごりとすり潰す。ウィットが目覚めた日、ブレイズが魔境で取ってきた一角大ウサギの角だ。下処理だけしてそのままにしていたらしい。


「そうだな。だが魔境の中に拠点、具体的には村や街があるとすれば、ありえない話じゃなくなる」


 どういうことか理解しかねていると、「例えば」とセーヴァが言葉を足してくる。


「魔境の奥地に、人間の村があるとする。どう考えても安全な立地じゃないからな、村からあまり離れるようなことはないだろう。しかし偶然、住民の一人がふらりとファーネの近くまで迷い出てしまった……」

「丸腰で?」

子供・・が迷子になったなら、別におかしくはないだろ。十五で成人とするのはあくまで王国法で、隣国ハルシャなら十三で成人だ。その村・・・で、あの子はまだ子供なのかもしれない」

「……想像つかねえな」


 ハルシャ皇国は、ファーネを領するマルヴェット王国の西方にある群島国家だ。カチェルの故郷だと聞いたことがある。

 ちなみにセーヴァは反対側、王国から海を挟んで東にある、東方大陸の出身だという。

 王国から出たことのないブレイズにとっては、どちらも遠い、別世界の話だ。


「魔境の外と交流がないなら、共通語が分からなくてもおかしい話じゃない。お前や・・・ウィットにさっぱり記憶がないことを加味すると、ひょっとしたら偶然迷い出たわけじゃなく、薬か何かで人為的に記憶を……ま、ただの仮説か」


 ブレイズが話についてこれていないのに気づいてか、セーヴァはそこで話を打ち切った。

 最後にえらく不穏な話をされたような気がするが、聞き返すのはやめておく。詳しく説明されても、たぶん分からない。


「どのみち、当の本人が覚えてないんじゃ家に帰しようもない。治療の経過も見る必要があるし、しばらくはうちで過ごさせる」

「ああ、わかった」

「当面はカチェルの手伝いをさせるが、拾ってきたのはお前なんだから、ちゃんと面倒見るようにな」

「犬猫じゃねえんだから……」


 言いながら、具体的にどう面倒を見ればいいのかと考える。


 とりあえず、きちんと服を買ってやるべきだろうか。

 今ウィットが着ているのは、ブレイズが数年前まで着ていたお下がりだ。森で彼女が着ていたあの黒い服は、見た目も生地も珍しく街中で浮いてしまうので、洗濯してチェストにしまい込んである。

 目覚めても男だか女だかよく分からないやつだから、男物の服もよく似合っていたが、本当は女物の服を着たいのかもしれない。服飾ファッションには詳しくないので、どんなものを買えばいいのか見当もつかないが。

 ちなみにラディのお下がりも残っていたのだが、ウィットにはきつくて入らなかった。ウィットが太っているわけではなく、ラディが細すぎたのだ。食べたものがあまり肉にならない体質らしい。


(……いや、服の前に下着か?)


 どうしよう、こちらは詳しくないどころでなく、本気でさっぱり分からない。

 ウィットも異性のブレイズには相談しづらいだろうし、金だけ出して、服と一緒にラディかカチェルに丸投げしていいだろうか。


 ……そういえば、ブレイズとラディが拾われた時は、周りのギルド員や賞金稼ぎたちが、あれこれと世話を焼いていたような記憶がある。


(俺たちを拾った時、師匠ジルたちもこうやって悩んだんだろうなあ……)


 ふと乳鉢の中身を見ると、ウサギの角はとっくにさらさらの粉になっていた。



 ◆



 同時刻。ファーネの街へ続く道を、三人の男が歩いていた。


「見えてきましたよ、あの街っす」


 先頭の男が、後ろの二人を振り返る。その片割れ、緋色の髪の、妙にきらきらとした容貌の青年が、睨むように先を見た。視線の先には、ファーネの北門がある。


「ここから防壁は見えないか」

「正反対っすからねえ」


 彼らが歩いているのはファーネの北側だ。防壁は街を挟んで南側にある、と聞いている。街の建物に阻まれてか、それらしきものは影すら見えない。


「つまり高さはそれほどない、と」

「……そう取りますかあ」

「まだケチをつけるには早い……と言いたいところだが、ここまでの道を見た限りではな」


 期待はできない、と言外に告げて、青年は来た道を振り返る。

 整備されているとは、世辞でも言えない有様だった。かつては大きな荷馬車も通っていたのだろうに、生えっぱなしの草が根を張るせいで、路面が崩れてしまっている。今では、小さめの荷車ならなんとか通れるだろうか、といった程度の幅しかない。


 自分以上に衝撃を受けただろう、後ろに立つ最後の一人をちらりと見て、軽く息を吐く。


「まあ、ここであれこれ言ってるより、直接見たほうが早いだろう。手紙も書いてもらったんだ、いきなり断られることはあるまい」

「……そうですね」


 ずっと黙っていた最後の一人、眼鏡をかけた亜麻色の髪の少年が、ぽつりと言った。


「他の荷物も預かっていることですし。……行きましょう」


 雨垂れが水溜まりに落ちるような、寂しげな声でそう言って。

 外套マントのフードを目深に被り、街に向かって一歩、少年は足を踏み出した。

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