第4話

 二月の夜、暗く冷えた寒空。スーパーを後にして、白い息とともにアパートへの道を歩く。


 月が光り、星が瞬く時間帯、駅から離れるにつれて人通りは少なくなり、アパートのある住宅街まで差し掛かると、人とすれ違うこともほとんど無くなった。

 そんな静かな暗闇で、街灯の下、一つの人影が目に入った。あたりに誰もいなかったのもあり、自然とそこへ目が向いた。


 寒さからか背中を丸め、こちら方向に歩いて来ている。その背格好から見るに、男性で、ダウンジャケットにダボ付いたサムエルパンツというゆったりした格好だった。髪は長く、肩の近くまである。顔は、周囲の暗さもあってよく見えない。いわゆるヤンキーというか、自分には無縁な、どこか怖さを感じる風貌に感じ、それとなく目を逸らし、遠くへ視線を外して足を進めた。


 しかし、その人物とすれ違った直後、


「あれ、泰樹くん?」


 突然、声をかけられた。

 何事かと体がびくつく。こんな知り合い、いただろうか。思い浮かばない。

 しかし名前を呼ばれた以上、無視するわけにもいかず、振り返ってその顔を見ると、


「――あ」


 瀬川竜……、くんだった。

 街灯に照らされて、その顔が浮き上がる。


 明らかに剃ったと分かる細い眉に、切れ長の目、鷲鼻、薄い唇。幼馴染とはいえ、ここ数年、正面で見据えたことはない。記憶の中にあるそれよりも随分と、いかつく思えた。だが、それは間違いなく瀬川くんその人だった。


「今帰り?」


 瀬川くんがその強面の顔立ちを緩ませて、穏やかな口調で尋ねる。


「あ、うん」


 ぎこちなく頷く。「そっちはこんな時間にどうしたの?」と聞き返す言葉が頭には浮かんだが、上手く口がまわらなかった。知らない人だと思い目を逸らしてしまった気まずさと、中学以降ろくに会話もしていない相手に突然話しかけられたこと、動揺する要素が重なった。


 そして同時に、今朝の学校での出来事が大きく膨れ上がった。あのとき、目が合った。


 軽いパニックに陥りながら、だけどそもそも、今朝見たとき、瀬川くんはこんな髪型だったろうかと、さらに混乱した。あのとき、髪型を気にしていたわけではないが、こんな長髪だったら気付いていたはずだ。しかも、目の前のその髪は、茶色く染められている。


 こちら困惑した視線に気付いたのか、瀬川くんはいたずらっぽく笑う。


「これ、ヅラだよ」


 瀬川くんは、「ほら」と、人差し指をおでこと前髪の生え際あたりに突っ込んだ。一瞬ぎょっとしたが、どうやらネットのようなものをかぶっているらしく、指の腹でそれを引っ張ってめくって見せてくれた。その中には、確かに地毛の黒い短髪が見えた。


「……な、なんで付けてるの?」

「ただの気分だよ。学校ではかぶってないし」


 学校は、長髪も染髪も校則で禁止されていた。かつらだって同じだろう、多分。そんな冷静な言葉が頭の中で並ぶが、口には出ない。さらにその後の言葉も出てこない。どうにも気まずい沈黙が訪れる。


 仲の良かった他人、そんな矛盾した関係の相手との距離感が分からなかった。しかも目の前の瀬川くんは、記憶の中の瀬川くんとは少し違う。かつらとはいえ茶髪の長髪、薄い眉。その容姿に萎縮してしまう。


 何より、今朝の出来事が頭の内側に張り付いている。


 だから、次に瀬川くんの放った言葉に、ただ流されるように頷くことしかできなかった。


「これから泰樹くんちに行っていい?」

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