11.便箋

 夜の帳が降りるころ。

 静寂だけが支配する礼拝堂で、各々が大公を思い出していた。イルミナは祈りを、シャーガーは言葉を探すように、水晶を眺める。その中ザックはいつものように腕を組んで瞑目していた。

 その時、静謐だけがあった礼拝堂に場違いな音が響いた。イルミナ、シャーガーだけではなく、ザックですら目を見開いて音が鳴った方を見る。扉を叩く音。それを二回繰り返すと軋んだ音と共に礼拝堂の扉が開いた。そこにはいつも死体安置所に新聞を届けてくれる老人が立っていた。

「おじいちゃん?」

「おう、いたいた」

 それだけ言うと、すたすたと歩んできてイルミナに一通、そしてシャーガーに二通の手紙を渡す。

「時間指定の郵便だ。まったく、こんな時間に働かせるなと言ってくれ」

 それだけ言うと何事もなかったかのように老人は去ってゆく。イルミナとシャーガーは顔を見合わせて、同時に手紙へと視線を落とす。手元には見たことがあるシーリングワックスで封がしてある手紙、つまりはギルドからのものだった。

 シャーガーは蝋を剥がすのももどかしげに乱暴に便箋を開くと、文に目を走らせる。

 イルミナにも差出人が誰なのか見当がついていた。このタイミングで届く手紙を書く人間なんて一人しかいないだろう。

 イルミナがペーパーナイフで封を切ったと同時に、手紙を読み終わったシャーガーは叫んだ。

「ふざけんな! 妖怪クソジジイ!」


 果たして、それは大公からの便りだった。

 便箋には感謝が記されていた。そして、彼らのやることを赦さなくてもいい、見守ってくれと、哀願するかのような文言が並ぶ。国家の祭主とは思えない――彼の姿からは想像もできないほどの文彩を放っていた。冷えた心を溶かしてしまうような文字の並び。先ほど考えていた失礼をイルミナはそっと詫びた。それと同時に恐ろしくもなった。政治家とはこうも先見を持たないと務まらないものなのだろうか。

 きっと、彼はこんなことになると分かっていたのだろう。しかしイルミナが手にするとは考えていなかったはずだ。事実、手紙のどこにも固有名詞は書かれていない。

 女王陛下が統治する国に秘中の儀があり、そこで行われることを伝聞なりで知っていた。大公と陛下は同盟国以上に親密だったと聞く。ひょっとしたら内容までをも知っていたのかもしれない。となれば自身が没した後のことを考えると『埋葬』されることも理解しただろう。そしてその複雑極まるルールなども。その全てを読み切ったうえでこんな手紙を記した。将棋と政治は似ていると誰かが言っていたっけ。きっとそういうことなのだ。

 可能性ではなく、蓋然性で思考し行動する。国家万民を預かる祭主としてこれ以上ない人物だ。


 隣でころころと表情を変え、まるで手紙と格闘するかのようなシャーガーを見ると、何故かおかしくなって安心する。

 きっと、彼が特別なのだ。

 たとえシャーガーが数十年齢を重ねてもこうなる姿が、イルミナには想像できない。


 ゆっくりと慈しむように文字を追うイルミナは便箋の終わりが近づくにつれ、寂しさを感じた。素晴らしい物語を読み終えたくない気持ちに似ていて苦笑する。

「あれ?」

 文の結び、美しい文字で署名までしてあるのに二枚目があることに気付いたのだ。二枚目を手に取ると、イルミナは思わず吹き出してしまった。

 何度読み返しても怒りが収まらないのだろう、ぶつぶつと「全部分かってるじゃないか」だの、「じゃあさっき言っておけよ」などと呟いているシャーガーが不審げに顔を上げた。

「どうした?」

「はい、これ」

「これって……お前宛の手紙だろう? 俺は他人の手紙を盗み見る趣味はないぜ」

「違うよ。これはシャーガー宛だもん」

 なおも眉を寄せ、恐る恐る二枚目を受け取ったシャーガーは、またも叫びそうになる衝動を抑え、代わりにゆるゆると首を振った。


 ――儂も千里眼を持つわけではない。


 イルミナは大公の言葉を思い出していた。二枚目には紙を目いっぱいに使った毛筆でこう記されていたのだ。


「儂は妖怪クソジジイではない。ハニーウェイ・シャーラスタニ大公である」――と。



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