7.水晶
「ロッキンジー、これどこ置けばいい?」
「それは燭台の横に。邪魔だったら椅子とかどかしていいから」
「了解」
「それ置いたらちょっと休憩しよう。『埋葬』前に疲れるなんて本末転倒だし」
「そんなに体力使うもんなのか?」
「ある意味ではね」
いつもの礼拝堂。いつものような『埋葬』の準備。いつものように片づけるだけ――そのはずなのに、イルミナの心はざわつきが止まらなかった。その理由は明らかだった。今も隣で汗を拭っているシャーガー。本来客である彼が手伝いをしているのは衛兵でもあるから、そう言えなくもないが、純粋にザックがいないからである。
今日執り行われる『埋葬』前にザックは最奥に向かった。無論、その時刻には戻ってくるはずだったのだろうが、未だに彼の姿は見えない。そしてシャーガーも予定があるとかで、本日中に国に戻らなくてはならないそうだ。『埋葬』にはこういったことがよくあると伝えても無駄だった。「明日早朝から国事が」そう言われてしまえばそれまでだ。何せ、この飄々とした軽口を叩くのが趣味とも言える男は(海峡を隔てているとは言え)隣国の王子なのだから。
なのでこうして無駄を減らすためにもシャーガーが準備を手伝っているといった訳だった。こんな場面、ギルドマスターに見られたら禁固刑ものだな、そう考えていたイルミナを見ていたシャーガーが声をかけてきた。
「こんな場所あったんだな。ステンドグラスなんて綺麗に残っているし、場所が違えば国家遺産に指定されてもおかしくはない」
イルミナも最近知ったことなのだが、このステンドグラスはとても珍しいものだと聞く。見慣れたイルミナからしたら、ただ硝子に色を入れただけに見えるのだが、これを作れる技術はかのレイクドール戦争にて失われたらしい。
「発端を作ったのは俺らだが、やはり責任を感じるな。術というものは後世に伝えるべきなんだよ」
顎を撫でながら、ぽつりと呟く背中がやけに薄く見える。彼を知っているイルミナは、シャーガーが責任を負うべきではないと思う。だが、当事者たちはそうは感じないだろう。今でも彼らに憎悪を向ける人間はいる。それが戦争というものだ。
「ま、そこいらも俺らの仕事だな。未来はより良いものに。俺はじいちゃ……おっと、先王陛下からそう育てられた」
「なかなか複雑そうだね」
「特に大家族のウチはな。ロッキンジーはもっと政治なんかのニュース読めよ。確かにゴシップや物語なんかよりは詰まらんものだが」
王族を大家族扱いするシャーガーに苦笑しながら立ち上がる。それを見たシャーガーが顔を顰めた。時間がないと言ったのはそっちなのに。衛兵というのは思ったより体力がないのかもしれない。考えたら彼らはぼんやり座って新聞を広げたり、将棋をしていたりする連中なのだ。
「シャーガーに限らず、衛兵たちはもっと運動をすべきだよ」
それから数刻。
イルミナは異変を感じるよりも先に、苛々が募って爆発しそうだった。設営はとっくに終わり、シャーガーには死体安置所の客間で待機してもらっている。さすがに管理人がこの場を離れる訳にもいかず、部屋から毛布を三枚ほど持って椅子に座ったのが遥か遠い過去に思えるほどに時を刻んでもザックが戻ってくる気配はない。
「何してんのよ、あいつは!」
数回目の暴言を吐きだしてからイルミナは立ち上がった。そうだ、ザックは最奥に遺体を取りに行ったのだ。ひょっとすると、あまりに重くて立ち往生しているのではないだろうか?
手伝いに行くべきだろう。
そう考えたイルミナだったが、最奥を色濃く支配する狂気を思い出す。彼女は元来恐怖を感じにくい質なのだが、あの街だけは例外だった。正直行きたくなんてない。だが、生真面目でもあるイルミナが心の天秤にかけると、傾くのは仕事に決まっていた。
意を決し、礼拝堂に置かれている書見台へと向かう。見かけは不格好になるが、モルグに戻って地下に降りるよりこちらからの方が遥かに早い。仕掛けを解除すれば、こちらからだって移動できるのだ。いざモルグへ! と勇んだ瞬間、礼拝堂の扉が開いた。
「何やってんだ、ロッキンジー?」
そこにはザックとシャーガーがいる。ちょうど四つん這いになったイルミナへと声をかけたのはシャーガーだ。
「ちょっと、遅すぎよ。時間がないって言ったよね?」
羞恥を怒りで上書きしながら立ち上がり、ザックを指さし歩んでゆこうとして、イルミナは止まった。
「……なんで手ぶらなの?」
そう言ったがそれは正確ではなかった。ザックの両手には大ぶりの水晶玉が乗せられている。だが、どこにも『埋葬』に使う遺体は見えなかった。
イルミナからの二つの質問に肩をゆすっただけで何も答えず、ザックはいつも通り無言のまま祭壇へと向かい水晶玉を置いた。
シャーガーを見ると、彼は大仰に肩を竦めてかぶりを振った。舞台役者になったつもりだろうか。
「俺は管理人殿に連れてこられただけだ。始めるってだけ言われてな」
「始めるって言っても遺体がないと……」
「遺体? もしかして先王陛下のか? だったらとっくにこの世にはないぜ」
「は?」
「だから社会を学べって言ったろ。我が国家では土葬はしない。火葬が一般的だ。それは特権階級だろうと例外はない」
そう吐き捨てたシャーガーだったが、彼の機微には気付かずイルミナはぽかんとした表情を作るのみ。
「だったらどうやって『埋葬』しろっていうの?」
「おいおい、俺は何も知らないぞ。こちらの王家へ話を通してお前らの言う通り来ただけだぜ」
そこで二人は同時にザックを振り返った。
彼は「ようやく気付いたか」とばかりに、祭壇前に設えられている長椅子を指さした。どうやら座れということらしい。二人が渋々腰かけるのを見届けると、ザックは水晶玉の前に立ち、深く息を吐きだした。
「それでは、これよりハニーウェイ・シャーラスタニの『埋葬』を始める」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます