2.来客
手元のファイルに「異常なし」と書き込み、イルミナは嘆息する。
冬の森へと着任してから三ヶ月ほど過ぎた。その間イルミナに与えられたのは、ただひたすら遺体に異常がないかを確認するだけの仕事だ。荒廃した僻地のモルグまでわざわざ盗掘をしに来る人間がいるとは思えなかったが、それ以外にも動物なんかが忍び込んで遺体を荒らすことがあるそうで、こうして毎日朝と晩の二回確認をしている。
とはいえ遺体は石の柩に収められているからそうそう異常があるわけではなく、イルミナがこの三ヶ月間で得た成果は「異常なし」という文字が上手くなった、ということだけだった。
モルグは、あの小屋の地下にあった。ザックに案内され、初めて見たときはとても驚いた。
そこは地下とは思えないほど広く、明るかった。
天井はとても高く、背の低いイルミナが十人以上いても手が届かないくらい。等間隔にガスランプが配置されており、その火を絶やさないようにするのも仕事のうちなのだそうだ。
なにより壮観(不謹慎だが)だったのは、階段を降りて目前に道がある以外は、全て柩だったことだ。その柩には全て遺体が入っているそうだ。ザックの案内のもと、イルミナは左右、等間隔に並べられた柩を途中まで数えていたのだが、百を超えたところで諦めた。往復するのにかかった時間は三十分以上。
一番奥にも扉があり、こちらは礼拝堂へと通じるものだそうだ。礼拝堂は針葉樹の森を抜けたところにあり、イルミナが出発した城壁のすぐ近くだそうだ。分厚い鉄製の扉は施錠されておらず、試しにイルミナが引いてみると、錆び付いた音と共に簡単に開いた。
「こっちから簡単に侵入されちゃうんじゃ……」
イルミナは問いかけてみたが、ザックからは返事はこなかった。
「よし、終わり」
イルミナは、最後の柩を開き、確認してから閉じた。『リック・ゾンターグ卿』と柩に書かれているその遺体は、まるで眠っているだけかのように綺麗なままだった。この遺体だけではない。他の遺体も似たようなものだった。多少の差はあったものの、全ての遺体は綺麗な衣装を着て、手を前に組んでいる。柩の中には宝石や、紙幣などが一緒に入っていた。
切れかかっているガスランプに燃料を補給し、イルミナは地上へと戻る。
つづら折りになっている石階段を上り、扉を開くとイルミナはほっとしたように息を吐き出す。いくら明るいとはいえ地下は冷えるし、それにそこにあるのは全て遺体だ。はじめの何日かは夢に見るくらい怖かったのだが、今では慣れたものだった。ただ事務的に遺体の状態を確認するだけ。
地下に降りるのは、最初にイルミナが迷い込んだ時にザックが入ったもうひとつの扉の先からだ。
イルミナが思ったとおり、この家は見た目より遥かに大きい作りだった。
まず、この部屋。簡単な祭壇が作られており、他にはコートをかけるフックがいくつか無造作に並んでいる。間取り図を見せてもらった時に書かれていたその名前は、『境界の間』。文字通りの意味で生者と死者の境界線と言えるべき部屋だ。
今イルミナが上ってきた階段の正面に祭壇があり、向かって右にこの家の入口がある、ロッキンチェアーが置いてある暖炉の部屋。見取り図に書いてあった名は、『玄関』。
イルミナはコートをフックに掛けて、左手のドアへ向かう。
「えっと、どれだったっけ」
そう零しながらワンピースのポケットへ手を忍ばせる。じゃらじゃらと金属の擦れ合う特有の音。これがイルミナはひどく苦手で顔をしかめ、もどかしそうに鍵束を取り出した。
「そう、これこれ」
二十近くはありそうな束から、頭に獅子を象ったものをドアに差し込む。
ドアを開くと、底冷えする冷気を押しのけるような暖かな空気がイルミナを包んだ。そこは簡易的なキッチンとダイニングがある『晩餐の間』。ドア正面に玄関よりも大きな暖炉が置いてあり、その前にザックが座り込んで何かをしていた。無口な彼の唯一とも言える趣味である木彫り細工を作っているのであろう。
ドアの開いた音は聞こえただろうに、こちらには見向きもしない。
「終わったよ」
返事がないのは分かっていたが、一応声を掛ける。ザックは軽く右手を挙げた。
窓を見ると、うっすらと夜明けが近づいているようだった。
年中吹雪に晒されているこの冬の森は昼が短く、夜は極端に長い。四季なんてものが存在していないかのように、いつだって日が昇り始めるのは子供たちが学校に向かう時刻に近い。
イルミナは肩をすくめ、キッチンからマグカップとポットを取り出し暖炉に向かう。鉄鍋が湯気を立てていた。蓋を取るとハーブのいい匂いがした。ここいらに群生している、薬能効果のあるハーブを煮詰めた湯だ。
その湯を掬い、ポットに入れる。ポットにはあらかじめ茶葉が入っている。頃合を見計らってマグカップに注ぐと、茶葉とハーブの混じりあった芳香が広がる。いわば即席のハーブティーなのだが、イルミナはこの茶が気に入っていた。
暖炉の前に置いてあった椅子に座り、茶を一口すする。ザックは本棚を作っているようだった。これはイルミナの頼んだものだ。
ここは僻地だったし、仕事は朝と晩合わせて一時間もすれば終わるような簡単なもの。しかも、同僚はひどく無口な男ときている。そんな状況だったからか、思ったよりも給金が多かったからか、イルミナの読書量は自然と上がっていた。自室に備え付けられた本棚はあっという間に本が埋まってしまい、今や足の踏み場もないほどの本が部屋を占拠している。そんな時に、イルミナが今座っている椅子をザックが作っていたのを見かけ、気づいたときには無口な同僚に「本棚って作れる?」と聞いていたのだ。ザックはいつものように無表情でイルミナを見ると、微かに頷いた。
「お願いしてもいいかな?」
「……一週間待て」
それは了承した、ということだ。イルミナはこの無口な男が決して冷たい人間ではないというのが分かってきた。
このハーブティーを教えてくれたのもザックだった。イルミナがここの寒さに慣れず、震えていると「飲め」と言ってマグカップを差し出してきたのだ。
「ありがとう」
イルミナが礼を言うと、「こんなことは何でもない」と言わんばかりに鼻を鳴らし、肩をすくめていた。
それになによりイルミナが驚いたのは、ザックの年齢である。ある日の夕食時に年齢を聞いてみると、イルミナと同じだと短く教えてくれた。
それからイルミナのザックを見る目は、どこか暗い影のある無口な青年から、老練然としてはいるものの、人見知りをするどこかあどけなさを残す少年へと変わった。
それに、彼との付き合い方も理解してきたし、読書の時間も多量に取れる。この仕事は以前よりも苦痛なものではなくなってきていた。
それからしばらくザックは本棚を作り、イルミナは部屋から持ってきた本を読んで時間を過ごした。 やがてザックが立ち上がり、無言のまま境界の間へと向かう。ザックの仕事の時間だ。
彼は日に一回だけ、モルグへと降りる。そこで何をしているのかは知らない。以前聞いたときに無言で首を横に振っただけだった。
――お前は知らなくてもいいことだ。
ザックの瞳はそう言っていた。それからは聞かないことにしている。彼が一度決めたことは決して翻さないのは短い付き合いながら分かっていたからだ。
ザックが降りている間に料理を作るのはイルミナの仕事だった。
当初は交代で作るようにしていたのだが、ザックは生活能力は皆無なようで、料理はおろか洗濯、皿洗いも出来ない有様だった。だからいつしか家事全般はイルミナの仕事になった。どちらかといえばイルミナの方が仕事量は多いと言えたが、それもたいして苦痛ではない。家事は嫌いではなかったし、ザックに任せるととんでもないものが出てくるのが目に見えているからだ。
朝食の準備に取り掛かろうと、読んでいた本に栞を挟んで立ちあがったまさにその時、微かにノックの音が聞こえた。
イルミナは特に訝るでもなく玄関に向かう。
「どちら様?」
ドアを開く前に、まず誰が来たのかを確認しろ。それはザックが何度も言っていたことだった。ここがモルグだというのは公然の事実だ。そのモルグに眠る宝石を狙う強盗が来る可能性はゼロではない。だから各部屋にそれぞれ鍵が設置されているのだとか。おかげでイルミナは自室に戻るにも決して軽くはない鍵束を持ち歩かなくてはならない。
覗き穴からそっと見ると、そこにはでっぷりと太った男がガタガタ震えながら立っていた。少なくとも強盗には見えない。
「ああ、良かった! 凍え死ぬかと思った! 私はエディ・ジャクソン。以前手紙を差し上げたものです」
その名には覚えがあったのでイルミナはドアを開く。
ジャクソンはイルミナを見ると、丁寧な物言いをして損したとばかりに舌打ちした。
「お前は召使いか何かか? 管理人を早く呼べ」
せっかくドアを開けてやったというのに、尊大な言い方をされてイルミナは顔を顰める。全く、貴族というのはこういった連中ばかりなのか。
それを見たジャクソンは「なんだその態度は!」とか言うので、イルミナはたっぷり息を吐き出したあとに、「私が管理人です、ミスタ・ジャクソン」と言ってやった。
実は、玄関にはもう一つドアがある。その先にあるのは『応接の間』。
徹底的に無駄を排除したこのモルグには似つかわしくない、意匠が施された部屋だ。上等なカーペットに、上等なソファー、上等な壁紙に上等なエトセトラ。これも上等なテーブルにイルミナはカップを置いた。中身は特製ハーブティーだ。
ジャクソンは震える手でカップを持ち一口含むと、複雑な表情を浮かべるが、イルミナが様子をうかがっているのを見ると、
「いやぁ、大変美味しいお茶ですな」
と追従するかのように笑う。目前にいる、ジャクソンよりも二回り近く年下の少女が管理人と分かった途端、態度を変えるこの人間が哀れに見えた。
ザックが戻るまでこのまましばらく待たせても良かったが、この男と過ごす時間を少しでも削ろうと思い。用件を聞くことにした。
確かにこの貴族から、冬の森へと伺う旨の手紙は先日届いた。長ったらしい時節の挨拶から入り、自身が持つ爵位、経営している会社、果ては国家に対する貢献までもを自慢げに便箋十枚ほど記し、その後にこちらの機嫌を伺うかのようなへりくだった、しかし尊大な文章が続いていた辺りでイルミナは手紙を放り投げた。要点を記すべきであるのに、それはどこにも存在しない、ただただ人を不快にさせるだけのもの。一言で評するなら空虚以外のなにものでもない。
そう、このエディ・ジャクソンという男は手紙に用件を記してなかった。本来はそういった手紙は無視するのだが、今回はギルドからの委任状つきだったので断れなかった。イルミナもザックも所詮は雇われ管理人なのだ。
「それで、ミスタ・ジャクソン。今回の依頼の内容はなんでしょう?」
「それがですな。今回は『埋葬』をお願いしたいのです」
その言葉を聞き、壁に掛けてある時計を一瞥したあとにイルミナは息を大きく吐いた。この件はイルミナだけで処理できるものではない。ザックを待つべきであろう。
それに、『埋葬』とは。栞を挟んだ本の続きが読めるのはどうやら先になりそうだと、イルミナは息を落とした。
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