4.図書館
イルミナがたった今出てきた隠し通路のある机の上には、先ほどイルミナが礼拝堂に行っている間にザックが運び出した、ピーター・ジャクソンの遺体が横たえられている。特殊な防腐処理を施されたというこのモルグに眠っていた遺体は、まさしく寝ているかのようだ。今すぐに起き上がりそうだった。青白く、透き通った肌はどこか神秘的で、美しくもある。特にこのピーターという爵位を持った男は、贅を尽くした死装束を身にまとっていた。
彼の住まう国の礼服だという、ゆったりとした、どこか民族衣装のような趣ある服は絹で出来ており、ボタンなど装飾品は純金をあしらった最高級の素材を使っているらしい。よく見ると、服には禁猟指定された動物の毛皮が使われているようだったが、イルミナはこれを見なかったことにした。
その間にも、ザックの口からは呪文めいた詠唱が途切れることなく続いていた。
詠唱に合わせて、イルミナも唇を動かす。
――主よ、この大地に住まう、全てのいのちよ。
恐らく、隣でうやうやしく頭を垂れているエディには何のことやら分からないだろう。
今ザックが読み上げているものこそ、古代文字で綴った、太古の昔からある書物「死者の書」と呼ばれる、焚書の憂き目にあった魔道書の序文からの一節である。
――DとRの発音がまだまだね。
ザックに古代文字の読み方を教えたのはイルミナだ。彼女は、この為だけに雇われたと言ってもいい。文字の読めない彼に古代書を読み聞かせる、それがイルミナがここにいる理由だった。
たどたどしく、しかし力強い声で書物に書かれたことばを、命に乗せて紡ぐ――これを言霊という。ザックの言霊は、彼の不器用な優しさが見えるかのようで、イルミナには心地よく感じられた。椅子に深く腰かけ、目を閉じる。『埋葬』を執り行う為には分厚い死者の書を朗読しなければならない。この調子だとあと三時間ほどかかるだろう。三日前から、埋葬の準備で忙しく動いていたのでイルミナは疲れきっていた。ザックの言霊が徐々に遠くなってゆく。迫り来る眠気を払うために、彼女は図書館へと案内された時を思い返すことにした。
イルミナがモルグに着任して一ヶ月。初の埋葬の仕事が入った時に、ザックは彼女を連れて地下に降りた。慣れてきていたとはいえ、やはりぶっきらぼうな態度は鼻についたし、なにより、言葉が足りない。イルミナは頬を膨らませ、思い切り彼の背中を睨めつけながら着いていったのだが、それはザックがモルグ中央にあるランプを弄り、隠し階段を降りるまでの間だった。
「なにこの宝の山は!」
隠し階段にも驚いたが、それよりもそこにあるものにイルミナは瞳を輝かせ、円柱状に広がった部屋を見渡す。
天井は恐ろしく高かった。礼拝堂の地下と同じように、壁面に螺旋階段が設置してある。モルグの天井あたりまで、ザックが点けて回っているランプの明かりが照らしているにも関わらず、上部は闇が濃くへばりついていた。自分たちが暮らす地上にまで伸びているのだろう、とイルミナは考える。内部は礼拝堂よりも遥かに広いのだが、それをイルミナが感じることはなかった。何故ならば――
「こんなに……本がたくさん」
そこには見渡す限りの本の海だった。今までイルミナが壁と認識していた部分は全て本棚。そこに収まりきれない本が無造作に床に積み上げられている。イルミナは試しに目前の一冊を手に取る。読んだことのない本だったが、それを形どる文字には見覚えがあった。
「……古代文字」
他の本も同じだった。どうやら、ここに置いてある書物は全て古代文字で書かれたものらしい。
「ここにあるものは」
明かりを点け終わったらしいザックがゆっくりと階段を下りてきていた。イルミナが久しぶりに聞いたザックの声は、低く、凄みのあるもので思わず肩が震える。
「ここにあるものは全て、かつて失ったとされる書物だ」
「どういうこと?」
掠れた声のイルミナとは対照的に、ザックはよく通る声で説明を続ける。
「かつてこの世界には、二つの種族が共存していた」
誰もが知っている昔話だ。我々人類とは別の種族。それこそがこの古代文字の使い手であり、滅んでしまった旧文明。
「確か、洪水かなんかで滅んでしまったって……」
「違う」
短く、そして今までよりも強くザックが遮った。
「それは、今の政府が都合良くでっち上げた歴史だ。真相は違う」
ザックは積み上げられた書物の上に座る。管理人だというのに、なんて態度だ。本を大事に扱うイルミナにしてみれば、それはとんでもないことだった。一瞬だったが、思わず顔を顰めてしまったのをザックに見られてしまった。彼は自分の話を肯定したものと取ったのか、微かに頷くと、大きく息を吸って続きを話しだした。
「大昔、それこそ神話と呼ばれる時代にこの世界で大きな戦争があった。種族を二分して何年も戦争は続いた。現人類と、古代人だ。結果古代人は敗れ、彼らの築き上げた文化や歴史はなかったことにされた。くだらない、よくある話だ」
鬼気迫る、とでも言おうか、今までの無口なザックからは考えられないほどの雄弁さに気圧されながらも、イルミナは言葉を挟んだ。
「でも、彼らの遺跡や本はこうやって残っている」
古代人の遺した遺跡は今や発見されたものだけでも百を超える。文献なども数多くあるし、それらを解読した古代文化研究は王都では積極的に進められているはずだ。それに、今目前に広がるこの光景、これらはザックの話と矛盾している。
「違うかしら?」
イルミナが伺うかのように言うと、ザックはゆっくりと口の端を持ち上げた。笑った? ザックが?
「それは、さっき言ったように、政府によるカムフラージュだ。必要最低限だけを隠し、その他は公開。こうして公平さを保っているつもりらしい。馬鹿げてる話だ」
ザックは立ち上がると本棚のひとつに向かい、慣れている手で一冊を取り出し、それをイルミナに放った。だから、本はもっと大事に扱いなさいよ。
「しおりが挟んであるページだ。俺は読めんから分からんが、お前の前任者はそのページを読んでしばらくすると自殺した」
突如飛び出した物騒な単語に、イルミナは本を開く手を止める。
「今、何て言ったの?」
「自殺した。古代文字を読めるだけあって、熱心な古代研究家だったようだ。歴史の重さに耐え切れなくなったんだろう」
ザックの醒めた瞳から視線を剥がし、本に落とす。真っ黒な装丁をした本だった。タイトルに「クリウッド戦記」とある。慣れ親しんだ古代文字で書かれた書物が、禍々しい魔道書のように感ぜられる。
――歴史の、重み。
恐怖心よりも、興味が勝った。歴史の裏側。なんと甘美な響きであろうか。イルミナもまた、知識人だった。
震える手で、革製のしおりがはさんであるページを開く。
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