第36話 駒形さんの気遣い、そして再会。



依頼人さん三人に会ったおかげだろう。彼らのいい変化を見てきた今なら毅然として、元カレに、過去に、立ち向かえる気がしたのだ。私も変わらなくては。

もうこないで、そう吐いたのだけど、


「どこに〜? どこにも行かないよ~」


線の緩み切った声が、スマホの奥からする。

間違いなく今野さんだった。私はその落差に脱力しきってしまって、どさりと膝から落ちる。そのままぺたんと、いわゆる女の子座りになってしまった。フローリングにぶつけた膝が、じーんと痛む。


「なになに、まぁまぁ大きな音したよ?」


誰のせいだと思ってるんだか。


「どうしたんですか電話なんて」

「えー、まぁバイト休んでるって聞いたからね〜。ちょっと気になったんだ、同郷のよしみ?」

「先にメッセください……」


予告なしは、心臓が止まるかと思った。この間、偽のストーカーを演じた時に、琴さんが腰を抜かしていた理由を今もって知る。


「えー、でも返事あるか分からないしさぁ。送っていいような仲って思ってくれてるのかも分からなかったし」

「同僚ですから別になんとも思いません。それにお互い兵庫出身ですし、それくらい」


言っていて、はたと気づいた。

私がそもそも元カレに心を許したのは、彼が明石のことをよく知っていたからかもしれない。


だとしたら、なんて単純なのだろう、私は。


「どうしたの、なにかあった?」

「い、いえ、別になにも! お気遣いありがとうございます」


駒形さんにもしていないのに、まさか元カレの話はできまい。


「ならいいけど〜。あ。ねぇ喧嘩したでしょ、聡先輩と」

「どうして、それ。本人に?」


「んー、なんとなく。昨日から聡先輩、落ちこんだり、心配そうだったり忙しいもん」

「……駒形さんは私の心配なんて。連絡もないですし」


するわけがない。むやみに自分の過去に踏み入ってきた、倒錯女なんかに。それに駒形さんは、私が元カレから身を隠していることだって知らないのだ。


「そうかなぁ。かなりしてると思うよ。昨日からなにも手につかない感じでさぁ。いつもはミスなんて一つもしないのに、昨日はオーダー間違えたりしてたし」

「たまたま調子が悪かったんですよ」

「ううん。あれは、かなーり心配してるね。僕には分かる。あぁそうそう。とくに昨日の昼に、大森さんって人が店に来てからだ」


元カレの名前だ。

耳にした途端、ほとんど反射的に私は立ち上がる。さっきので痣になったのか、膝頭がひりひりするが、そんな場合じゃない。やっぱり、店を訪れていたみたいだ。


「その人、なにか言ってましたか!?」


詰め寄るようになってしまう。

だが、私の焦りは、一切伝わらなかった。対面でもきっと分かってくれないだろうに、電話口ではなおさらだ。今野さんは、崩れぬ徹底したスローペースで、


「よくは聞いてないけど、誰か探してるみたいだったなぁ。聡先輩に依頼してたのかも」

「……それで、駒形さんは?」

「受けてたよ。その代わり、俺が探すから動くなってさ。そこからが変でね、急に電話かけ出したんだ」

「誰に? 警察?」

「そんな物騒なのじゃなくて、お客さんにだよー。山川さんとか、柳田さんとか西園寺さんとか。なんでだろうね」


 依頼人さんの名前だ。それも私がここ二日会った人ばかり。まさかこの二日の依頼人との遭遇は偶然じゃなくて──


「変でしょー? どう、少しは心配してるの分かった? 分かったら、仲直りしてあげてね〜」


駒形さんが、私を守っていてくれていたのだ。

怒らせてしまったはずだった。それは一重に無神経でおこがましい私のせい。面倒臭くて、勘違いも酷くて、最低。


そんな厄介な女のことなんて、普通なら放っといてもいい。助手だって、別に私じゃなくても務まる。ホールの方なんか、あの条件ならもっと優秀な代わりがすぐに見つかるだろう。


構わなくたっていいのに、駒形さんは私を見捨てないで、見ていてくれたらしい。


「なんで……」


思えば、最初からずっとだ。

お酒のなりゆきから探偵助手をすることになった時もそう。惨めに泣いた私の手を取って、駒形さんは引き上げようとしてくれた。柳田さんの依頼の日、私を連れて行こうとしなかったのも、よく考えれば、疲れてるだろう私を思ってのこと。


「素敵な女性です」と琴さんにわざわざ言ってくれたのも、きっと傷ついているだろう私をフォローするため。一人で岡本さんの依頼に首を突っ込んでいたと気付かれていたのも、私を見てくれていたからだ。


この一ヶ月間が新しい色に塗り変わって、いっぺんに思い返されていく。

そのうち私の心には、一つ大きな塊ができあがっていった。それは、もう揺らがない、伝えたいこと。


行こう、蔵前処へ。行かなければ、そして行きたい。


「今から、今からすぐに行きますっ!! お店、駒形さんいますよね」

「えっ、今から? うん、今は倉庫にいるけど」


私は電話を切りつつ、靴をつっかける。スニーカーとパンプス、最悪のあべこべをしてしまったが気にしない。朝から気にできる余裕がなかったから、髪もぼさぼさだったと思う。目も寝不足でクマがくっきり紫かもしれない。でも、今はなにより駒形さんに会いたかった。


その一心で、


「見つけたぞ、祥子」


馬鹿な私は重大なことを失念していた。


幅の狭い路地が、大きな影に塞がれる。その黒さは、真っ赤な西日との対比で際立っていた。立ちはだかっていたのは、よく知った顔。そして、もっとも見たくなかった顔。


元カレ・大森英人だった。

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