10.革命

 革命。

 コリーダ家に限らず、近代国家では変遷の度に出てくる単語。最近でも極東の島国で行われたと聞く。歴史上でそれが起こっていない国家を探すのが難しいほどにありふれたもの。

 暗殺。

 革命に必要なもの……であるほどではないが、付随して行われることが多い。場合によってはたった一人を除くことによって革命が成功した事例もある。


 教科書や物語でいくつも目にしたその単語だったが、まさか目前で聞くことになるとは思わなかった。現実味のない単語が飛び交う礼拝堂は、イルミナの知りうる場所ではない気がして、自分を確認するように身体を強く抱きしめた。

「聞いているか、ロッキンジー?」

 いつも飄々としているシャーガーが知らない顔をしている。貴族の顔だった。

「……大丈夫」

「そうは見えんが。こんな話だから仕方ないかもしれないが、我が国家の大事なんだ。頼むぜ」

 返事の代わりに力なく頷いたイルミナを、シャーガーがため息をついて見据える。

「急にこんな話を聞かせて悪かったとは思うよ。まさかロッキンジーが同席するなんて想像もしなかったからな。長居する気はなかったとはいえ、ロッキンジーみたいな面白いやつに会えたのは良かったし、楽しかった。最後がこんなことになっちまって残念なんだ」

「長居って、ひょっとして最初からそのつもりで衛兵に?」

 シャーガーは「今更気付いたのかよ」と言いながら顎を撫でる。どことなくバツの悪そうな顔をしているのは、きっと本音だったからだろう。

「計画はじいちゃんが死んだ後――いやその前に練られたものだ。個別に宛てた遺書や親書に検閲が入っても問題ない程度に真実を匂わせていた。断片だったがな。それをかき集めたのがさっき言ったデイラミ・コリーダ第三王子。その断片も、元から燻っていた火種を持つ王子たちにのみ渡されていた」

「儂も千里眼を持つわけではない。飽くまで可能性を持ったものたちに、僅かながらの道標を示したにすぎん」

「はん、よく言うぜ」


 コリーダ当代は決して名君ではない。それは誰しもが言っていることだった。先代から受け継いだのは手に余る利権と、猪突猛進の精神だけ――そう方々で揶揄されていることからも明らかだろう。大公時代に手に入れたレイクドールの利権を各国に切り売りするやり方は、他国だけではなく自国のメディアにすら痛烈に批判されている。政治利用だけならば問題はそこまで大きくはならなかっただろう。だが、カヤージ王はあろうことか外交にすら使い始めたのだ。

 このままでは第二のレイクドール戦争に発展しかねない、逼迫した状況だったのだが、ある時を境に切り売りをぴたりと止めた。外交担当が前述のデイラミ王子になったのも大きい。しかし大臣任命の決定権を持つのは第一王子のダラカニである。いわば傍流であるデイラミが外交大臣に任命されたときの驚きはとてつもなかったそうだ。それも大公、そしてデイラミ王子の策略に依るものだったそうだ。佞臣のように振る舞い、その実でカヤージ王の性格を色濃く受け継いだダラカニの信用を得る。話だけ聞けば簡単なものだが、蟻の一穴も通さぬ慎重さで、十年単位の時を経て練られた計画。

 同胞、兄弟とは言え、玉座に就くのはただ一人。魑魅魍魎が跋扈するとまで言われる彼の国家王室の内情は、噂半分でイルミナへも入ってきている。かつての王子が政治犯として投獄されたのは有名な話だった。だからこそ綿密な計画が必要だったのだろう。彼らには運も味方した。現王が事を急いで大公を暗殺したのだ。もちろん公表はされていない。だが世界各国の首脳は当然知りうるべきことだった。

 神道に生き、先達を奉る祭主という建前すらも忘れ去ってしまったかのような暴挙。確かにそれらは当代が即位してから聞くことになった話だった。

 だが、それらはゴシップ誌の書き方であればこそだと、イルミナはこの瞬間まで信じていたのだ。

 彼らの口から語られる生々しさは、ササフラが教えてくれたレイクドール戦争なんて比ではない。


「ダラカニを除く……か」

 カヤージが暗君と呼ばれる最たる例が、ダラカニ権力を持たせたことである。権力の分散は当然なのだが、猜疑心の塊である彼にはダラカニ以外に信用できる人間などいなかった。煩わしいまつりごとはダラカニだけに任せ、自身は後宮に入り浸り奢侈しゃしを尽くしていた。つまり第一王子のみを除けば、あとは全員がデイラミ側につくことになっている。

「ああ。だからデイラミ派の兄弟たちは徐々に国を離れ始めた。だからと言ってオヤジが俺らを疑いの外に置くとは思わんが、こういったのは国外の連中に対してやる、いわば体裁だからな」

「細部は詰めないといけないが、概ね問題はなかろう。此度の戦で一番大きな駒は既に手中にあるのが最も良い。ラローナ女王の言葉はそれだけの意味がある」

「女王陛下には、俺がこの国に潜伏した数年の間にもう話はつけてある。腹芸はデイラミが得意な分野だからな。俺は手紙を読み上げて協力を仰いだだけだ」

「それだけの大事を任される人物になっただけのことだ。政治というものは清濁併せ吞む器量を持たねば務まらん」

「分かってるよ。デイラミのヤツ、じいちゃんによく似てきたぜ。今みたいな説教は毎度のように聞かされる」


 軽妙なようでとてつもなく重い話。通訳をしながらイルミナは腹の奥底にどす黒いものが積もってゆく感覚を持っていた。今、大公が言ったように政治とは綺麗事だけではいけないのだろう。

 顔と名前くらいは知っている男。

 決して善人であるとは言えない男。

 だが、こうも簡潔に人を殺すなんてことがあっていいはずもない。


「ロッキンジー?」

 シャーガーの言葉で我に返る。彼がどこか悲しそうな瞳をしていたのが印象的に見えた。大公もイルミナを見つめている。目元の皺が、何故かササフラの微妙な笑顔を思い出させた。

「話は粗方終わった。悪かったな、こんな役割押し付けて」

「大丈夫、これがあたしの仕事だから」

「ロッキンジー、と言ったか?」

 大公がイルミナを見つめる。威厳があった瞳は幾分和らいでいるように感じた。そればかりか、どことなく慈しむような表情。瞳には悲しみが浮かんでいるように見える。彼がイルミナに話しかけるのは初めてだったと思い、居住まいを正した。

「え? あ、はい」

「国家の恥。このようなことを貴殿に聞かせるものではないが、申し訳ないことをした」

「いえ、そんなあたしは民間人で貴殿なんて……過分に御座います。それにこんな機密事項をあたしなんかが聞いてしまってこちらこそ申し訳ないとしか……」

 しどろもどろなイルミナを見かねて隣でシャーガーが噴き出した。後で蹴りをお見舞いしてやろう。

「委細ない。儂はラローナ八世陛下を、そして貴殿の瞳を信じておるからな」

「瞳……?」

「うむ。真っすぐな美しい瞳だ。儂は――そしてこれからはサガスたちが貴殿のような瞳を持つ国家三千万の民のため、祈るのだ」


 ――なるほど、名君だ。


 イルミナは焼け付いてしまいそうな脳髄から逃れるように、ぼんやりとそう思っていた。隣で笑っているシャーガーがいなければ平伏してしまうところだ。


「そういうことだ、ロッキンジー。確かに俺らはこれから人を殺すことになるだろう。それが善だとは思わない。三千万の国民のため悪となるんだ。分かってくれよな?」

 あくまでイルミナは管理人、これは仕事なのだ。そしてシャーガーも歴史に残る汚名を背負う覚悟を持ってこの場にいる。否も応もあるはずがない。


「そろそろ時間だ」

 いつの間にかイルミナの後ろにザックが立っていた。

「そうだ、ちょっと待ってくれ」

「なんだ?」

「これがないと成功するものもしない。じいちゃんに一筆お願いしたいんだ」

 確かに。この革命の成功条件は『先王陛下の意思を継いだ当代王子によるもの』なのだ。大公が死ぬ前に記した(という体裁の)書簡がなければ画竜点睛がりょうてんせいを欠く。

 しかしザックの返答はにべにもなかった。

「無理だ」

「何故?」

「よく見てみろ」

 ザックは大公の足元を指さした。イルミナもすっかり忘れていたのだが、大公は実体を持たない。筆を持つことも出来ないのだ。

 それに今の大公は古代語しか解さない。文人であったならまだしも、大公は『躍動する勇者』の二つ名を持つ生粋の武人だ。縁もない地の古代語を記した書簡など、暗号として記したなんて言い訳も厳しいだろう。

「心配はない」

 うなだれるシャーガーを見つめながら、大公は言い切った。

「何故?」と今度はイルミナが聞くことになった。

「サガスには間もなく分かるだろうと伝えてくれ。儂は疲れた。今度こそ彼岸に向かうとしよう」

 

 シャーガーが何か言葉をかける間もなく。

 それが最後だった。大公の姿は一瞬の内にかき消え、そこには何の変哲もない水晶玉が転がっているだけだった。まるでその姿が自然であったように。


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