4.真物

 雲ひとつない青空が、冬の森いっぱいに広がっている。

 太陽の光が一面を埋め尽くす雪に反射して輝き、まるで宝石のように眩い。澄んだ空気に吐き出されたイルミナの息が空へと昇ってゆく。

 本来であれば、晴れやかな気分になったであろうが、彼女の表情は曇ったままだった。

 イルミナの眼前には警官たちがいる。その数、百五十人。『埋葬』を行う礼拝堂の周りをぐるりと囲むように、ヤードの制服を着た屈強な男たちが真剣な面持ちで動き回っていた。王国中から集められた腕っぷしに自信のある彼らの仕事は、万が一に備えてこの礼拝堂を監視すること。この冬の森を囲む外壁にも、千人単位で警官が詰めているそうだ。

 警官たちの表情も、イルミナと同じく晴れない。一体、どれだけの人間が今日の仕事の意味を理解しているのか。ひょっとしたら誰も知らないのかも。


「お前は今日の任務を聞いているか?」

「いや、全く知らん」

「俺は要人の警護だと聞いている」

「それはおかしい。俺は重犯罪者がここにいると聞いた」

「なんだと? 俺は何も聞かされてないぞ。今日出勤したらそのまま馬車に乗せられてここにいる」


 と、そんなことを警官たちが話をしているのを、どれだけ耳にしただろうか?

 やがて、困惑しきった彼らが見つめるのは、イルミナだった。遠巻きに見ているだけならばまだいいが、直接聞いてくる者もいる。そんな彼らにイルミナは曖昧な笑みを浮かべ、「私はただの管理人ですので……」と言葉を濁すしかなかった。

 そんな思いをしてまで、表に立っている理由はひとつだけ。今日の『埋葬』に必要な最後の一人を待っているのだ。これだけの警官が動員されている理由のひとつでもある。

 約束の時間はとうに過ぎているが、イルミナはが来るとは思っていなかった。

 だが、管理人としてこうして「待っている振り」くらいはしていないといけない。コートを着ているとは言え、警官たちのようにこの寒空の下、ずっと立っている訳ではない。『埋葬』を行うのは礼拝堂の中なので、彼女がコートの中に着ているのは、『埋葬』時に着用が義務付けられている礼服だけだった。一度、暖をとるため礼拝堂に戻ろうとしたその時、人の海が割れ、警官だらけの中をこの場所に似つかわしくないモーニングを着た男が、ゆったりと歩いてくるのが見える。前後左右を警官にも負けないほどのがっちりとした体格をした男たちが固めていた。


 男は、イルミナの前で立ち止まり、微かに微笑んだ。身長が決して低くはない彼女が、首が痛くなるほど見上げないとその顔は見えない。長身痩躯、という単語が似合う初老に差し掛かった男は、頭に乗っている帽子を取った。

 豊かなロマンスグレーの頭髪を、ほつれもなく綺麗に揃えてある。髪と同じ色をした髭を、高い鼻の下に蓄えて、薄い唇から「こんにちは」と柔和な、しかしどこか威厳のあるバリトンでイルミナに挨拶をした。

 彼こそが、この『埋葬』に必要な最後のピース。しかし、まさか彼が本当にこんな僻地にまで足を運ぶとは!

 イルミナは跪き、深々と頭を垂れる。心臓は飛び出さんばかりだった。


「お初にお目にかかります、イシュバル・ミラク殿下。私めはこの死体安置所の管理人を務めさせていただいている、イルミナ・ロッキンジーと申します。殿下のご尊顔を賜ったばかりか、このような場所にまでご足労いただき恐悦至極に――」


 緊張のあまり声が震えるイルミナを手で制し、彼はその笑みを絶やすことなく彼女に優しく声をかける。

「こちらこそこの寒空の下、長時間待たせてしまったようで失礼しました。ロッキンジー嬢、私も寒いのは苦手なので、堅苦しい挨拶は抜きでいきましょう」

 そう言うと、自らも踏み荒らされて泥々になった雪に膝をつき、イルミナの肩に手を置くと立ち上がらせる。彼女はぽかんとした表情でそれに従った。周りを固めている大男たちが眉を顰めるのも無視して、今度はイルミナの手を取り「こちらで良いのでしょう?」と、そのまま歩き出す。

 まさかその手を離すわけにもいかず、イルミナは泣き笑いのような表情で礼拝堂への扉を彼と共にくぐった。


 ――噂には聞いていたが。


 声や、物腰と同じくとても暖かい手を握ったまま、イルミナはぼんやりと考える。

 彼女は仕事柄、今まで数多くの貴族と呼ばれる人間と会ってきたが、こんな対応をされたのは初めてだった。貴族たちは傲慢で、不遜で、自分たちが一番偉いとでも思い込んでいるのか、それが態度に現れているのだ。

 しかしは違うということなのだろう。

 彼女の手を取り、すたすたと歩く背筋は伸びており、イルミナはその背中に後光がさしていると錯覚するほどだった。


 今、イルミナと歩くこの男こそが、貴族の中の貴族でありこの国を象徴する王族。現王がお隠れになった際には、玉座へと昇ることになる第一王位継承者であらせられるイシュバル・ミラク皇太子殿下。

 

 ――まさか、本当にこの御方が?


 そして、月明かりの絞殺魔のと目されている人物だった。

 


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