第2話 海の近い街

◇◇◇◇◇

 三十分前。

 鎌倉駅前を通り過ぎ、小町通りへと足を踏み入れて私は歩いていた。


 ここ、武家の古都・鎌倉は、海あり山ありの景勝地。鎌倉五山を始めとする寺社が点在する一方、綺麗な街並みが広がり、評判の良い飲食店も集まっている。


 少し足を延ばせば海にも道はつながっていて、穏やかな海原を眺め、潮の香りを吸い込みに行けるのだ。私も小さい頃、鎌倉の中でも海がすぐ見える方に住んでいたから分かるけれど、本当に海との距離が近い。


 私が今歩いているのは、その鎌倉の中心地。鶴岡八幡宮を中心に、参拝客や観光客でにぎわうエリアだ。細い道には点々と魅力的な店が散らばっている。一歩道を行けば古い洋館や教会がさりげなく佇んでいたりもする、和洋折衷な雰囲気の街並みだ。


 中でも、鎌倉駅東口の鳥居から鶴岡八幡宮までまっすぐに続いている小町通りは、鎌倉の有名な観光土産通りとしても知られている道だ。


「おお、美味しそうな匂いがする」

 そして、食べ歩きのできるものを売っている店が多い道でもある。

 パリパリ生地にレモンの酸味とシュガーのざくざくした歯触りがたまらないレモンシュガークレープが有名な、生地を主役にした珍しいクレープ屋さん。


 苦さが抑えられるぎりぎりまで抹茶を贅沢に練りこんだ、濃厚な抹茶ソフトを売っている店に、焦がしバターの匂いがほんのり漂ってくるスイーツの店。


 食べ歩きができる店はもちろん、和柄の和傘やかんざしの専門店、ポップでかわいらしいデザインの文具が売っている雑貨店、何種類もの手ぬぐいが店頭にずらりと並べられた人気の手ぬぐい専門店と、人気店がずらりとひしめき合うこの通りは常に人が絶えない。


 この先を抜けると鶴岡八幡宮の鳥居だ。周りを圧倒するスケールの鳥居の前を通り過ぎ、私はさらにその奥の通りへと歩いていく。


 さっきまでとは打って変わって静かな通りを、鎌倉を横断する滑川の方角へ歩いて五分ほど。


 見覚えのある、小さな洋館が見えてくる。薄茶色のレンガ壁に、緩やかに斜めの線を描くレンガ色の屋根。ステンドグラスを嵌めこんだアンティーク調のどっしりとしたドアの目の前に、私は立ち尽くした。


『硝子館 ヴェトロ・フェリーチェ』。レンガの外壁に埋め込まれた銀色のプレートに、洒落た黒色の斜体文字で、そう店名が刻まれている。


「今日はついに、入ってみようかな」


 私はそのドアを見上げながら、ごくりと唾を飲み込んだ。なんだか落ち着かなくて、高校の制服から着替えてきたばかりの春物のグレーのニットワンピースの袖をぐっと握り、周りをそろりと見回してみる。


 大丈夫、周りには人通りがない。

 前々からこの個人的に気になるお店を見つけて気になっていたものの、何となく敷居が高そうなアンティーク調のドアに気が引けて。


 今日こそはと気合を入れて、この前バイトのお金で買った五千円の新品のワンピースを下ろしてきたのだ。五千円は、高校二年生にとっては立派に高い。使い捨てコンタクト一ヶ月分と同じくらいの値段だ。


「うん、この後も買い物しなきゃだし。迷ってないで早く入る!」

 自分に言い聞かせながら、ダークチョコレート色のアンティーク調のドアを思い切って開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る