7.質問
人間は本当に驚いた時には、固まってしまい声すら出ないものだということをイルミナはこの時に初めて知った。
例えば、あれだけぶつぶつと悪態を吐いていたアドラー。彼はぽかんと大きく口を開いて、今もフィッシャーと古代語で話し続ける殿下の背中を見つめている。
例えば、きょろきょろと、こちらが不安になるくらいに落ち着きがなかったアルバート。流れる汗を拭うことも忘れ、ぼんやりと立ちすくんでいる。
誰もが驚き、彼らの会話を見守っていた。唯一無表情のザックですら、瞳に感情を込めているのが分かった。
それに、イルミナだってそうだった。
言いたいこと、聞きたいことは山ほどあったのに、考えがまとまらず何と口を開いていいのか分からない。だが、管理人として言わなくてはいけないことがある。
「殿下――そこは危険です。どうか、もう一歩お下がりください」
最早言葉を選ぶ余裕はない。掠れる声でそれだけ絞りだすイルミナを、殿下は不審そうに眉をひそめたが、それも一瞬で柔和な、しかしどこか寂しそうな笑顔に戻った。
「大丈夫ですよ。彼には、我々を傷つけることは出来ない、そうでしょう?」
「確かに、その通りですが……」
何故それを殿下が? イルミナは後に続く質問を飲み込んだ。そうだ、この御方は王族。すなわち、貴族の一員だ。『埋葬』のことを知っていても何らおかしくはない。
しかし、今殿下がイルミナに言ったことは『埋葬』のすべてを知らないと出ない言葉だ。殿下はイルミナの反応を楽しむかのように見ている。
そんな彼女たちの混乱を知るよしもなく、フィッシャーは顎に手を当てゆったりと撫でている。
「で、わざわざ俺をこっち側に呼び戻してまで何が聞きたいんだい?」
殿下はイルミナを見つめてくる。フィッシャーもそれにつられて彼女を見た。「そういや、司会進行はあんただったな」と、くつくつ嫌らしい笑みを浮かべている。
どうやら殿下にも通訳をする気はないようだった。古代語は理解しているのだろうが、イルミナの仕事を取らないように配慮したのかも知れない。ともかくイルミナはひとつ咳払いをして、さきほどの言葉をマッシュ警部に通訳する。
「そうだった。とりあえずお前に聞きたいことは二つほど。ひとつは、何故こんなことをしでかしたのか。動機ってやつだな」
「なるほど。しかし今更それを知ってどうするってつもりだ? どうせ、あんたらのくだらん体面ってやつのためだろうが」
通訳を聞いて声を漏らしたのはマッシュではなく、アドラーだった。俯いた顔から表情は伺えないが、組んだ腕が小刻みに震えている。図星だったのだろう。
マッシュがアドラーを伺いながら質問を重ねる。その全てをフィッシャーはのらりくらりとかわしていた。確かに嘘はついていない。どうやら、この怪物はイルミナが思っているよりは知能が高いらしい。そうでないと、二年もの間ヤードの目をくぐり抜け犯行を重ねるなんて出来やしないであろうが。
フィッシャーへの質問は全て意味がないようにイルミナは思っていた。彼も真面目に答える気はないようだったし、マッシュもそれを分かっているかのようだ。きっと、ヤードのやり方なのだろうが、時間を浪費しているだけだと感じていた。
マッシュの質問が途切れ、どこか弛緩した空気が流れ始めた礼拝堂。それを変えたのは、アドラーの隣で影のように押し黙っていたアルバート医師だった。
「私からもひとつよろしいでしょうか?」
イルミナとフィッシャーに交互に視線を走らせながら、汗を拭う。
「どうぞ」とフィッシャー。「長居はしたくない」などと言いながら、この状況を楽しんでいるように見える。
「ちょっと待って下さい」
口を開こうとしたアルバートを遮る。フィッシャーが不機嫌そうにイルミナを睨んだ。
「アルバート医師、この『埋葬』の説明は昨日と今日でしたとは思いますが」
「ええ、しっかり伺いましたな。なんでも、質問すると、彼の質問にも答えなければならない、と」
「その通りです」
「大丈夫ですよ、彼もきっと私に聞きたいことがあると思いますので」
落ち着きのない仕草は変わらなかったが、アルバートは薄くなった頭髪を撫で付けながらはっきりと言った。
そう、今回の『埋葬』は特殊すぎるのだ。
その理由の大半以上は呪書を使うことに拠るのだが、何かと制約が多い。「参加者が嘘を吐いてはいけない」というのもそのひとつだ。
その中でも一際異質な制約が、たった今アルバートが口にしたものだった。
質問をした生者に対して、死者はその質問に嘘を吐かずに答えなくてはいけない。その後に、今度は死者が生者に対して同じ程度の質問をしなければならないのだ。
この「同程度の質問」というのが実に厄介で、その尺度は個々に委ねられる。つまりアルバート医師の質問が彼にとってどうということはないものでも、フィッシャーにとっては違うかもしれない。その逆ということももちろん有り得る。どこまでも曖昧模糊とした、あるいはイルミナたち生者と、死者の境界かのような制約。
先ほどマッシュとフィッシャーのやり取りは、お互いにとって瑣末なものであったから言葉に詰まる様子は見られなかった。これがもっと踏み込んだものだったら、きっと空気は重くなる。
前提として嘘を吐くことは許されないのだ。
イルミナは礼拝堂を見上げる。
天井の高い礼拝堂は、二階、三階部分の壁に通路が備え付けられており、それ以外の中央部分は吹き抜けになっている。ちょうどフィッシャーが腰掛けている棺の上に、大きな球体があった。
先ほど『埋葬』を始める際に、彼の身体へと吸い込まれていったものである。
今は頼りなさ気な光をたたえ、ふわふわと浮かんでいるが、あれこそが『審判の光』と呼ばれるものだ。嘘を吐いたものはあの光によって、魂まで焼かれる。最後に残るのは無である。
イルミナにつられてアルバートも審判の光に目をやる。あまりの大きさに一瞬たじろいだようだったが、すぐにとりなしフィッシャーに向かって一歩を踏み出した。
「私からの質問は、簡単なものです。そして、貴方からの質問も同程度だと思いますよ」
「さて、それはどうかね? あんたのワイフがベッドでどれだけ乱れるかを聞くかもしれないぜ」
アルバートは軽口を肩をゆすって受け流し、汗を拭う手を止めた。
「アンドレア・フィッシャー。貴方は自分の余命が半年以内だと知っていたのですか?」
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