03. 本部からの連絡員

 昼飯時になって中央広場が騒がしくなってきた頃、銀髪の女が受付の椅子から立ち上がった。

 警備として出入り口に立つブレイズのほうを見て、ねえ、と声をかけてくる。


「お昼作るけど、何か食べたいものある?」

「そろそろ肉が食いたい」

「イヤよ、まだお肉見たくない」


 チッと舌打ちをすると、ぺちんと冷たいものに額を打たれた。

 床に白く小さな塊が転がるのを見て顔を上げると、女がじとっとした目でこちらを指差している。


「ガラの悪いことしないの」


 初級魔術の組み合わせで、氷の欠片をぶつけられたらしい。俗に言う遠距離デコピンというやつだ。器用な母親が子供によくやる、ちょっとしたお仕置きである。


「カチェルは往生際が悪いだろ。そろそろ燻製肉がやべえってラディが言ってたぞ」

「うっ……」


 痛いところを突かれたような顔で、女――事務員のカチェルは言葉を詰まらせる。その後、逃げるように台所キッチンへ姿を消してしまった。……今日の昼食も、魚の酢漬けか油漬けが主菜メインになるのだろう。

 ちょうど階段を下りてきたラディが、ため息をつくブレイズを見て、不思議そうに首を傾げた。




 あの雷雨の夜から、五日が過ぎた。

 ブレイズが拾ってきた人間――少女であったらしい――は、辛うじて一命を取り留めた。意識はまだ戻っていない。治療後にセーヴァから聞いた話では相当危ない状態だったようだから、無理もないかもしれないが。

 あまり詳しい話は聞いていないが、セーヴァと共に治療にあたったカチェルが頑なに肉を拒否し続けているということは、まあ、そういうことなのだろう。


 少女の素性は分かっていない。

 ジーンたち領兵が街の見回りがてら、少女について知っている者がいないか探してくれているが……いないのではないかと、ブレイズは思っている。

 何もかもが異質なのだ。

 身にまとう服は布からして見たことも聞いたこともないものだし、黒い髪の人間なんて初めて見た。丸腰どころか何も持っておらず、浅いところとはいえ、魔境にいたとは思えない。


「……ひょっとしたら、森にかばんのひとつも落ちているかもしれないな」

「ああ、それは確かに」


 ラディの呟きに、ブレイズは頷いた。

 武器くらい身につけているべきではないか、という疑問は残るが、あの場に少女の荷物が放り出されていたというのは大いにあり得る。少女がいきなり倒れたので、あの時はブレイズも周囲を見回す余裕はなかった。


「支部長が戻ってきたら、ちょっと行ってみるか」


 ファーネ支部の支部長はキースという壮年の男性で、十年前までは警備員として商業ギルドに身を置いていた。拾い子だったブレイズとラディを、拾われた当時から知っている一人である。

 人手が圧倒的に不足しているファーネ支部で、自ら商品を発注するため、彼は月の半分ほどをファーネの外で過ごす。その彼が、予定ではそろそろ戻るはずだった。

 支部長がファーネ支部にいる間は昼間の警備が不要なので、ブレイズとラディ、二人一緒に自由時間を取ることもできなくはない。


「そうだな。私も一度、森を見ておきたい」


 ブレイズの提案に、ラディも同意した。

 ブレイズは魔力をほとんど持たないので、森に満ちる魔力に異常があっても感じ取れない。魔術の得意なラディの目からであれば、何かが違って見えるかもしれなかった。


「明るいうちに戻ってきたいし、午前から行くか」

「となると昼食は……ん?」


 話の途中で、ブレイズの真横にある出入り口の扉が開いた。かろん、とドアベルが軽い音を立てる。

 琥珀色の肌をした偉丈夫が、線の細い魔術士を支えながら入ってきた。


「邪魔をする」

「リカルド!」


 顔見知りの『賞金稼ぎ』の一人である。

 普段は王都にある商業ギルド本部を拠点に、害獣の駆除や商人の護衛をしている青年だ。

 長身のブレイズより、さらに頭ひとつほど上背のある大男。琥珀色の肌は、中央大陸の南側に住む人間たちの特徴だ。

 外見は少々いかついが、実際は温厚で気のいい性格をしている。昼夜の警備を休みなしで回すブレイズたちを心配して、時折警備を手伝いに来てくれる賞金稼ぎの筆頭でもあった。


 反面、魔術士のほうは知らない顔で――。


「すまないがトイレを貸してくれ。吐きそうなんだ」


 切羽詰まったような早口が、ブレイズの思考を遮った。

 え、と魔術士を見下ろすと顔色が悪い。口元を手で抑えているが、うぷ、と頬が時折膨らんでいる。


 あ、これもう余裕ないやつだ。


「場所変わってないから急げ!!」

「すまん!!」


 ブレイズが指した方向へ、リカルドが魔術士を抱えて走っていった。程なくして、乱暴にドアを開け放つ音。

 そこまで聞いて、ブレイズはそれ以上そちらに意識を向けるのをやめた。理由はお察しである。


「ええっと……」


 怒涛のような一部始終にまったく口を挟めなかったラディが、そこでようやく口を開く。


「あの二人、昼は食べるのかな」

「……食べるんじゃねえの、いま出してんだろうし」


 言ってから、我ながら余計な一言だったと後悔した。



 ◇



 ブレイズの予想通り、訪ねてきた二人も昼食に加わることになった。

 元々ここまで携帯食で過ごしてきたので、ギルド支部に顔を出したら、中央広場の屋台で昼食にするつもりだったそうだ。

 落ち着いて食事ができるならそのほうがいいと言うので、昼食を共にした後、ロビーの応接スペースにて話を聞くことになった。


「いやあ、お見苦しいところをお見せしました」


 初手:嘔吐という強烈な第一印象をぶちかました魔術士、ルシアンが照れたように笑った。照れることか? と思ったが、警備仕事中なので口は開かない。

 菜の花色の長い髪に、藤色のつぶらな瞳。背も低く、可憐な少女のように見えるが、実際はブレイズとそう変わらない年齢の青年だという。


「恥ずかしながら、携帯食にあまり慣れていなくて」

「あら、じゃあ普段は王都に?」

「ええ。一応これでも、本部の連絡員なんです。普段は王都周辺を、日帰りで走り回っていまして」


 ブレイズは立ち会ってはいるが警備中なので、話をしているのは主にカチェルだ。

 ラディは夜警の当番があるため、仮眠のために自室へ引っ込んでいる。セーヴァは森で見つけた少女から目を離せないため、用事がなければ医務室から顔を出すこともなかった。昼食も医務室で取っている。


「まずはご報告を。こちらのキース・ワイマン支部長ですが、本部より指示があり、王都ローレミアに呼び出しを受けています」

「えっ」

「すみません、こちらの人手不足は重々承知しているのですが……」

「いやあの、そうじゃなくって、ええっと」


 カチェルが慌てて立ち上がり、医務室のドアをノックする。

 きょとんとした顔のルシアンに、後ろで控えていたリカルドが「先走り過ぎたな」とからかうような口調で言った。


「セーヴァ、ちょっとセーヴァ! これあなたが聞かなきゃ駄目なやつよ」

「……支部長代理は、彼女ではないだろう?」

「あっ」


 恥じるように、ルシアンが両手で顔を覆う。それとほぼ同時に、カチェルが医務室からセーヴァを引っ張り出した。相変わらずの不機嫌顔だが、心なしか顔色が悪い。

 リカルドが、軽く片手を挙げて口を開いた。


「やあセーヴァ、大変そうだね」

「まあな。だが死にかけ・・・・を放っておくわけにもいかん」


 その一言と顔色の悪さで事情を察したのだろう、リカルドは表情を曇らせる。


「……危ないのかい?」

「山は越えたと思う。俺が腹の中身をつなぎ間違えてなければだが」

「ちょっと思い出させないで?!」


 セーヴァの言葉に、カチェルが顔を青くした。……なるほど、肉が食えなくなるわけだ。

 ぶつぶつとぼやきながらカチェルが医務室に入るのと入れ替わりに、セーヴァが応接スペースへ歩いてくる。


「……私でよければ『いやし』をかけようか?」

「話の後でいいから頼めるか? 打てる手は打っておきたい」

「構わないよ」

「代金は?」

「落ち着いたら一杯おごってくれ」


 リカルドの返しに小さく笑って、セーヴァは先ほどまでカチェルが座っていた場所に腰を下ろした。


「バタバタしていてすまない。支部長代理のセーヴァ・ユルキエだ」

「本部連絡員のルシアン・ハズウェルです。……それでは、改めてご説明しますね」


 ――ルシアンの話をまとめると、支部長は王都にある商業ギルド本部の幹部お偉いさんに呼び出されていて、ひと月ほど戻りが遅れるらしい。

 おそらく来月分の商品の発注には間に合わないため、本部のギルド員であるルシアンが、連絡と手伝いに派遣されてきたのだそうだ。今回のために、発注業務を代行できる程度の権限は与えられているという。


 リカルドについては、ファーネ支部の臨時警備員として働くよう、本部から依頼されて動いているそうだ。こちらも支部長の代わり、というわけだ。

 わざわざ馴染みのある賞金稼ぎを寄越せる程度には、本部はファーネ支部をよく見ているらしい。


「リカルドさんの依頼料は、すでに本部から出ているのでご心配なく。あと、僕たちも今日からこちらで寝泊まりさせていただくことになるんですが……」

「部屋は余ってるくらいだから大丈夫だ。後で好きなところを選んでくれ」

「はい、ありがとうございます。それで僕らの宿泊代というか、食費などは経費で落ちることになってますので、月ごとに申請をお願いします」


 話が実務的なものになってきた頃合いを見計らってか、リカルドがルシアンのそばを離れてこちらに歩いてきた。


「話は聞こえていたな? そういうわけで、私たちも警備に混ざることになった」

たち・・?」

「ルシアンも頭数に入れていいそうだ。まあカチェルさんを手伝わせても構わないんだが、あれで腕のいい魔術士だよ」

「へえ……」


 出会い頭が出会い頭だったので、なんとなく、口から火の玉を吐き出すルシアンを想像してしまう。


「……言っておくが、口から撃ち出したりはしないからね」


 たしなめる声が心なしか低かったので、「さてはアンタも同じこと思ったことあるな?」と口にするのはやめておいた。

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