9.後始末

 イルミナがようやく身体を持ち上げられる程度に回復したころ。

 シャーガーは奇跡を目の当たりした様子で膝をつき、ザックは仕事が終わったとばかりに長椅子に腰を下ろし、シャーラスタニ公は両の手を見、誰もが言葉なく空虚が礼拝堂を満たしていた。

「……これは」

 しわがれた古代語を聞いてイルミナはゆっくりと立ち上がる。割れるような頭痛も、身体が氷になったかのような寒気も、胃が波打つような吐き気すらも嘘だったように消えていた。

「はじめまして、コリーダ先王陛下……いえ、ハニーウェイ・シャーラスタニ大公。私は冬の森死体安置所管理人イルミナ・ロッキンジーと申します」

 かつての王は、自分の名がイルミナの口から出た瞬間こそ一瞥をくれたものの、無言のまま茫洋とした視線をあたりに投げていた。その表情は厳しく、何ものであろうと逆らう意欲を削ぐような圧がある。その武をもって辺境国家を大国にのし上げたコリーダ王家でも随一の武威の持ち主と評されている男、それくらいはイルミナでも知っていた。


 ――今日の『埋葬』は手こずりそうだ。


 イルミナがそう思うのも無理はなかった。この死体安置所のみで執り行われる『埋葬』は、言わば貴族たち専用の儀式なのだ。生前の彼らそのままな態度をとるものも多数いる。即ち。


「我らは特別な存在。それに対して平民風情が話しかけるなんて不敬である。身を弁えよ」


 といったもの。それに対して思うこと、言いたいことなどは山ほどあったが、頭を垂れて粛々と進めることにしている。シャーガーに対しての態度など、進行のプランを練り直す必要があると考えていたのだが。

「じいちゃん、俺だ! サガスだ!」

 シャーガーが自身の幼名を叫びながら、シャーラスタニ公の着物に縋り付こうとして……すり抜けた。シャーラスタニ公の下半身が陽炎のように揺らめき、そして元のように形作る。シャーガーはぽかんとした表情で大公を、そしてイルミナを見つめる。

「ザック、説明を」

 こういった訳の分からない出来事は『埋葬』では日常茶飯なのだ。イルミナに説明を求められても困る。だから彼女は素直にザックに解を求めることにしていた。

「大公の足元を見ろ」

 話すのも大儀そうにザックはそれだけ言うと瞳を閉じた。どうやらこれ以上の説明はないようだ。

 仕方なくそちらに視線を向けると、水晶玉があった。よく見ると、シャーラスタニ公は水晶玉の上、まるで浮くように立っていた。

「これは」

 イルミナは『埋葬』の事を記してあるとある書物のことを思い出していた。いつか読んだところに記述があったのを思い出す。

「遺体がない場合でも儀式を執り行うことは出来る。ただし、相応の技術並びに制約がある」

 詳細は定かではないが、こういったことが書かれていたはずだ。実体がなくても『埋葬』は出来る。ただし、この場で出来るのは会話のみ。兵士としては使えない――こんな文言だったはず。

 まさしく『埋葬』向けの技術だとは思うが、何か大切なものがごっそりと抜け落ちているようにイルミナは思った。死者の定義っていったい何なのだろうか?

「ロッキンジー、どういうことだよ」

 焦れたシャーガーにイルミナの思考はかき消される。そうだ、今はとにかく『埋葬』をしっかりと終わらせなければ。

「シャーガ王子、あちらをご覧ください。大公の足元にある水晶、あちらから一時的に大公を……ええと、顕現させています。実体はとうに失われていますが、会話などに差し支えはありません」

「なんだよその喋り方?」

 いつもの調子で「うるさい!」と口にしそうなのを抑え、ひとつ咳ばらいをした。シャーガーなんて無視して問題ないだろう。

「大公陛下。お気づきになったかと思われますが、現在地はメアリー・ラローナ八世の統治する国家、そのとある地域になります」

「おお、ラローナ八世陛下。陛下は未だご存命か?」

「玉座のお守りにお疲れのようですが、公務に勤しんでおられます」

 そこで大公はくつくつと嗤った。それからはしばらく、大公の内面を探るようイルミナは言葉を選んだ。ある程度話が通じることが分かったので、今回の『埋葬』もいつものように済ますことを心に決め、シャーガーに向き直る。

 そのシャーガーは、狐につままれたような表情でイルミナと大公を交互に観ていた。

 死者は何故か『埋葬』された後は古代語しか話せなくなっている。生前に古代語を理解していない者でも例外はない。つまり、今イルミナと大公は古代語で会話していることになる。それを解さないシャーガーに通じないのも道理だ。

「なるほどな。つまり、ロッキンジーは通訳になるってことか」

「そういうこと。理解した?」

「オーケイ」

「じゃあ、質問をどうぞ。時間は……ザック、どれくらいなら大丈夫そう?」

 ザックはいつの間にか長椅子に身体を横たえていた。『埋葬』にはかなりの体力を使うらしい。右手を微かに上げて指を三本立てていた。三時間といったところだろう。

「ということだから、時間はそこまで気にしなくていいよ、シャーガー」

「それは分かったが、よくあんなのと暮らせているよな」

「ザックにだっていいところはあるんだから、ほら早く」

 シャーガーは何を勘違いしたのか、ニヤニヤしながら大公の元へと歩んでゆく。


「久しぶり、じいちゃん」

「ふん、あの悪ガキがそのまま大きくなったようだな、サガスよ」

「じいちゃんに比べたらマシなもんさ」

 大公の表情に変化はない。ないが、どことなく気安い雰囲気がある。この二人には祖父と孫以上の関係があったのだろう。

「ここに来た――ってのもおかしいが、理由はじいちゃん分かってるよな?」

「レイクドールの後始末だろう。まさか儂の死後まで続くとは思わなんだ」

「そういうなよ、オヤジだって必死でなんとかしようとはしていたんだ」

「カヤージにこれを解決できるとは思えんが。表に出していい問題でもなかろう」

「それも分かっている」

「先に聞いておくぞ、サガス。お前は誰に付くつもりでここに来たのだ?」

「デイラミ第三王子。兄ちゃんだったら間違いは起きるはずないから心配すんなよ」

「デイラミ……まぁ良かろう。カヤージも儂を玉座から落とした瞬間に、こうなる運命だと分かっておったろうに」

「我、いたずらに虚をいつわる。いずくんぞ実に至らんや――ってやつさ」

「天網恢恢疎にして漏らさず。言葉は正確に使え。祈りに虚実はないものだ」

「へいへい、まさか大公陛下にまで説教されるとは思わなんだよ」


「ちょっと、シャーガー、どういうこと?」

 不穏な単語が彼らから発せられ、イルミナは思わず口を挟んでしまった。

「言ったろ、レイクドールの後始末だよ。じいちゃんに真実を話してもらって、オヤジ――カヤージ・コリーダの処刑、その詳細を詰めるために俺はここに来た」


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