第二幕「絞殺魔の憂鬱」
1.新聞記事
常時冷たい風が吹き付ける冬の森。千エーカーほどの極寒の地では、常に雪が積もっている。どういう具合かは分からないが、この土地だけの特色であった。
西から東にかけて、うず高い針葉樹の森がある。中央に小さな小屋があった。その見た目とは裏腹に、地下には自然の空洞があり、それを利用した死体安置所がある。常時百人近くの貴族の遺体が置かれるそこは、世界各地に点在する他の死体安置所とは一線を画していた。
一部の人間しか知りえない秘密を守る管理人は二人。
一人は、無口で近寄りがたい雰囲気を持つ少年。その顔には表情と呼べるものがまるでなく、短く刈り込んだ頭から左目にかけて、大きな傷跡がある。残された右目は鳶色をしており、強い意志が感じられる。名を、ザック・ノーガーという。
もう一人は――。
「ちょっと、ザック! 手伝ってくれてもいいんじゃない?」
先ほどから忙しく動き回っている、金髪碧眼の少女。長い金髪を三つ編みにして二つに分けている。見目麗しい、とは言えないが、大きな瞳に、丸い鼻、赤みがかった頬はどことなく愛嬌があり、応対するものを安心させる。
大きめのシャツに、キュロットスカートをはいている。暖房が効いているとはいえ、この冬の森でする格好ではなかったが、少女は額に汗を浮かべていた。
月に一度の大掃除だというのに、もう一人の管理人は暖炉の前から動こうとしない。
三度目となる注意が先ほどの言葉である。
腰に手をあて、座り込むザックを見下ろす少女にたじろいたのか、彼は渋々といった様子で立ち上がる。
「うん、よろしい」
と、先ほどの不機嫌そうな表情からうって変わって、満面の笑みを作って頷く少女。
彼女こそが、ある意味ではこの死体安置所の長である、イルミナ・ロッキンジーだった。
ようやく掃除も終わり、イルミナはダイニングテーブルで、ザックは暖炉の前で、それぞれくつろいでいた。
ザックの前にカップが置かれた。ハーブ特有のいい匂いがする。この森にしか群生しないという香草を煮詰めたハーブティーだった。イルミナは、このハーブティーがお気に入りで、一日に五杯は飲んでいる。
ザックはちらりと、イルミナを見ただけで作業に戻った。イルミナは特に何かを言うわけでもなく、ザックの隣で彼の手元を見つめる。
やがて、立派な木彫り細工が出来上がった。これは狼だろうか?
無口なザックの唯一の趣味がこの木材工芸だった。
有事でない時の彼らの仕事は驚く程少ない。イルミナは朝と夜の二回、ザックが夕方に一回、それぞれ地下にあるモルグに降りて、異常がないか点検するだけだ。単調な仕事だったが、イルミナはわりかし気に入っていた。
給料はとてもいいし、時間もたっぷりあるので、趣味である読書が捗るのも大きな要因だった。
もうひとつの趣味であるお喋りはザック相手だと張り合いがなかったが、彼が決して無口ではないことを知っている。
ともかく、このモルグで働いて一年、イルミナは満足していた。
ザックがモルグに降りるのを見送ってから、イルミナは夕食の準備に取り掛かる。家事の全く出来ない彼だったので、イルミナがせざるを得ないのだ。ここに来るまでは包丁をろくに握ったこともなかったのだが、何とかなるものだ。今では難しい料理もこなせるようになってきた。
料理の下ごしらえを終えると、イルミナはいつもの日課を済ませる為に玄関へと向かう。
玄関とはいえ、見た目よりも遥かに大きな作りをしているこのモルグのものである。イルミナがかつて暮らしていた、トーカ村の自室なんかより遥かに広い。とても簡素な作りで、椅子が二脚にテーブル、そして、小さな暖炉があり、その前にロッキンチェアーがゆらゆら揺れていた。この家具たちもザックの手作りである。というよりも、このモルグにある家具から、食器一枚に至るまでほぼ全てがザックのお手製なのだそうだ。
イルミナは壁にかけられた時計を見る。
日課までまだ時間がありそうだったので、彼女はロッキンチェアーに腰掛ける。
――ちょうど、テーブル越しの椅子に座って、ザックはむっつりした顔をしてたっけ。
イルミナがこのモルグを初めて訪れた日。
あの日から一年が過ぎ、今では玄関の様子も少し変わっていた。家具の位置が僅かにずれ、空いた壁面には大きな本棚が鎮座している。
文盲であるザックには必要なかったもの。本棚には、この一年でイルミナが蒐集した本がずらりと並んでいる。
彼女の部屋にも本棚はあるが、それだけでは足りずに空いている部屋を彼女の書斎としていた。更には足りなくなり、玄関、更にはリビングにまで本が並んでいる。
この一年間のうち半分ほどザックは本棚を作っていたのではないか? そう思わせるくらいに今やこのモルグは立派な図書館になるつつある。
こんこん。
イルミナが揺られて眠りそうになったその時、遠慮がちにノックの音が聞こえた。
「はーい!」
返事をしながら立ち上がり、相手も見ずにドアの鍵を開ける。ザックが見ていたら不機嫌になっただろうが、普段の来客や物盗りの類だったらこんなに小さなノックはしないはずだ。
果たして、ドアを開くとそこにはいつもこのモルグに夕刊を届けてくれる、小さな老人が立っていた。
身長の低いイルミナよりも頭一つ分ほど低いその男は、顔中にマフラーをぐるぐる巻き、雪の反射で目を痛めないように色眼鏡をかけている。他の場所で見たら不審者だと思うだろうが、ここは年中雪が降る、冬の森である。その重装備も当然だった。
小さな、皺だらけの手には、いつもの夕刊が握られている。
「いつもありがとう、おじいちゃん」
イルミナが声をかけると、「なんでもない」とばかりに手を振って、そのまま立ち去ろうとした。この森の関係者は無口でないと務まらないのであろうか、イルミナがそう思うほどにこの老人も無口だった。
しかし、今日は違った。
森へ歩を進めようとしたその足をぴたりと止め、イルミナに向き直った。
「そいつにも書いてあるが、最近、この辺りも物騒だ。気をつけなさいよ、お嬢さん」
イルミナが手に持つ新聞を指差しそう言うと、マフラーを下げ、にんまりと笑った。歯が何本も欠けていたが、どこか愛嬌のある笑顔だとイルミナは思う。
「ありがとう。でもおじいちゃんこそ気をつけてね」
イルミナの言葉に片手を上げ、今度こそ老人は雪景色の向こうに消えていった。
扉に鍵をかけ、夕刊の一面を見てイルミナは「なるほど」と呟いた。見出しには、「月明かりの絞殺魔、ついに王都付近に出没」とある。
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