5.殉教者

 礼拝堂の扉が軋みながら開いてゆく。ある程度まで開くと、すぐそこに待機していたであろうマッシュ警部の驚いた顔が見えた。扉が完全に開ききると、礼拝堂の中にいた一人を除く全員が一斉に跪く。もちろん、と言うべきかその一人はザックだった。

 外は抜けるような青空なのに、礼拝堂の中はどこか薄暗い。窓という窓に目張りがしてあって、外の明かりが入らないようにしているからだ。その理由はフィッシャーではなく、今回の『埋葬』にあたって、必要なことだからだった。

 壁面どころか、床にも足の踏み場もないほどの蝋燭が揺らめいている。その揺らぎが生み出す陰影は太古の昔にこの礼拝堂を訪れていた亡霊かのようで、イルミナの背筋に冷たいものが伝った。

 殿下もその仰々しい様子にたじろいでいたようであったが、僅かに肩をすくめるだけで、特に動揺はないように見える。

「まるで儀式のようですね」

 誇張も緊張もなく、ただ淡々と放たれたその言葉はどこか飄々としていて、イルミナは感嘆した。事前に聞かされ知っていた彼女や他の参加者ですら、目前に広がる光景には息を飲んだというのに。彼は全くといっていいほど物怖じしていない。

 その視線は物珍しそうに礼拝堂を見渡して、それから参加者の顔を見つめる。

 イルミナ。

 ザック。

 マッシュ警部。

 そして、隅の方で固まって立っている二人に視線を移したところで、初めて「おや?」と感情を含んだ声を出した。

 イルミナもつられてそちらを見ると、そこには見事に対照的な二人がいた。

 暖房はないとはいえ窓には全て目張りし無数の蝋燭があり、暑いくらいのこの礼拝堂の中にいるというのに、真っ黒なロングコートを羽織ったままでいる殿下に優るとも劣らない高身長の男が一人。日頃から剃っているのか、はたまた抜け落ちているのか禿頭で、眉間に皺を寄せている。

 もう一人はイルミナと同程度の身長。だが、イルミナが三人横に並んだくらいのでっぷりとした男。こちらはタイを締めてはいたが上着は脱いでおり、しきりにハンカチで汗を拭っている。

「これは、アドラー公爵閣下ではありませんか」

 殿下は彼らを見据えたまま、足元の蝋燭を器用によけながら歩いてゆく。アドラーという禿頭の男の手を取ると立ち上がらせる。イルミナが予想した通り、アドラーは殿下と同じくらいの身長であるようだった。傍らに未だ跪く太った男がいるせいで、二人の巨人が並んでいるように見える。

「皇太子殿下、お久しゅうございます。つい、忙しさにかまけてご挨拶が遅くなってしまい……」

「いえ、そんな。国民の安全を守っていただいているのですから。私も王陛下も感謝こそすれ、そのような些事なんと申しましょうか」

「勿体無いお言葉にございます」

 アドラーが眉間に皺を寄せたまま、口元だけで笑いを作る。それを見てイルミナは彼のことを思い出した。


 ミニシング・アドラー公爵。

 キングダム・ヤード創立者バデルハイル・アドラーの実子にして、現最高権力者。親子二代にして、たった数十年の間に世界的に見ても最高レベルの警察機構を創りだした、いわば生ける伝説。しかし反面、その独断に満ちた強引な検挙などで反感を買うこともある。冤罪が発覚したことも一度や二度ではない。その度に彼は「市民が安全の為だ」という免罪符を振りかざしていた。

 だが、不思議なことに今まで一度も彼を解任しろ、という話が出たことはない。異常なまでの検挙率がそれを後押ししているのだろうが、権力者の間を上手く渡っているというのがイルミナを含む、一般市民の間での常識だった。


 そんな彼が率いるヤードなだけに、今回の事件には力を入れているのだろう。それはそうだ。なにせ犯罪検挙率九割を超える、世界最高峰の組織を自負しているヤードであるから、世界最悪の犯罪者である月明かりの絞殺魔の自首、そして死亡は面子を潰されたようなものだ。

 本日これから行われる『埋葬』はせめてもの抵抗、というべきものなのだろう。何も掴めないまま被疑者死亡では、世論が納得するわけもない。フィッシャーに関する全ての情報を公開し、あくまで彼を逮捕したのはヤードである――そうすることで溜飲が下がると見るべきか。

 どちらにしても、常に黒い噂がつきまとうアドラーのことだ。どこまで公表するのか、それは分からない。


 二人の雑談を眺めていると、ザックがイルミナを見つめていることに気づいた。ただでさえ時間がかかりそうな今日の『埋葬』だ。早く始めたいのが彼の本心だろう。

 イルミナは内心悪態をつきながら、ひとつ咳払いをした。もちろん、彼らの雑談を止めるためだ。

「皇太子殿下、アドラー公爵閣下、ご歓談のところ誠に申し訳ありませんが、時間もございません」

「おお、そうでした」

 どこまでも柔らかな物腰で、殿下が手を広げた。

「では、ロッキンジー嬢。説明をお願いできますか?」

 反対にアドラーは不機嫌さを隠しもしない。冷たい視線がイルミナを射抜くが、気づかない振りをして殿下の後ろに控える護衛に向き直る。

「では、説明をさせていただくその前に。護衛の方は席を外してもらえますでしょうか? 本日、この礼拝堂には関係者のみの立ち入りとなっております」

「ふざけるな!」

 イルミナの言葉に反応したのはアドラーだった。禿頭に青筋が浮かび、遥か太古を生きた怒りの神を彷彿させる。嫌らしい瞳だ。

「殿下にもしものことがあった場合は責任をとれるのか? ここにおわすのは、我が国家そのものであるぞ!」

「ですが、規則ですので」

「規則だと? そんなものは人間のあいだでのものであろう。ロッキンジーとか言ったか? ひょっとして貴様は殿下を愚弄するつもりなのか」

「そのようなことは……」

「なにがそのようなこと、だ。だいたい、殿下にこのような地に足を運ばせただけで充分不敬である。その上、人払いをしろだと? 絞首刑ものだぞ!」


 身長差でまるで天から降ってくるかのような暴言の嵐を、イルミナは唇を噛んで耐える。

 これだから貴族なんて大嫌いなんだ。

 イルミナは本来、気の強い質である。ここまで言われて黙っていられる訳がない。そもそも、『埋葬』の依頼をしてきたのはそっちじゃないか。

 そう、口を開こうとした瞬間。


「まぁまぁ」

 

 と、張り詰めた空気をものともせず、殿下がアドラーの肩を叩く。

「そうしないと話が進まないのであれば、大丈夫ですよ。何か問題なんて起こるはずもない。なにせ、表には世界最高の警官たちが詰めてくださっている。更に部屋にはその中で最も優秀な警官がいる。そうでしょう、アドラー公爵閣下?」

 殿下にそう言われ、アドラーは渋々ながら引き下がった。殿下の指示で、護衛の男たちが門をくぐり、外に出て行ったのを確認して、ザックが口を開いた。


「殿下のおっしゃった通りだ。それとも、この六人の中に殿下を脅かそうとするものがいるというのでも?」

 その言葉に、アドラーは頭まで真っ赤にして押し黙る。

 イルミナは笑いを噛み殺すのに精一杯だった。


 ――まさか、ザックが皮肉を言うなんて!


 以前、アドラーは暗に王室を非難したことがあった。それでも現在の地位を維持していることが先の黒い噂に直結してあるのだが、それらはゴシップ誌にしか載っていなかったはず。

 それから暫くして、誰も言葉を発しないのを確認してから、ザックは大きく息を吸い込んだ。


「それでは、これよりアンドレア・フィッシャーの『埋葬』を始める」


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