第22話

 市川さんが念のためにと朝井さんへ電話すると、本当にもう戻って来ないという返事をもらったようだった。しかし四人分の料理がテーブルに並べられてしまい、席を立つわけにもいかなくなっている。


「全部は無理、だよね」

「うん……」


 妙な空間を共有したからか、何か変な力が働いたように自然と軽口が出た。その一言同士の会話だけだったが、気まずい空間が晴れて行った気がした。

 とりあえず、自分たちの頼んだ料理を食べることにする。


「それにしても昨日びっくりしたよ。急に香澄ちゃんから電話がきて、瀬川くんと水穂くんと一緒に遊びに行こうって」


 市川さんが口を開き、困ったように笑う。


「水穂くんの電話番号教えてって言われたときもなんだろうって思ったけど、まさかこんなことになるなんて」

「色々急だね」


 お互いに笑う。


「うん……。ねぇ、今更だけど、水穂くんは香澄ちゃんと幼馴染なんだよね?」

「前同じマンションに住んでたから。竜くんもそうだけど」


 市川さんとの会話の中で、朝井さんの話題が出たのは初めてだ。


 市川さんとの出会いは、高校二年のときに同じクラスになった時だった。二人で会うようになったのは、その年の秋ごろだ。一年くらいそんな関係は続いた。市川さんは、どんな音楽が好きだとか、ドラマが好きだとか、どの先生が苦手だとか、クラスのこと、友達のこと、部活のことも。自分のことをよく話してくれた。


 それを考えると、市川さんが朝井さんのことを口にしていなかったのは意外なのかもしれない。市川さんは朝井さんと仲が良く、部活も同じだった。朝井さんの話からすれば、市川さんと朝井さんの間で僕の話題が出ることはあったらしい。きっとその中で、朝井さんと僕が幼馴染だと知ったのだろう。


 それなのに、これまで市川さんは僕の前で朝井さんの名前を出すことはなかったのだ。


「でも、なんか水穂くんと瀬川くんって全然タイプが違うから、二人が話してるところってあんまり想像つかなかったんだけど、瀬川くんのこと『竜くん』なんて呼ぶ人、他にいないよね。ホントに幼馴染なんだなって、見てて思った」


 確かに、瀬川くんを下の名前で「くん」付けで呼んでいる人はあまりいないのかもしれない。苗字にせよ下の名前にせよ、呼び捨てされている印象だ。


「市川さんは、かすみちゃんと仲いいんだよね」


 オウム返し的に聞く。聞くまでもないことだろうけど。


「うん。香澄ちゃんとは一年のとき同じクラスになってね、知ってるかもしれないけど、部活も一緒だから。それと知ってる? 香澄ちゃん、学校の先生になりたいんだって」

「そうなの?」

「うん、それで大学選んだみたい」

「そうなんだ」


 将来の夢を持っていることに尊敬を感じ、同時に、やっぱり瀬川くんのたばこなんて絶対に認めるわけにはいかないな、とそんなことも思う。


「でも今日のことさ、香澄ちゃんが瀬川くんとの仲直りしたかったのはそうなんだろうけど、もしかしたら、香澄ちゃんは水穂くんのことも心配だったのかもしれないなって思うの」


 少し声のトーンを落として大事そうに言ったのだが、その意味を理解できず、「え?」と聞き返す。


「実はね、二年のとき……その……」


 少し言いづらそうに口ごもるも、続けた。


「あたしたちが、付き合い始めた、ときね、そのことを香澄ちゃんに話したら、『あたしの幼馴染だよ』って嬉しそうに言ったの。あたし、ちょっとびっくりしちゃって。水穂くんと香澄ちゃんが話してるとこなんて見たことなかったし。でも香澄ちゃんは、水穂くんのこと下の名前で『泰樹くん』って言うし」


 そうだった。話をしていたのは中学のころまでで、高校では全くしていない。昨日話したのがかなり久しぶりだった。


「で、それから、水穂くんのご両親のこととか、それも香澄ちゃんから聞いたんだけど……」


「あ……うん」


 言葉にしづらいことに、声がこもる。

 両親のこと、市川さんには何も言わなかった。知らないなら知らないままでいいと思った。そのせいで気を遣わせたくなかったし、遣われたくもなかった。


「多分、香澄ちゃんはそれも気になってたんだと思うんだよね。水穂くんが元気かどうか結構聞いてきたし、あたしにそれを言ってないことも、水穂くんになんでって直接は聞けないだろうし……だから、今日はそれもあったのかなって」


「そう……なんだ」

「でも、あたしまで呼んだのはなんでだろうって思うけどね」


 市川さんはどこか気まずそうに笑みを漏らす。


 朝井さんは、瀬川くんのとのことを「卒業までには何とかしたい」と言っていたけれど、それは、僕についても同じだったということだろうか。

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