第7話 気に入らない

 学生には勉強や部活がある。それは苦痛なことかもしれないけど、友だちとたくさん遊んだり、ときには大きな夢に向かって突き進んだりする貴重な時間らしい。

 学生には体育祭に文化祭がある。たくさんの行事があるから、かけがえのない絆をつなぐそうだ。

 学生には時間がある。自由気ままに好きなことを楽しむことだってできる。恋バナに花を咲かせたら、人生の中で最もキラキラした青春アオハルになるんだって。


 バカみたい。ふざけんな。

 そんなキラキラした青春なんてどこにもなかった。

 周りのみんなが楽しそうでも「青春」というステージに立たされた役者が、生徒を演じているだけに見える。

 うわべだけを飾って、うまい具合に取り繕って、ウソばかりの集合体。ただ同調圧力に流されるだけの存在だよね。


 私は嫌いな物は嫌いと正直に言っただけなのに、人のよさそうな笑みを浮かべて、心に刃物を突きつけてくる陽菜。

 いじめを知っているくせに「知らない」とウソをつく人たち。

 助けを求めたのに、荒波を立てるなと言わんばかりの平塚。先生失格だと思う。

 正直者だけがバカを見る世界。これがキラキラした青春だとしたら、母の言う通り、私は「いらない子」だ。


「久遠寺さん、危ないよ」


 梅雨が来て、雨水で濡れた廊下がキュッキュと音を立てている。その音が面白くてわざと速く歩いたり、スケートのように滑ったり。たまに勢いよく滑りすぎてバランスを崩すけど、水樹が私の腕をつかむ。決して転ぶことはない。


「平気、平気。大丈夫」

「転んでケガしたら、……危ないって」


 たしなめつつも、その声はとても柔らかい。水樹は幼子に付き添う保護者のようだった。

 どうしてそんなに親切なのか。なぜ私のことをよく知っているのか。いくら聞いても教えてくれなかった。そうしているうちに雨の日が増えて、屋上にはいけなくなった。そのかわり、普段通ることのない校舎の隅っこまで歩いて、数学研究室へ。

 数学研究室は教室の三分の一しかない狭い部屋だけど、今はここでお弁当を食べる。水樹の妹が作るお弁当の虜だった。


「んー、おいしいッ! 見た目は普通の塩むすびなのに、うまみ豊かな味わいだね。すごいなー」

「妹も久遠寺さんがたくさん食べてくれるから、喜んでたよ」


 水樹の妹って、どんな人なんだろう。水樹にそっくりかも。

 ふと女装した水樹を思い浮かべて吹き出しそうになったから、慌てて話題を変えた。


「ねえ、数学研究室なのに水樹しかいないの?」

「研究室と言っても非常勤講師の居場所だからな。たまーに、ほかの先生が来るけど、授業が終わったらすぐ帰る人が多いかな」

「職員室があるのに、ずっとここなの?」

「そうだよ、非常勤の仕事は授業だけ。GS部の手伝いもしてるけど、職員会議に参加しないから」

「ふーん」


 たくさんの先生がいるのに、水樹はここでひとり。私もひとりぼっちだから、声をかけてくれたのかな? そう考えると色々な辻褄が合う。

 そっか、そっかと心の中でつぶやきながら、ふくよかなお茶の香りに目を細めた。優しい緑色のお茶は丸い甘さで、これもおいしい。


「久遠寺さんは、焼き菓子とか好き?」

「嫌いじゃないよ」

「それなら今朝、平塚先生から貰ったお菓子が」


 水樹が机の引き出しを開けた。

 ここの学校とは違う制服を着た生徒の写真や、寄せ書きのような物が目に飛び込んできた。

 カラフルすぎる派手な色使いになぜかムッとして、水樹に抱いた親近感がスゥーと引いていく。すると、何もかも気に入らない。 

 曇った窓から聞こえてくる雨音も、コンクリートの割れ目にヌルッとした苔が生えてくる、ジメジメした空気も。

 新緑の香りを運ぶ清々しい風を浴びながら、透き通る青を眺めていた日々がなつかしい。


「平塚からのお菓子ならいらない」

「平塚先生だろ。僕のことは呼び捨てでもいいから、ほかの先生にはちゃんとしろ」

「平塚は、平塚だよ。それにその写真は?」

「これは教え子から貰った物で」

「あっ、そう。貰ったものならきちんと飾れば?」


 プイッとそっぽを向いた。

 どうせスタイル抜群で、モデルのような生徒が作った寄せ書きに違いない。思い出の写真もいっぱい送ってくるんだろうな。

 はあ、と大きなため息がこぼれそうなのに、水樹はまったく気づかない。 


「久遠寺さんは綺麗好きなのか。ゴチャゴチャしてるの苦手?」

「そんなことないよ」

「上靴が新品みたいに綺麗だし、教科書も。まあ教科書はもっと折り目をつけて、しっかり活用してほしいけど」

「……上靴は今日、買ったばかりだから新しいよ。二日前にも買ったけど」

「えっ、毎日新品の上靴じゃないと気がすまないタイプ?」

「そんな訳ないでしょう。紺野陽菜っていう意地悪な子が上靴を盗んで、捨てていくから仕方ないの。でも、もう慣れたから平気」


 相変わらず汚いゴミ箱に上靴が捨ててある。わざわざ私の名前がよくわかるようにして。

 拾い上げるのも惨めだから、買うことにした。今ではサイズを言う前に、上靴を出してくれる。

 購買のおばちゃんは「ちゃんと先生に言った方がいいよ」と心配してくれたけど、平塚は味方になってくれない。

 関係ないでしょう、と冷めた言葉を吐き捨てて、強がることしかできなかった。


「平塚先生には?」

「相談したけど、証拠がないから相手にされなかった」

「それでも毎日買うのは……無駄遣いだろ。お金は大切にしないと」

「もういいよ、この話は。お説教は結構です。家族を捨てた人たちのお金だから、いくら使っても平気なの」


 つい声が大きくなってしまった。

 話のわかるちょっと年上のお兄さんって感じの水樹が、生真面目で曇りのない先生の顔をすると、大嫌いな大人に見える。

 微妙に開くこの距離も気に入らない。

 不機嫌を全開にしても水樹は怯まなかった。






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