6.古代語

『埋葬』を始める前に――そう前置きして、イルミナは殿下を礼拝堂の中央に作られた祭壇に誘う。

 そこには、今まで彼女たちが立っていた場所よりも多くの蝋燭があり、熱がこもっているかのようだった。数多もの灯りに囲まれた中心に眠っているのは、もちろん月明かりの絞殺魔の遺体だ。

 彼の遺体は、普段『埋葬』される貴族のように着飾ってはいなかったが、清潔そうな衣服に身を包んでいる。胸の前で組んでいる腕は、細くも太くもない。中肉中背であるフィッシャーが収められている棺が手狭なせいか、やや窮屈そうに見えた。

 肩まで伸びた綺麗なブロンドの髪、その一筋がウェーヴして閉じた瞳にかかっている。すらりと伸びた高い鼻、薄い唇は固い意思によって真一文字に閉じられていた。皺もなく、きめ細かやかな肌。生前、似合わない顎髭を蓄えていたらしいが剃られていて、死化粧が薄く整えられている。

 そう、このアンドレア・フィッシャーという男は、コンプレックスの塊だというのが嘘みたいな美男子だった。

「これは……」

 イルミナの隣で彼を覗きこんだ殿下が、この地に現れて初めての動揺を示している。大きく見開かれた碧い瞳が、蝋燭の光を反射して揺らめいていた。

「説明が遅くなり申し訳ございません。この男の名はアンドレア・フィッシャー。殿下もご存知かとは思われますが、王都で頻発していた連続殺人の被疑者です」

 イルミナの言葉も届いていないようだ。その視線は一心に、フィッシャーの胸元に光るクロスに注がれていた。彼が、どんな時も身につけていたものだそうだ。

 

 ――父の形見だ。


 強くもない酒に酔うと、いつもそう零していたという。

 殿下は、右手で口元を覆い、何事か思案しているようであった。その人差し指には、同じデザインをした小振りな指輪が填っていた。


 これこそが、フィッシャーとイシュバル・ミラク皇太子殿下を繋ぐものだった。


 殿下はフィッシャーが産まれる前後に、娼婦街のある北方に遊んでいた事実がある。娼婦街で彼を見たという証言も得てあった。三十年以上昔のことであるから、その証言にどこまで信憑性があるのかは分からない。ただ娼婦街の連中は口を揃えて、貴族のような身なりをした客が現れたことは五十年以上もない、という。

 証拠……というにはあまりに細い繋がり。しかし、ひとつひとつは細くとも、それらが合わされば太く、強くなる。

 アンドレア・フィッシャーと娼婦街。

 それらの繋がりの中には、必ず殿下らしき男がいた。


 イルミナは、前日までに幾度も聞かされた殺人鬼と王族のありえない繋がりを思い返していた。全員がそうなのだろう、礼拝堂は痛いくらいの沈黙で満たされる。

「殿下、少々よろしいですかな?」

 沈黙を破ったのは、マッシュ警部だった。イルミナは後に知ったのだが、彼は数多もの事件を解決してきたヤードの中でもとびきり優秀な刑事だという。そんな彼でもこの重たい空気に耐え切れなかったのだろう、呼び掛けたはいいが、次の言葉が出てこない。

「遠慮せずとも結構ですよ、名前をお伺いしていなかったですね」

「こちらこそ失礼しました。私、王立警察第一重犯罪課の係長マッシュ警部です。田舎育ちなもので、礼儀は全く心得ておりません、そこはご容赦を」

「畏まらなくとも結構です。私はこのような性格ですので気にしません。国家総務大臣を任されているイシュバル・ミラクです。本日はよろしくお願いします、警部」

 どこまでも毅然と、そして飄々と、殿下はマッシュ警部の右手を握った。マッシュは慌てて跪き、頭を垂れる。がっちりとした体つきのマッシュ警部が縮こませているので、イルミナは笑いを堪えるために、ひとつ咳払いをした。

 それで呪縛が解けたかのようにマッシュは慌てて立ち上がり、「それでですね」と続けようとしたのを、殿下が押しとどめた。

「分かっています。それを貴方の口から言うのはいろいろと問題がありそうですし、私が言いましょう」

 イルミナは、部屋の隅でむっつりとしたままのアドラーを盗み見た。あの態度の方がよっぽど不敬だ、そう思うがもちろん口には出さない。

「つまり、この『月明かりの絞殺魔』の父親が私である、ということなのでしょう?」

 誰も何も言わない。殿下が続けようとした、そのときだった。

「それは、きっと彼が話してくれることでしょう」棺を指さしながらザックが殿下の前に進み出る。「これより始まる『埋葬』という儀式は、死者を一時的に蘇生させる技。到底信じられないことが起こると思われますが、その瞳で見たことが真実です。決して殿下を貶めようなどということもありません。そのようなことが起こりうるならば、我が殿下を全力でお守りいたします」

 

 ――ザックが、あんなに話すなんて初めて聞いた!


 ぽかんとしているイルミナに向かってザックが手招きする。そうだ、もう時間がない。

 彼女は棺の前に進み、そして室内にいる全員に向き直る。


「もう間もなく『埋葬』が始まります。一度始まってしまうと、全てが終わるまでこの場にいる人間は、真実しか話してはいけません。もしも嘘を吐いてしまうと――」


 静寂。イルミナの声だけが広々とした礼拝堂に響き渡る。話している途中で、イルミナの目前にある蝋燭が一際強く燃え上がり、そして消えた。それを皮切りに、礼拝堂に敷き詰めた灯りが消えてゆく。唯一の例外――中央に置いてある祭壇の周りを囲んでいる蝋燭は大きく燃えているが消えはしない。


 それが合図であった。

 全ての戸を閉めきっている礼拝堂の中に強く風が吹いた。その風は中央、すなわちフィッシャーの棺の上で留まり、蝋燭の炎を巻き込んで、眩いばかりの光を放つ。まるで炎の渦かのような球体が、フィッシャーの身体に吸い込まれるように消えていった。


「あんなに大きいだなんて……聞いていないわよ……」


 イルミナは半ば無意識のうちにそう零していた。その肩を誰かが叩く。振り向かなくてもザックだと分かった。「話すな」そう言いたいのだろう。しかし、まだ注意は終わっていない。イルミナは慎重に言葉を選び、早口でまくし立てた。


「嘘を吐いてしまうと、先ほどの火球に焼かれてしまいます」


 誰かがうめき声を上げ、イルミナの背後で何か動くような物音がした。振り返るまでもない。彼が目覚めたのだ。

 

 上半身を起こした月明かりの絞殺魔は場を睥睨するように視線を彷徨わせている。を探しているのかもしれない。

 その瞳は、碧く透き通っていた。

 フィッシャーは腕を天に突き上げ、身体を震わせる。それは『埋葬』を行った際に、死者がやる癖のようなもの。ただの伸びのようなものだったのだが、イルミナにはそれすらも禍々しく見えた。


 ――『埋葬』。


 それはこのモルグでのみ行われる、死者を一時的に蘇らせることの出来る秘術。かつてこの地上に生きていた古代人のみに伝えられたもの。いや、その言い方は適切ではない。古代人の末裔がイルミナの隣にいるからだ。

 そのザックは、無表情でフィッシャーを眺めている。本来『埋葬』には、古代人であるザックが長々と詠唱をしなくてはいけないのだが、今回は呪書を使うのでその必要はない。ただし、死者だけではなく参加者全員にがつけられる。

 それを説明するべく、イルミナは一歩前に出た。

「おはようございます、フィッシャーさん。私はこの死体安置所の管理人で、イルミナ・ロッキンジーといいます」

 彼女が話しだすと、ザックとフィッシャーを除いた全員が驚いたようにイルミナを見つめる。それもそのはず、今彼女が話している言葉は先ほど使っていた公用語ではなく、古代語だからだ。

「細かい説明は省きますが、あなたは一時的に我々と会話する権利を与えられました。蘇生した訳ではありません。足元を御覧ください」

 フィッシャーは棺の周りを見渡す。蝋燭に隠れて見つけづらかったが、そこには棺を中心に半径十フィートばかりの魔法陣が、真っ赤な絵の具で描かれていた。

「この魔方陣があなたの活動範囲だと思ってください。これより少しでも外に出るようなことがあれば、あなたの肉体ではなく、魂が消滅します。一度に行ったのであれば、私の言葉の意味も分かるかと思います」

 フィッシャーは、その言葉の意味を噛みしめるかのようにしばし思案していたが、やがてイルミナを真っ直ぐに見据えゆっくりと頷いた。

「それと、もうひとつ。考えるのは自由ですが、これより嘘を吐くことはおすすめしません。死者のあなたは魂が消滅してしまいます。生者の皆様は、彼の仲間入りすることになるでしょう」

 前半をフィッシャーに、そして後半は公用語で参加者に。イルミナは器用に使い分け説明をすると、マッシュ警部に向き直る。

「それでは、警部。質問等があればどうぞ。先ほど説明したかと思いますが、フィッシャー氏は公用語が話せなくなっています。通訳は僭越ながら私が」

「待て」

 短く、古代語を発したのはフィッシャーだった。どういったわけかは分からないが、死者は古代語しか話せなくなる。それは貴族だろうが、民間人だろうが例外はない。現に、国外に一度も出たことのないフィッシャーですらも古代語を話している。

 この場にいる中で、唯一生前のフィッシャーと話したことのあるマッシュが驚いたような視線を彼に投げかけていた。

「……何か?」

 棺から半身を起こしたままイルミナを眺めるフィッシャーの瞳はとても冷たい。ゆっくりと立ち上がると、棺から出て地面に降り立つ。何度も足元を確認するために地を踏みしめている。裸足だったので、ぺたぺた、と間抜けな音が礼拝堂に響いた。

 イルミナはといえば、ゆったりとした衣服を纏った彼のすぐそばにある蝋燭の火が燃え移らないだろうか、と場違いなことを考えていた。

「ここまでなんだよな?」

 彼の細い指が指し示しているのは、イルミナの足元、魔法陣の書いてある床だった。うっすらと笑みを浮かべたフィッシャーは、器用に蝋燭を避けながらイルミナのすぐ眼前に歩いてきた。屈託のない笑顔は、まるで悪戯を仕掛けた子供のようだ。

 イルミナは、彼がまだ生きているのではないかと錯覚しかけた。頬に赤みはないが、ただ顔色の悪い男に見えないこともないだろう。

 しかし。

 殿下と同じ色をした瞳は全く笑っていなかった。深い碧の瞳。それは誰にも見通せない深海のいろ。冷たく、恐怖すら覚えるのに……何故か視線を外せない。彼の身体よりも遥かに冷えているその目を見ているだけで、イルミナは月明かりの絞殺魔の深淵を覗いた気がした。

 しかし、気後れしている場合ではない。

「そうです。更に、私に触れない方が良いということも注意しておきます。出た、と見做されますので」

「神様にかい?」

「ご随意に。思想はそれぞれの自由ですから」

「食えねぇ女だ」

 フィッシャーはそれでイルミナに興味を失くしたとばかりに他の面々を見渡す。その視線はマッシュ警部で止まり、「おや?」と頓狂な声を出した。

「おやおや、これは連続殺人犯よりもただの酔っ払いを逮捕しようとした、無能刑事さんじゃないですか」


 ――この男は! 一体、誰が通訳すると思っているのよ!


 イルミナの仕事は通訳、それも一言一句違えず伝えることだ。それを理解しているのか、フィッシャーはニヤニヤしながら彼女を見ている。ひと睨みしてから、マッシュ警部に伝えることにした。もちろん、先ほどの言葉通りに。

 予想通り、と言うべきかマッシュ警部は怒りに身体を震わせてフィッシャーとイルミナを交互に睨んだ。フィッシャーはその視線を受け流し、「他は知らねぇな」とつぶやいた。

 本来は、ここから先はマッシュが仕切ることになっていた。だが、彼は未だ俯いている。仕方なく、イルミナがそれぞれを紹介することにした。

「まず、私の隣にいるのがザック・ノーガー。私と同じくこのモルグの管理人です。続いてあちらの長身の男性がアドラー公爵閣下。キングダム・ヤードの最高責任者でもあります」

「ふん、無能の集まりのてっぺんってわけか」

 はぁ――イルミナはため息を落とし、今の言葉を訳す。案の定、アドラーは発言の主であるフィッシャーを無視してイルミナを睨んできた。

「その隣の男性、こちらはヤードの専属検死医である、アルバート医師」

 アドラーの隣で汗を拭っている手を止めると、アルバートは「え? 私ですか?」と見た目とは似つかわしくない低い声で、視線を彷徨わせる。

「俺の腹を捌いたってことか。じゃあ、?」

「ええ、ここにいる一人を除いた全員が」

「その一人ってのは――」フィッシャーが殿下を指さした。「あの、やんごとなき雰囲気をお持ちのお方、ってわけか」

「まさしく。あのお方こそが、王位継承序列第一位イシュバル・ミラク皇太子殿下。あなたでも知っているかとは思いますが」

「なるほどね、オーケイ。ところで今日は何の集まりなんだい? まさか皇太子殿下がわざわざ俺に勲章でも授けてくれるわけでもあるまい」

 イルミナは絶句した。この男は、生前の行いを全く反省していない。それどころか、どこか誇らしげな様子でもある。フィッシャーは自分が収まっていた棺の縁に腰掛けると、くつくつと小声で笑っていた。

 彼が再び顔を上げると、その場の空気が凍りついたように固まった。イルミナだけでなく、その場にいた全員がそう思った。

 笑みが、消えている。

 ここに至って漸く彼女は、自分の目前にいる男が世紀の大犯罪者だということを気付かされた。悠然と構えるフィッシャーの様子に変化はない。だが、その瞳がどろりと濁ったかのように見えた。

 彼は――いや、は人間じゃない。きっと別の生命体なんだ。

 礼拝堂の気温が急に下がったかのように、イルミナは震えだした。これが、恐怖というものか。

 誰もが動けない中、ただ一人悠然と歩みを進めた者がいた。彼は、ゆっくりと魔法陣の中に入ると、両手を広げる。

 

「そこまで威嚇しなくとも良いでしょう、フィッシャー。そろそろ質問に移らせていただきます。いいですね?」


 イシュバル・ミラク殿下は、笑みを殺したフィッシャーとは反対に、どこまでも柔和に笑っていた。


「で……殿下?」

 イルミナは通訳も忘れ、呼びかけることしか出来ない。しかし、その必要はなかった。

「なるほどね。あんたがそうなのか。おっと、あんたとか言っちゃまずいよな」

「どうぞ、ご随意に。私もフィッシャーと呼びますし」

「そいつは結構だ」

 殿下と、フィッシャーの間で

「さて、そろそろ始めましょう。『埋葬』時間は有限のようですし」

 殿下が口にしている言葉。

「同感だ。俺も、こんな薄気味悪いところに長居はしたくないしな」


 それは紛れも無く、古代語だった。


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