第四幕「はじめてのおつかい」~イルミナ、王都へゆく~

1.王都

 ――どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 二年近く働き詰めで、ようやく許可が下りた長期休暇。本来であれば浮かれていてもおかしくはないのに、少女の表情は曇りっぱなしだった。

 幾度目ともつかぬため息を、対面に座るにこやかな老婆に悟られないようにこっそりと落とす。

 窓の外には少女が見慣れた雪原ではなく、なだらかな丘陵が続いている。背の高い夏草が青々と育っており、新鮮な気分になった。

 本来の目的地であるトーカ村ではなく、王都に向かう馬車内にはたった二人。

 出発した時から笑顔を崩さない老婆と、それとは対照的に硬い表情の少女――イルミナ・ロッキンジーだけ。老婆は初めは色々と話しかけてきていたのだが、イルミナは状況が掴めず生返事を返すだけで精一杯だった。老婆はそんな彼女を気遣ってか「何かご用がありましたら声をかけてくださいまし」と告げ、先ほどからペーパーバックに視線を落としている。いくら舗装された道だとはいえ、それなりに揺れる中で読書なんかして酔ったりしないのだろうか? そう思い、ちらちらと盗み見るイルミナに気づいた老婆はゆっくりと顔を上げ、眼鏡のずれを直した。

「退屈しているんじゃありませんか?」

「ええ……あ、いえ」

「どうやら気を遣わせてしまったようですね。そう構えずとも大丈夫ですよ。と、言っても無理な話でしょうが」

 老婆はそこで軽くウインクをした。その仕草はとてもチャーミングで、イルミナの緊張をわずかに解した。

「本当に、王都に向かっているんですね」

 ここでいう王都というのは、イルミナがいつも買い物に訪れる街のことではなく、貴族や王が住まうセントラルと呼ばれる地域のことだ。議会場や内府省、国家が誇るキングダム・ヤード本部などの重要施設が集まる、文字通り国家の中枢。


 何故、そんなところに行かなくてはいけないのか。

 建前上ではあるものの、イルミナは一介の公務員だ。仕事柄貴族たちと知り合うことはあるが、それを理由にして呼び出されるなんてことはないはずだった。その疑問を挟む余地すらなく、馬車に閉じ込めたのはイルミナの目前に座る老婆である。彼女はイルミナが知りうる貴族と同様、唐突に職場兼住居の扉をノックし、見知った貴族たちとは違って、若輩なイルミナに対し恐縮してしまうほど丁寧な物腰で来訪の理由を述べた。


「イルミナ・ロッキンジー様でいらっしゃいますね? うちのお坊ちゃんがお話があるそうで、お迎えに上がりました。忙しいかと思いますが、数日間お時間をいただけますでしょうか?」


 老婆はぽかんとするイルミナを尻目に、彼女の職場を統括する王立ギルドの手紙を読み上げ、その瞬間から少し早めの夏休みが決定した。イルミナが帰省するために用意していたボストンバッグを馬車に詰め込み、同僚にそれを告げる間もなく彼女自身も馬車に乗せられる。その間老婆は際限なく話し続けていた。

 早朝の来訪、その上充分な用意をする時間すらないことを詫び、目的地では綺麗な花が咲き乱れていると少女のように目を輝かせ、今の時期は過ごしやすいからいい保養になると言う。確かにこのやり方はイルミナが知りうる貴族の強引さであった。

 突然の展開に慌てふためいたイルミナが口を挟む余裕が生まれたのは、彼女が働く常時雪が降りしきる冬の森が遥か遠く離れてからだった。


「あの、お誘いはとても嬉しいのですが、同僚に何も言っていないのです」

「それでしたら大丈夫。管理人様には前もってお伝えしております。もちろん、快諾していただけました」

 そんなことイルミナは聞いていなかった。顔を顰めそうになるのを堪えて、心で悪態を吐く。それなりに長い付き合いになっている、無口で無愛想な同僚が「分かった」とでも言う様が目に浮かぶようだった。

 

 ――それだったら、問題ないか。


 彼女が働く冬の森の死体安置所では管理人のザック・ノーガーの言うことは絶対なのだ。彼が了承したのであれば問題ないのだろう。

 幾つかの不安がないではなかったが(主に生活能力が皆無のザックについて)、休暇を長めに貰えるというのは悪くはない話だった。せいぜいゆっくりとさせてもらおう。そう割り切ると、幾分気持ちが楽になった。

 いつもの彼女とまではいかないものの、多少は素直に笑える気がする。それを見た老婆は満足そうに微笑み、セントラルの素晴らしさを語り始めた。


 

 イルミナが車外の喧騒に気づいたのは、太陽が高くなった頃だった。馬車は丘陵を越え、いつの間にか王都内中心部へと入っていたようだ。窓から表を見てみると、煉瓦が敷き詰められた大通りに所狭しと商人が物を並べている。彼女がいつも買い物に来ている市場もこのあたり。

 一口に王都と言ってはいるが、実はとても広い。イルミナとザックが住んでいる冬の森だって、厳密に言えば王都内なのだ。

 都は卵のような楕円形をした城壁で囲い、幾つもの都市が内在している。この市場を含む商業地区は比較的セントラルに近いが、外れからここまで来るとなると人の足で三日ほど、馬車でも一日がかりになることだろう。壁のほど近く、畑や森しかないような土地ですら王都と名乗れるくらいの広さ。壁を越えた田舎者が「王都って言っても大したことないんだな」と言うのは、様式美のようなものだった。

 馬車はゆっくりと市場を歩む。商業地区を抜け、中心に向かうとイルミナがかつて訪れたギルド本部があり、さらに向こう側に大きな堀がある。跳ね橋が掛けられているものの、ここまでは一般人でも立ち入ることが出来る。

 跳ね橋を馬車が悠然と通りぬけた。商業地区のある西側から入ったので、ここは貴族たちが多く住むニューオリオン市街になる。小高い丘の上に大きな屋敷が見えた。観光名所にもなっている、ニューオリオン市でも有数の貴族が住んでいる家だ。イルミナからは見えないが、きっと大きなクヌギの木が生えていることだろう。

 市街を通り、しばらく行くと冬の森にあるものよりも遥かに高く、頑丈そうな塀が見えた。それに負けないほど大きな門には詰め所があり、幾人ものキングダム・ヤード制服を着た男たちがいる。馬車を引く男がヤードの者と二言三言話すと門が開いた。

 ここから先がこの国――いや、世界の中心と言っても過言ではないセントラルだ。


 馬車はある豪奢な建物の前で止まった。

 イルミナでも知っている。小さいころから教科書で幾度と無く写真を目にした、この国の政治を司る内府省がそこにはあった。

「それでは私はここで。荷物はきちんと宿に届けておきますので、ご安心くださいますよう」

 馬車を降りたイルミナに、老婆はそう言い深々と頭を下げた。

 ここから先は、別の人間が案内するらしい。イルミナが入り口に目を向けると、そこには老婆とは正反対の厳しい顔をした男が直立不動で立っていた。

「あ、そうだ」

 去りかけた馬車を引き止め、イルミナは老婆を呼ぶ。

「すみません、お話に夢中になっちゃって名前をお伺いしていませんでした。私、冬の森の死体安置所管理人のイルミナ・ロッキンジーと申します。大変失礼致しました」

「あら、気にしないでよろしいですのに。そうね、また後ほどお会いすることになるでしょうし、自己紹介はその時にしましょう。それではよい休暇を」

 それだけを言うと、あっという間に馬車は走り去った。残されたイルミナは所在なく馬車を見送る。

「イルミナ・ロッキンジー様ですね」

 背後から声が掛けられたので、飛び上がりそうになるくらい驚いた。イルミナが振り返ると、そこには先ほど入り口に立っていた男がいた。

 近くで見ると、とても背が高い。黒のスリーピースを隙なく着こなしている。大きな色眼鏡をかけている為表情は伺えないが、きっと冷たい目をしているのだろう。仕事のためだろうが、どことなく事務的な、人間味のない男だ。

「大臣がお待ちです。こちらへ」

 男の後ろに付き従い、イルミナは初めて内府省に足を踏み入れる。

 教科書にも載っていない内府省内部は、とても豪華な作りをしていた。高い天井に意匠を凝らした柱、有名な絵画や彫刻が惜しげも無く配置されている。いかにも貴族が好みそうな内装だ。

 ホールを抜け、廊下へ。こちらも天井が高く、足元にはふかふかの絨毯が敷かれている。まるで雲の上を歩いているような気持ちになった。

 突き当りに木製の両開きの扉。男がノックをすると、見た目通りの重厚な音が扉に吸い込まれてゆく。

「どうぞ」

 扉の向こうから落ち着いた、しかしどこか飄々とした声が聞こえた。

「失礼します」

 男が扉を開き、イルミナに合図をする。何もしないのも妙な気がして、一礼してから部屋に入った。

 室内はそれまでの豪華な内装と違い簡素な作りだった。執務のための机に、応接用のソファーとテーブル。壁に沿って本棚が敷き詰められている。どうやらこの部屋の主はイルミナと同じく本の虫なようだ。本棚のせいで、広い部屋が手狭に見える。大きな窓から陽の光が降り注いでいた。

 窓の外を眺めていた部屋の主が振り返る。

「お久しぶりです、ロッキンジー嬢」

 柔和な笑みを湛えたまま、国家総務大臣イシュバル・ミラク殿下が手を広げた。



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