第15話
準備を終えてレーンに入ると、皆コートを脱ぎ、レンタルした靴に履き替え、ゲームが始まった。投げる順番は、朝井さん、瀬川くん、市川さん、僕。じゃんけんに負け続けたため最後だ。
それからも特にいざこざはなく、スムーズに進んでいった。投球の成功と失敗で一喜一憂して明るく声を上げる朝井さん、一緒に笑う市川さん。僕も、その雰囲気にのって頬を緩ませていた。瀬川くんも、自ら朝井さんと市川さんの会話に入っていくことはないが、表情を見る限り、嫌な感じではなさそうだった。
そして一ゲーム目の後半にさしかかったところ、投球後の朝井さんが僕の隣に座り、話しかけてきた。
「そういえば、泰樹くんは就職なんだってね」
なんかちょっと不思議なにおいがする、化粧かな、香水というやつかな、なんてことを思いながら、話題にはひるむ。それでも、柔らかい表情をした朝井さんの調子に合わせて頷く。
「うん。そうだけど」
朝井さんに直接それを教えてはいないが、多分、市川さんに聞いたのだろう。就職が決まったのは九月、その時はまだ少しは会っていた。
「偉いよね、どんなことするの?」
偉い……瀬川くんにも言われたが、何でそう思うのだろう、と不思議がりつつ言葉を探す。
「多分、工場の生産ラインかな? そこで何かするみたい」
「あはは、はっきりしないね。自分のことでしょ?」
朝井さんが苦笑いをもらす。同じような表情を返して、
「そっちは大学?」
「うん……ああ、おしいなぁ」
レーンで、瀬川くんの投じた力強いボールが真ん中へ吸い込まれて勢いよくピンを弾いたのだが、右端の一本だけ残ってしまった。
「あたしは大学だけど、でも引っ越すんだよね。ここからだと遠くて」
卒業までに仲直りしたいと言っていたのは、そういうこともあるからだろうか。
「そうなんだ。じゃあ一人暮らし?」
「うん、そう」
「何か、やりたいことがあったの?」
なんとなく、遠くを選んだことに意味があるのかなと、単純にそう思った。
「うん。やりたいことはあるよ。ただ、別にその大学じゃなきゃダメってわけじゃないかな。ただ環境とか、レベルとか、ね、ちょうどいいかなって……おお、やったぁ」
瀬川くんが、見事残ったピンをはじいていた。
僕なんかより朝井さんの方がずっと偉い。目的を持って、そこに向かっている。朝井さんは勉強もできるし、生徒会に入っていたり、積極的な人だった。多分、自分の向かうべき道筋を見ることができて、かつそれを体現できる人なのだと思う。それに加えて容姿も良い。これが噂の完璧人間か。そんな人が身近にいたなんて、なんて恐れ多い。
「いっちゃんは都内の大学だよね」
投球のために立ち上がった市川さんへ、朝井さんが言葉を投げた。
「え? うん、そうだよ」
市川さんは少しぎこちなく微笑んで頷いた。隣の僕が目に入ったからだろうか。
季節が寒くなる前くらいに、どこの大学を受けようと思ってる、みたいな話はしたことがあった。結果はそのあと、偶然学校内で会ったときに聞いた。第一希望ではなく、第二希望に合格したらしい。どちらも都内の大学だったため、引っ越しすることはないだろう。
市川さんと入れ替わり、投球を終えて戻って来た瀬川くんが近くに腰を下ろした。話の流れから、おととい、瀬川くんが家に来たときの話を思い出す。「先のことは何も決めていないし、何もしていない」そう言った。本人がそれを気にしているかは分からないが、話題を変えた方がいいのではないかと思う。
しかし、朝井さんは躊躇なく言った。
「でもね、聞いてよ泰樹くん。竜はまだ何もやってないんだって」
深刻な口調ではなく、冗談のように、明るい声だった。だけど、
「……別にいいじゃねぇか」
瞬間、空気が止まった気がした。瀬川くんは眉間にしわを寄せ、明らかな嫌悪を吐きだした。朝井さんは語気を強めて言い返す。
「よくないでしょ。ちゃんとやれることをやっておかないと」
茶目っ気を感じ取れるか取れないか、微妙な口調と表情。場の雲行きが怪しくなったのは頭よりも先に体で感じた。
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