2.王立警察

 月明かりの絞殺魔。

 彼――あるいは彼女は、今やこの国で一番の有名人だと言える。

 その二つ名が示すとおり月明かりが眩しい夜に出没し、若い女性を布で絞め殺す。最初の犠牲者は、王都から遠く離れた娼婦街の住人だった。そこでは殺人が日常的に行われていた為、特に警察も注目しなかった。人が死んでいるというのにひどい話だが、そういった土地なのだそうだ。

 ――よくある痴情のもつれ、もしくはマフィアの犯行。

 そう高を括って、捜査にも本腰を入れなかったらしい。


 それが致命的だった、そう後に識者は語る。

 翌週には二件、その翌月には更に三件の殺人が発覚し、これには警察も目の色を変えた。

 さらにもう一人の遺体が見つかったことから、同一犯人による連続殺人と断定。王都に捜査本部が設営されたが、それを嘲笑うかのように月明かりの絞殺魔は犯行を重ねる。

 今日まで二年足らずの間に、見つかっただけで犠牲者は八十人を超えていた。

 メディアも大きく騒ぎ、月明かりの絞殺魔という名が使われだした頃には国中から娼婦が消えた。そればかりか夜の外出を控える人が続出し、何軒かの飲み屋が潰れたらしい。

 娼婦や若い女性ばかり狙われていることから、犯人は何らかの肉体的な劣等感を持った若い男性だ、と論ずるゴシップ誌などの力も借り、月明かりの絞殺魔は全国的に有名になった。


 イルミナが知っているのはここまでだ。絞殺魔はしばらくの間、北にある娼婦街から外へ出ることはなかったのだが、彼女がこの死体安置所に着任した辺りから徐々に南下を始め、昨日王都へ向かう宿場町であった殺人を絞殺魔の仕業だと断定した記事が載っていた。

 記事を舐めるように読み回した後に、ひとつ息を落とした。

 さすがにこの冬の森まで来ることはないだろうが、物騒なのは変わりない。

 ザックはこの森から出ることはないが、イルミナは買い物などで月に一度は塀を越え、王都に出かける。


 ――王都に行くのは天気の悪い日にしよう。


 その時鍋が吹きこぼれる音がして、イルミナは今日の夕食のことを思い出した。


 多少失敗はしたが、小鹿の肉を煮込んだシチューは不味くはなかった。無表情でシチューを口に運ぶザックには、それを分かっている気配はなく、少し安堵してイルミナは夕刊で読んだ記事のことを話してみた。期待はしていなかったが、

「知っている」

 と、いつものようにぶっきらぼうに言ったので、イルミナは目を丸くした。

「へぇ、ザックがそんな事を知ってるなんて意外」

 その軽口には反応せず、ザックは無言のままシチューを飲み干し、ゆっくりとした足取りで彼の指定席である暖炉の前に向かう。

 食べるのが遅く、猫舌なイルミナは自分のシチューを掬い何度も息を吹きかけてから口に運んだ。


 時間をかけた食事を終え、食器を片付けた頃にはザックは暖炉の火を落として自室に戻ったようだった。トーカ村では子供はおろか、老人すらもまだ起きている時間だったが、このモルグの朝は早い為、自然と早く眠ることになる。

 これにももう慣れているので、イルミナも欠伸を噛み殺した。リビングとダイニングの電灯を落とし、彼女も自室へと向かった。

 

 夢と現を彷徨っていたイルミナは、大きな物音に目を覚ました。最初は先ほど見ていた夢の続きではないかと思い、なかなか瞳を開かなかったのだが、あまりに長く、そして強く叩いているのでようやく覚醒してきた。

 真っ暗にした部屋に置いてある時計を掴み時間を確認すると、イルミナは眉根を寄せる。

 トーカ村のどれだけ夜ふかしな人間でさえ眠っているであろう真夜中だったからだ。

「もう! いったい誰よ、こんな時間に!」

 悪態を吐きながら立ち上がり、これも枕元に置いていたランタンに明かりを灯した。試しに窓を見てみるが、眠そうなイルミナの顔が映っているだけだった。そこで彼女は寝巻きのままだと気づいた。上着を羽織り、音がする場所へ向かう。

 予想通りというべきか、当然だというべきか、その大きな音は玄関から聞こえていたものだった。こんな時間にこの死体安置所を訪ねる人間はそういない。

 王都にあるギルド――イルミナをここに派遣した仕事の斡旋所のようなものからの使者。

 それか――。

 イルミナはひとつ欠伸をして、のんびりと玄関に向かう。その姿に緊張感はない。この冬の森にある死体安置所は特殊な場所で、こんな時間だろうとお構いなしに訪ねてくる貴族たちが大勢いるからだ。

「はいはい、今行きますよー」

 分厚いドアだから聞こえはしないだろうが、そう呟きながら覗き穴を見て、イルミナは初めて驚いた。

 ドアの向こうに立っていたのは、貴族ではなく、警察官の制服を着た男が二人だったからだ。


 男たちは王立警察庁の警部と、警部補だと名乗ってさらにイルミナを驚かせた。キングダムヤードと呼ばれている王立警察は全国から優秀な警官を集めた精鋭の集まりだったからだ。

 用件があるとだけ言って、ドアを叩いたであろう大男はイルミナをじろりと睨んだ。仕方なく応接室に通してイルミナは飲み物を淹れるためにキッチンに向かう。

 ハーブティーを乗せた盆を持って応接室に戻ると、二人の大男は窮屈そうにソファーに腰掛け、物珍しそうに辺りを見回していた。

 この死体安置所の家具はほぼ全てザックが作ってはいるが例外がある。そのひとつがこの部屋だった。主な客は貴族なので、彼らに合わせた調度を用意しているそうだ。

 高級なソファーにテーブル、壁面には大きな風景画が飾っており、天井からはシャンデリアが下がっている。

 いくらヤードの人間とはいえ、こういった部屋には馴染みがないのだろう。イルミナが入ってきた瞬間に彼らは罰の悪そうな顔をして居住まいを正した。

「この森でしか採れない、特製のハーブティーです」

 テーブルにカップを並べると、彼らは口をつけ、顔を見合わせた後に一気に飲んでしまった。

「これは美味い」

 お世辞ではなく、心から言っているように思えてイルミナは嬉しくなった。ポットからカップに注ぐ。

「それで本日のご用件というのは?」

「ああ、そうですね。こんな夜更けに申し訳ない。ところで、管理人さんは月明かりの絞殺魔をご存知で?」

 その言葉を聞いて、幾分緊張していたイルミナは、更に緊張を強める。

 こんな夜更けに訪ねてくるということは、月明かりの絞殺魔がこの近くに出没したに違いない、そう思ったからだった。

「ああ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。別にあなたを捕まえようとか、この近くに絞殺魔が出たってわけでもない」

 イルミナはほっと息を吐き、肩の力を抜いた。

 だが、違うというのであればどういった用件なのだろう。

 しかし、その先はなかなか話そうとしない。二人で顔を合わせて、何やら苦いものを噛んだような顔をしている。

「あの、失礼ですが?」

 不審に思いそう促すと、ようやくマッシュというドアを叩いた年長の警部が話しだした。

「噂、ですよ。笑わないでください。とある貴族から聞いたのですが、この死体安置所では、一時とはいえ死者を蘇生させることが出来ると……」

 なるほど、やはりそっちか。イルミナは深く息を吐き、いつものマニュアルを口に出す。

「申し訳ありませんが。その問いにお答えすることは私の一存では出来かねます。どうしてもそう言われるのであれば、ギルドに行ってください。そして紹介状をお持ちになってからまたお越し下さい」

 そこまでを一息で諳んじ、イルミナは深く頭を下げた。

 二人は当惑したような表情でいたが、やがて懐から一通の手紙を取り出した。イルミナもよく知るシーリングワックスで封がしてある。ギルドの紋章だった。

「紹介状であればここにあります。しかしまさか、本当だったとは……」

 どう言えばいいのか分からないような表情でマッシュ警部は首を振った。

 紹介状つきであれば、仕方あるまい。イルミナは丁寧に手紙の封を切り、ギルドマスターの娼婦のような見た目からは想像もできない丁寧な文字に目を走らせる。

 それはある一点で止まる。

 いつしかイルミナの手は震えていた。

「……これって、本当ですか?」

 そこには、三日前に死亡したとされる月明かりの絞殺魔の遺体を『埋葬』する旨が記されてあった。


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