四章 いけすの魚
第28話 駒形さんの実家から、依頼が?
一
とはいえ、気になるものが気にならなくなるかというと、そうではなかった。
仕事と私生活。そのラインは跨がないように、でも気にはなるので首だけは前に突き出して側耳を立ててしまう。
「この間食べたお寿司がさー」
なんて会話が客席から聞こえてこようものなら、つい駒形さんの方をちらり。
「ゴールデンウィーク後半ね、要の実家に行くことになったの」
最初の依頼人である加奈さんが、後日談を聞かせに来てくれたというのに、またちらり。
極めつけは、私のそんな境界線をめぐる葛藤を知らない駒形さんから。
「実家に帰省したりしないの? このお休み」
「はい、学校事務の仕事は平常どおりなので。お店やるなら行きますよ」
「やるつもりだよ。じゃあ来てもらおうかな、助かるよ。まぁこう長い連休だとみんな帰省して、少しお客さん減るんだけどね」
つい実家との関係は、と口が滑りそうになった。
こうして接していると、なんなく教えてくれそうなものなのだが、琴さんに指摘された時、駒形さんはたしかに私が立ち入るのを拒んだ。それを思えば、迂闊には言えない。
五月の初日、金曜日。長期休み前、最後の平日だった。
駒形さんが言うように、席はいつもより空いていて、宴会の予約も入っていなかった。
だからサボるのではなく、より丁寧な接客をするのが駒形さん。ちょっと時間ができると、客席にお呼ばれしたりして、なんやかんやのあとに注文を取ってくる。一人で営業役までを兼ねていた。
いざこざのことを気にしている場合ではない、私も見習わなければ。そう思って、新しく入ってきたお一人様の客に、私は愛想をなるたけよくして注文を伺いにいく。
「君、バイトの子か。悪いんだけど、聡いる?」
「はい、いますが……。えっと少し、お待ちください」
注文は、なんと駒形さんだった。
なんだか某ファストフード店の、スマイルサービスみたいだなと思う。一見若そうだが、よく見ると頬にはシワが刻まれている男の人だった。四十そこそこだろうか。
そう特徴を伝えると駒形さんは、やれやれといった表情になった。珍しい、二人にはなにかの縁があるようだ。
「岡本(おかもと)さん、なんの用ですか、しがない居酒屋に」
「十分立派だと思うぜ。聡が求めてるものは大概実現できてるんじゃないの、この店。それと岡本さんは冷たいぞ、昔は剛(つよし)兄ちゃんって呼んでくれてたのに。寿司だって一緒に握った仲じゃないか」
昔、寿司。そうこれば、駒形さんの実家の寿司屋さんに関係がある人なのかもしれない。私はつい聞き耳が大きくなる。
「いつの話をしてるんですか。それで、用件は」
「そう急ぐなよな。少しくらい、懐かしんで昔話に付き合ってくれてもいいだろ。聡、お前探偵みたいなことやってるらしいな。うちの若い衆がSNSで見つけたって言うんで、来てみたんだ」
「冷やかしに?」
「違うよ、依頼があるんだ。聞いてくれないか」
「お客さんの依頼だけ受けてるんです。用件があるなら、探偵事務所へどうぞ」
駒形さんはこうあしらうと、キッチンへ戻っていった。いよいよ珍しいなんてものじゃない、違う人の振る舞いを見ているかのようだった。
もしかすると、例の「いざこざ」が原因なのだろうか。私は今、引かれたラインの向こう側を覗いているのかもしれない。
置いてけぼりにされた岡本さんはちょっと苦笑すると、私を呼びつけた。
「注文、聞いてもらっていいかな。今日が終わるまで飲みたいから、弱いお酒、そうだな。カルーアミルクでいいよ。それとせっかくだから、刺身の盛り合わせを一つ」
こちらも、めげないつもりのようだ。
「しっかり食べて、しっかり料金を払ったんだから、これで客だろ?」
「わざわざ魚ものばっかり食べて、俺をテストでもしにきたんですか」
「いや、そんなことしてないっての。さすがの腕前だとは思ったが」
営業時間終わり、岡本さんは一部の照明を消したせい薄暗い店内に残っていた。
「……で、そうして居座られても困るんですが。今日の営業は終了しましたので帰ってもらえます?」
「おかしいなぁ。客には神対応だって、口コミ書かれてたんだけどなぁ」
旧交を温めるといったムードでもない。剣呑な雰囲気が、二人が挟んだカウンターの上には漂っている。
私は、入っていくタイミングを完全に逸していた。探偵の助手は仕事だが、話は私的なことが多分に混じってきそうな予感がある。まずもって、ここまで感情的な駒形さんは見たことがなかった。琴さんに対しての怒りとは、また別種のものに見える。そうこうしていたら、
「ん。君、たしか写真に写ってたなぁ。汐見さんって言うんだね」
「あっ、はい、よろしくお願いします」
話の水が急に私へ向けられて、びくっと肩が跳ねる。
「店長と違って丁寧だね。気に入った。俺、こいつの実家の寿司屋で働いてる岡本だ」
握手を求められ、私は弾かれたように手を差し出したのだが、
「いいですよ、握手なんて。依頼は受けませんから」
そっと駒形さんに払われた。
「神経質になりすぎだぜ聡。なにも彼女を奪おうってなんじゃないから」
「そういうことではありません。汐見さんは、俺のものでもないです」
「あー、もう面倒くさいな、お前も! そこはそうだって言っとけば引き下がるんだ」
押し問答にしかならない、と踏んだのだろう。岡本さんはため息をつくと、依頼は一つ、と一方的に話し出す。
「「鮨屋牡丹」にいけすがあるだろ? 今朝、そこに入れてたアジが一匹死んでてなぁ。その理由が知りたい。おやっさんが痛んでたものを仕入れたとは考えられないし、エアーポンプも壊れてなかった。昨日まではどうということはなかったんだが……」
「えっと、一匹でも大事になるものなんでしょうか」
駒形さんが返答をする様子がなかったので、私は素人意見を述べてみる。
「うん、もしその魚が病気だったりしたら他の魚もそうかもしれない。うちはそれなりに高いお店なんだ。間違ってもお客様に質の悪い魚を出すわけにはいかないから、一匹駄目になると、同じ水槽の魚はまず使えない。それに、原因がわからないまま放置というわけにもいかないだろ? だから、調べてほしいんだ」
高級店だけあって、随分厳しいようだ。そして厳しいといえば、駒形さんも。結局取りつく島もなく、折れたのは岡本さんの方だった。
「話聞いてくれる気になったら連絡くれな。なにも当てつけにきたわけじゃないんだ、ただ力を借りたい。これ一応、今の連絡先な。店に直接連絡しろとは言わねーよ」
胸ポケットから取り出したメモ帳にさらりと書きつけて、なぜか私に渡す。それきりで、岡本さんは店をあとにした。
「…………えっと」
妙な空気が充満していた。下手に突っ込めはしないが、いっさい触れないのもおかしいし……。おどおどとしていたら、
「僕らも帰りましょうか。それ、捨てておいてください」
駒形さんはいつものように明るく親しげに、私に笑いかけた。
照明の加減も相まって、少しだけ陰りがあるように見えた。
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