3.『埋葬』

 イルミナは、モルグの長い通路に置いてある柩には目もくれずに歩いていた。このモルグにやってきて、『埋葬』はこれで三回目だ。慣れた、とは言わないが驚きは薄れてきている。

 夕方にモルグに降りたのは初めてだったが、いつもと変わらない光景が広がるだけだった。光が届かない地下だから当然ではあったが、なんだか拍子抜けした気分になった。

 今日の目的は柩ではなく一番奥の扉だ。いつもと違うモルグを、半ば駆けるようにイルミナは最奥を目指す。朝早い時間とは違い、心なしか明るく見える。窓なんて存在しないから、それはただの気のせいだったのだが、それでも気分的には遥かにましだった。


 ――埋葬。

 それは、このモルグから墓地に遺体を移す時に執り行う、儀式のようなもの。この冬の森以外にも世界中にモルグはあり、どこでも同じことをやっているが、ここで言う『埋葬』をやっているのは冬の森のモルグただひとつだけだ。

 本来の役目は、その名が示すように、事件や事故に巻き込まれた、身元不明な遺体の一時預かりが目的なのだが、冬の森にあるモルグは少し違う。

 年中吹雪に晒されている冬の森は、遺体の腐敗が遅い。それを利用して、突然死した貴族の遺体が、遺された人間が問題を解決するまで置いておく、いわば一時預かり所のようなものなのだ。だから『埋葬』を行う時期もバラバラで、酷い時は一年近く遺体を置いておくこともある。

 ここでの問題というのは、遺産に関することだ。大抵は死期を悟った貴族は遺言状を遺すのだが、それを書く前に急死したり、書いたはいいが、手違いなどがあって法的に認められなかったり、果てには――遺族の誰かが改ざんしたり、破棄することもあるらしい。

 そういった、浅ましい問題が解決すればまだいいが、血なまぐさい事件に発展するようになり、それを重く見た政府がノーガー家の特殊な性質に目を付け、このモルグを創設したそうだ。

 イルミナがこのモルグでの本来の仕事内容を聞いたとき、ザックのような無愛想な男(今では良い所もあると知ってはいるが)でも務まることがすんなり納得できた。

 そして、図書館勤務を希望していた自分が何故ここに配属されたのかも。

 

 最奥に着く頃には半ば駆け足になっていたので、イルミナはひとまず息を整えることにした。

 大きな鉄扉はまるで来るものを拒むかのような迫力があり、なるほど、これならば侵入もないんじゃないか、とイルミナは呑気に思ったものだ。ひとつ息を吐き、ゆっくりと扉を引くと、たいした力も入れていないのにあっさりと開いた。

 半分ほど開いたところで身体を滑り込ませ、手にしたランタンに火を入れる。扉が重苦しい音をたてて閉じると、そこはランタンを持つイルミナの周囲以外は真っ暗な空間だった。イルミナは慣れた足取りで壁に掛けてある蝋燭に火を灯す。全部で十本の蝋燭を灯すと、ようやく部屋の全貌が見て取れるようになった。


 円形の建物だった。煉瓦で作られた壁に、イルミナの立つ地下から地上へと続く螺旋階段が寄り添うように設置してある。これも同じ煉瓦作りだった。ところどころ、煉瓦に上塗りしている漆喰が剥がれた跡があったが、床は掃き清めたように塵のひとつもない。部屋の中心には祭壇らしきものがあり、それがこの部屋で唯一の調度品と呼べる物だった。狭い部屋だからか、蝋燭に揺らめくイルミナの影が形を変化させ、それが酷く不気味に見える。

 ぼうっとしてる時間もない。

 イルミナは祭壇の両端に置いてある、二本の真っ赤な蝋燭にも火を入れる。祭壇を覆う同じく真っ赤で豪奢な布が薄暗い空間に浮かび上がる。その中心に頭蓋骨が見えた。祭壇の蝋燭は大きく、部屋の中は赤みがかった暖色に覆われている。

 いくら明るかろうが、頭骨が置いてある部屋に長居はしたくなかったので、イルミナは『埋葬』に必要な物を探しにかかった。

「あった」

 厳かな空気にあてられたのか、小さく囁くように漏らすと、イルミナは一冊の本を手に取る。それは、イルミナがここで働くことになった遠因でもある、彼女が見慣れた古代文字で書かれた書物だった。赤で固められたこの部屋とは対極の青い革張りの表紙。何気なくページを手繰ると、古臭い書物特有であるカビの匂いがして、イルミナは顔を顰めた。

 本を小脇に抱え、全ての蝋燭を消した後に、イルミナは元来た扉ではなく階段へと足を進めた。依頼人とザックは既にこの上の礼拝堂で待っている。

 目が回りそうな螺旋階段を昇りきると、小柄なイルミナが腰を曲げてようやく入れそうな小さな扉がある。扉の前に立ち手に持ったランタンを吹き消すと、足元すらおぼつかないような暗闇が残った。

 急いで扉を開くと、目前に高級そうな革靴が見える。次いで革靴の上から、依頼人であるエディ・ジャクソンの小さな少女のような悲鳴が降ってくる。

 イルミナが出てきたのは、礼拝堂の奥にある机だった。見た目には何の変哲もない机からイルミナが上半身を覗かせたらそれは驚くだろう。


 ――ザックも、説明してくれてたらいいのに。


 そう思い離れたところに立っているザックを睨むが、いつものような無表情のまま身じろぎのひとつもしない。

 腰を抜かしそうなほど驚いているジャクソンを無視して、イルミナが身体を出すと、隠し扉は小さな音を立てて閉まった。こちらからは入れないようになっているのだ。これが、いつかイルミナがザックに聞いても返事がなかった礼拝堂の通路の仕組みだった。ザックが無言で肯定も否定もしない時は、「問題ない」だとか、「お前が気にすることはない」といった感じなのだ。

 イルミナが埃を手で払い終わるのを待っていたザックは、彼女が椅子に腰掛けるのを見てから机の前に立った。ジャクソンはぽかんとしてザックとイルミナを交互に見やる。イルミナはジャクソンに向かって指を一本立てて、口元に持っていく。「静かに」というジェスチャーが伝わったのか、ジャクソンは何度も頷きながら、イルミナとは通路を挟んで反対側の長椅子に座り込んだ。

 それを気配で察したのだろう、ザックが背中を向けたまま厳かに口を開いた。


「それでは、これよりピーター・ジャクソンの『埋葬』を始める」


 普段、無口なザックとは思えないほど、それはよく通る声だった。

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