5.光

 ザックの詠唱が佳境に入ったところでイルミナは我に返った。

 あまりにも鮮明に思い出された記憶だったので、礼拝堂を見渡してしまったほどだった。天井は高かったが『図書館』のように本はない。どこまでもただの礼拝堂だった。

 イルミナは何故かそれに安堵して、厳かな空気を持つ礼拝堂の天井を仰いだ。

 ステンドグラスとかいう色とりどりのガラスを嵌めた天窓からは光は入ってこない。毎日のように吹雪いているので、本来の役目の半分も果たしていないように思える。それもむべなるかな、ここは元々冬でも森でもなかったそうで、遥か遠い昔にはこの天窓から光が降り注いでいたという。丁度窓の真下にはピーター・ジャクソンの遺体が横たえられていた。

 空気が身を切るかのように張り詰めてきたところで、ザックの詠唱は終わった。イルミナは立ち上がると遺体の前に歩み、静かに黙礼する。ザックは、息をついて先程までイルミナが掛けていた長椅子に座ったかと思うと、次の瞬間には小さな寝息をたてていた。詠唱には体力を使うらしい。

 イルミナは、未だに惚けているジャクソンに向き直る。

「さぁ、ミスタ・ジャクソン。埋葬の準備が整いました。どうぞ、こちらへ」

 彼は呆然と立ち上がり、よたよたとした足取りでピーターがの元へと歩く。


 その時。

 天窓からふわふわと、何かが降ってきた。それは雪の結晶のようでもあり、また綿埃のようでもあった。どこに向かうか悩んでいるかのようにゆらゆらと、ふわふわと頼りなげに礼拝堂を彷徨っていたが、やがて目標を見つけたとばかりにピーターの身体へと着地した。


 直後、ピーターの遺体は強く発光し、礼拝堂を眩い光で包み込む。イルミナも慣れてきたものの、やはり目を細めずにはいられない。

 発光はほどなく収まり、イルミナが目を開くと、隣から「おお、神よ……」というジャクソンの感嘆とも恐怖ともつかぬ掠れた声が聞こえてきた。


 それも無理はない、今まで彼岸を旅していたはずのピーター・ジャクソンが身体を起こしていたのだから。


 ピーターが半身を起こして、大きく伸ばしたのを見て、イルミナは笑いそうになった。今まで彼女が見ていた『埋葬』、そのどれもが死者は起き上がった直後に大きく伸びをしたからだ。同じ体勢のまま長い間眠っていたのだ。身体が凝って仕方ないのだろう。

 ピーターはゆっくりとエディ、イルミナ、そして未だ眠っているザックを順番に見回す。そして重々しく口を開いた。

「おお、ここは冬の森か? だとしたら私『埋葬』されたのだな」

 独白とも、問いかけともとれる声で、ピーターは一人頷いている。

「初めまして、私はこの死体安置所の管理人、イルミナ・ロッキンジーと申します。ピーター・ジャクソン伯爵閣下ですね、お目覚めはいかがでしょう?」

「あまり良くはない。何せ半年ぶりに起きたのだからな。それにしても、ロッキンジー嬢と言ったか? 君がここの管理人だと?」

「はい。若輩であります故、失礼があるかと思いますがご容赦ください」

 イルミナは文節の一言をはっきりと区切って、深々と頭を下げた。

「ふむ。その若さでを解するとはな。エディにも見習わせたいものだ。こいつがしっかりとしていれば、埋葬なぞせずに済んだものを――」

 その後にも続くピーターの小言を、イルミナは曖昧な笑みを浮かべ聞いている。当のエディはイルミナとピーターを交互に見回すだけだった。それもそのはず、今彼女たちが話している言語は、古代語なのである。


 これが、イルミナの――そしてこの冬の森の死体安置所の仕事だった。すなわち『埋葬』とは、死者を一時的に蘇らせる術のことらしい。

 正確には、モルグにを一時期つなぎ止めておく。時期が来たらその魂をこの礼拝堂に呼び出す。制約は多数あるものの、基本的にはこのモルグに遺体さえ運び込めば施せる術だという。イルミナも詳細は聞いていない。なにせ、説明するのはあのザックだ。ともかく彼女が聞いたのは『埋葬』というものがこのモルグだけでしか出来ないこと、この事を知っているのは一部の貴族だけ、そして現在はザック・ノーガーしか使えない古代人の秘術、だということだけだ。

 そして蘇った死者は、古代語しか話せないようになっている。どういう理屈かは分からないが、生前は現在の公用語しか話せなかった人間が、翌日の『埋葬』では古代語しか離せないようになっている。それがの公用語だそうだ。

 ここからがイルミナ本来の仕事である。文盲であり、古代語を解さないザックの代わりに、死者と生者の通訳をこなす。自分が図書館の司書でもなく、モルグの管理人でもなく、通訳をすることになるとは思いもしなかったが、ある意味では天職だったとイルミナは前向きに考えることにした。


 古代語と公用語の同時通訳。最初はそれにも難儀したものだ。どこで学んできたのか、辞書に載っていないようなスラングを使う死者もいたし、古い言い回し(元々古いのだが)を使う死者もいた。しかしそれも最初だけだった。二回目の『埋葬』ではそれにも慣れ、やすやすと仕事をこなした。やはり自分は向いている。そう思ったが、誰にも自慢できないことがただひとつの不満だった。

 このモルグでの仕事は、一切の口外無用なのだ。それも当然ともいえる。死者を蘇らせることが出来るのは、一部の貴族。こんなことが世間に知れたら暴動でも起きかねない。イルミは着任早々いくつもの書類にサインさせられた。要するに「この事を親兄弟とはいえ、他人に話すと一族郎党死刑」というものだった。それに、この仕事は王都が管轄している国家公務員というやつなのだ。国家ぐるみでこんな陰謀めいたことをやってるなんて。最初はそう思ったものだ。そう、最初は。


 今回も滞りなく終わりそうだ。そうイルミナが安堵した時だった。エディの愚痴を言っていたピーターの身体ががくん、と揺れた。饒舌だった彼がぜんまいの切れた玩具のようにその場にぴたりと止まる。

「お、おい。これは一体どういうことだ? 失敗じゃないのか?」

 エディが不安そうにイルミナを見つめる。

「ご心配なく。先程まで死者だった身体に魂を入れたからびっくりした状態です。身体と魂をくっつける糊が乾いてない、とでも言いましょうか。ともかく、暫くお待ちを」

 いやはや我ながらひどい説明だ。しかし仕方ない。イルミナだってこの『埋葬』がどういったものなのか理解してないのだ。この場の状況を理解しているただ一人であるザックは、深い眠りの中。

 今は待つしかない、ということをエディに伝え、イルミナはかび臭い本を胸に抱き、ピーターの覚醒を待った。



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