第6話 水樹と約束した人は誰?

 戸惑う私をよそに、水樹は鼻歌交じりでとても楽しそう。もし水樹に尻尾があったら、ビュンビュン振ってよってきそうなほど人懐っこい。

 ふとおばあちゃん家にいた豆柴の「コロン」を思い出した。

 ご飯になるといつもソワソワして、くるりんと丸まった尻尾をビュンビュン振って、泣き虫な私をよく笑わせてくれた愛犬。今はもういないけど、大切な家族だった。


「ほら座って。外で食うのは気持ちがいいぞ」

「ここで食べるの?」

「遠慮するなって。この量をひとりで食えると思うか?」


 お弁当箱の蓋が開くと、目を見張った。

 とにかくカラフル! から揚げやエビフライの間にプチトマトやパプリカ、ブロッコリーにかまぼこ。かまぼこは飾り切りして可憐なバラに。ウィンナーも飾り切りでひまわりに変身している。


「すごい! こんなかわいいお弁当、はじめて。水樹の妹ってプロの料理人?」

「普通の大学生だよ。こっちはおにぎりかな?」


 ふたつ目のお弁当箱の蓋が開いた。

 三角や俵型のおにぎりを想像していたのに、お揚げのおにぎりがいっぱい。しかもお揚げの切り口を上にしてご飯を詰めている。ご飯の上にはそぼろと卵がのって、紅葉の形をしたニンジンもあって華やか。愛らしいウサギの形をしたリンゴも並んでいた。


 手間も時間もたっぷりかけたお弁当は、見ているだけでお腹がすく。

 ひとり暮らしをはじめてから味や彩りよりも、片付けが楽な物ばかり食べてきた。だから夜はコンビニのお弁当で、お昼は――。


「いつもパンばっかり食って、成長期には肉が必要だ。さ、好きなだけどうぞ」

「本当に食べていいの?」

「遠慮せずにどうぞ」


 誰かと一緒にご飯を食べる。久しぶり過ぎて目の縁が熱くなるのを感じた。


「……いただきます」


 小さな声を出して大好物のエビフライを食べた。

 ぷりぷりの歯ごたえと衣がサクサクで、ひと口食べると止まらない。

 あまりにもおいしいので二本目に手がのびる。三本食べてから、お箸はから揚げをつかまえた。


「冷めてるのに油っぽくない。おいしい」

「米粉を使ってるんだ。米粉は油を吸いにくいし、サクッとあっさり仕上がるから、時間がたってもベタベタしないって妹が言ってた」

「へぇー、妹さん、すごいね」


 手作りのご飯を食べたのは、いつぶりだろう。そもそもひとり暮らしをはじめる前から家に帰るとテーブルにお金が置いてあるだけ。

 煌びやかな世界で活躍している父は帰ってこない。

 病んだ母は寝ているか、怒っているか。家族はみんなバラバラで、そろって食事をした記憶はあまりない。

 

 給食の時間が誰かと一緒にご飯を食べる、唯一の時間だった。高校に入ってからは陽菜が邪魔しに来るから、校舎の裏でパンをかじって空腹をしのいでいた。

 惨めな姿を思い出すと心が沈むけど「こっちもうまいから食べて、食べて」と、ニコニコと嬉しそうに笑う水樹の姿が、心の奥底を温かくしてくれた。


「食べきれなかったら、持って帰ってもいいぞ。なんなら、一緒に夕食も食うか?」

「大丈夫。食べきる」


 誰かと一緒にご飯を食べる。

 ただそれだけなのに、こんなにも心が温まるとは思いもよらなかった。

 私はいつの間にか泣きながらから揚げを食べて、ほんのり甘いお揚げのおにぎりを頬張った。

 泣きながらご飯を食べる異様な姿なのに、水樹はずっと優しい目をしている。

 不思議な人だ。


「ん?」


 私は涙を拭いて顔を上げた。

 さっき「いつもパンばかり食って」と言った。隠れてパンをかじっていたことも知っている。

 そうだ、はじめて出会った日も「久遠寺さん」と私の名前を呼んだ。そのことが気になるから水樹を捜していたのに、忘れるところだった。

 ようやく訪れた絶好の機会を逃してはいけない。グビッと一気にお茶を飲み干した。

 

「いい食べっぷりだな。明日も妹に頼んで弁当を作ってもらうよ。また一緒に食べよう。あっ、そうだ。これも久遠寺さんに渡さなきゃ」


 それは一枚のプリント。


「グローバルサイエンス(GSジーエス)部……入部届?」

「ここにサインしてハンコも。部活に入ってないんだろ」

「参加したくない」

「幽霊部員でいいよ。GS部の部員は百人以上いるけど、活動してるのは三割程度だ」

「でも……」

「今度、アカハライモリの再生と光照時間の研究をするそうだ」


 イモリと聞いて、私はギョッとした。その表情を読み取ったはずなのに、水樹は話し続ける。


「イモリの再生能力はすごいんだ。網膜や脊髄、骨を含めて体の欠損部分を完璧に再生してしまう。しかも、再生に要する時間は部位ごとで違うから、外光にさらしたり二十四時間LEDライトで照らしたりして、光照時間はアカハライモリの再生にどのような影響があるのかを」

「ちょっと待って!」


 これ以上イモリの話をされると、せっかくのご飯がまずくなる。


「その話と私に、どんな関係があるの?」

「あー、ごめん。久遠寺さんにはGS部に入ってこの研究に付き合ってもらう」


 水樹はリュックから「研究中」と書かれた腕章を取り出した。


「外光にさらす実験はここで行うから、GS部の先生や手伝いの僕に声をかけてくれたら、いつでも屋上に」

「無理、無理、無理ッ! トカゲなんて」

「イモリだよ。漢字で書くと「井守」。井戸の中で害虫を食べるから、井戸を守る存在として昔から大切にされてきたし、再生能力の高さに医学会も注目してる。すごいだろ?」

「まったく、全然、水樹が何を言ってるのかわからない。とにかくトカゲは無理ですッ」

「えー、せっかくいいアイディアだと思ったのに、残念だな。僕はGS部の手伝いをすることで、屋上にいる権利を得た。久遠寺さんにはその権利がないから、もうここには来るな」

「やだ」

「わがまま言うな。そのうち梅雨になるし、ほかの誰かに見つかったら大変だ。僕はクビ、久遠寺さんは……。もっとここの景色を見てほしいけど、面倒なことが多いからなぁ」


 不満気な声をこぼして、水樹は空に手をのばしている。

 つかめそうで、つかめない空。

 見上げた空はこんなにも広くて近いのに、倫理とか規則とか煩わしいことが気になると、窮屈な箱に閉じ込められた気持ちになる。だから思わず「狭いね」とつぶやいた。


「何が?」


 私の声は誰にも届かないと思っていた。それなのに、小さな独り言のようなつぶやきでも水樹はちゃんと聞いていた。


「ここは見晴らしがいいのに、窮屈に感じる。世界が狭い、みたいな?」

「狭い……か」


 水樹は手をおろして、じっと空を眺めている。

 空を映す水樹の目は澄んでいるのにどこか寂しげだった。

 

「ずいぶん昔の話になるけど、僕は約束をしたんだ」

「約束?」

「うん。世界が狭いって泣くから、広い世界に連れ出してやるって、約束をしたことがあってね。久遠寺さんの世界も広くなるといいのに」

「私の世界はどうでもいいよ。流されるまま適当にどうにかなるから」

「若いのに冷めてるな。ま、明日からはここに来ないで、数学研究室においで。教科書を持ってな」

「どうして?」

「英語と数学、苦手だろ? このままの成績だと三年生になれないぞ」


 私の名前や、ひとりでパンをかじっていたこと。それに加えて、あの酷く無残な成績まで……。


「水樹はどうして私のこと、そんなに知ってるの?」

「それは秘密。教えない」


 やっと水樹らしい笑顔を見せたけど、赤点連続の英語に、救いようのない数学の点数まで筒抜け。顔から火が出そうだった。


「まだ本気を出してないだけだもん」

「ほいほい、それじゃ明日は勉強道具を忘れるな。さ、そろそろ昼休みが終わるぞ」


 腑に落ちないことだらけでも、時間が来るから仕方がない。片付けて教室に戻った。でも、心の引っかかりが山のように増えてしまった。

 水樹が広い世界に連れ出そうとした人って誰なんだろ?

 生徒かな?


「…………」


 ずいぶん昔の話だから、生徒じゃない気がする。

 そうなるとやっぱり彼女とか、好きな人とか。かっこいいしモテそうだから、絶対に女の人だ。

 晴れ渡り堂々とした輝く色とは違う、どこかシュンとした悲しい色が心に広がって、私を混乱させる。


「詳しく聞きたかったなぁ」


 水樹のことをもっと知りたくなった。






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