第27話 一線は越えられない?
「好きだったのよ。琴は、聡が好きで数ヶ月前から毎週のようにお店に通ってた。長いことかけて、やっとこうして覚えてもらえるまでになったの。カウンターでおしゃべりだってできるようになって、この調子って思ってたんだけど……そこにこの女が出てきて全部が狂ったの」
琴さんは派手なネイルの乗った指で私を差す。まさかストーカーの原因が自分とは思いもよらない。
「琴は努力して、せっかく近づいたのに、気づけば順番ぬかしでもっと近くにいる不埒ものがムカついたの。小さいのに、年増なのに、って!」
散々聞いて良くも悪くも耳が慣れてしまった悪口よりも、順番という言葉が頭に残る。
最低限のマナーと順番。彼女にとっては、私がその順番もルールも、守っていないように見えたのだ。
「それでたまらなくなっちゃって、先週、一回少しだけって聡の帰り道をついていったの。その時は魔がさしただけと思って、ほんの少しでやめたわ。でも、一度やり始めたら、やめられなくなって、それで、いっそ今回みたいに嘘の事件起こして依頼してやろうって思いついたの。これが成功したら仲をもっと深められると思って」
「……ちなみにどうして俺のことを」
「顔よ、顔。それ以外ないわ」
きっぱり、と琴さんは言い切った。ガールズバーで相手にする人は、あまり容姿が優れていない人が多いから、駒形さんが一際輝いて見えたそうだ。
確かに格好いい、私も最初はそれに惹かれて店に入ってはしまった。ただ、それだけの好意から、ストーカーへと化けてしまう心境は、同じ女子の私でも理解できるものではない。
駒形さんも、そうだったのだろう。その女子大生を一目惚れさせた顔は、きょとんとしている。そうしてしばらく、彼は思い出したようにマグを手にして、少しコーヒーを舐めた。推理には続きがあるらしい。
「……容姿だけの相手にアブノーマルなことをやるより先に、あなたはもっと近くにいる人を見るべきかもしれませんよ」
「は? どういうこと」
「同級生の彼ですよ。彼がどうしてあなたに協力してくれてたんだと思います?」
「……琴の恋を応援してくれる、っていうから付き合ってもらってたんだけど、……まさか」
「そこから先は俺には言えませんし、俺も聞いてません。でも、一般的に考えたら分かると思いますよ。それに、あなたも彼のことを悪くは思ってないでしょう」
一般的に考えるのは、得意な庶民の私だ。ストーカー役の彼の気持ちを素直におもんばかってみる。
簡単な話、好きなのだろう、琴さんが。でなければ、一歩間違えれば犯罪になる案件に手を貸したりなんかしない。
だとすれば彼女の恋を応援するなんて、苦しかったに違いない。それでも、実行したのだから、よほど想いが強いのだろう。彼にとっては、彼女の背中を押す一歩が、自分の恋の一歩目と等しかったのかもしれない。
「この間、あなたと彼、お二人が食べられたドルチェ」
「急になによ」
「あのパンナコッタは、生クリームと上に乗った白イチゴが主役のようですが、そうではありません。クリームに白イチゴのジュレを混ぜこんでいるんです。本物の味の決め手は、そっち。
あえて見えないように隠しておいたんです。それは白イチゴの品種名に即すため。あくまで食べた人が見つけてくれるのを待ってたんです。その品種名。
──初恋の香り、って言うんです。参考までに。もし思い当たるのなら、今度は二人で食べに来てください、ちゃんと同じ席で。もちろん、恋人同士になれ、なんて強制はしませんが」
なるほど。パンナコッタの秘密とは、ソースが中に仕込んであったことを指していたのだ。それは初恋のようにひっそりと、パンナコッタには当たり前であるクリームの中に。
駒形さんは、諭すような優しげな笑みを端正な顔に浮かべる。さながら全てを許してくれる仏様みたいに、私には見えた。
だが、その仏の顔は、さて、と話を切り替えた時には、塵の一つも認めなさそうな厳しいものになっていた。
「警察に通報はしませんよ。恥ずかしながら気づきませんでしたし、実害もなかったですから。その代わり、謝罪くらいはしてもらいましょうか、俺たち二人に」
締めるところは、きっちり締めるようだ。
「…………そうね」
琴さんはしかめ面をしながらも、三角に折っていた膝を百八十度曲げて、正座をする。非は自分にあったと認めて、ややあってから、私たちに頭を下げた。
「汐見さん、許していいなら」
駒形さんの声は、冷静とは言えないものだった。
「私は……大丈夫です」
たしかに色々と悪口は言われたけれど、私は別にストーカー行為にあっていたわけじゃない。被害が大きいのは、駒形さんの方だ。
駒形さんは、しっかりと反省の弁まで述べさせる。さっきと打って変わって、大人がまだ善悪の甘い若者に説教をするという構図だった。そこには批判的な要素もあるけれど、決してむやみに叱っているふうには感じない。店員と客、たしかな線引きがあった上で思いやりがあった。
琴さんも感じるところがあったようだ。帰る頃には、申し訳なさそうに、しゅんと少ししおれていた。
「短い距離ですが、お気をつけて。たぶん本物のストーカーはいませんから安心して帰れますよ」
玄関でヒールにかかとを入れようとしていた琴さんに駒形さんはこう声をかける。それから、ひとつ付け足した。
「汐見さんは、あなたが言うように不埒ものでも年増でもないですよ。素敵な女性です」
心が、きゅんと絞りあがるようだった。
こんなに嬉しい言葉があるだろうか。私は、もう顔が真っ赤に染まっていくのを抑えられない。手がうずうずしてつい掴んだ耳たぶは、火傷しそうなほど熱くなっていた。
「…………ふん。ねぇそいつのこと大切に思ってんなら、自分のことちゃんと話したら。聡と実家とのいざこざとかさあ。それも見つけてもらうのを待ってるっての? 馬鹿じゃない」
私の喜ぶ素振りが、不興を買ったのかもしれない。琴さんは、不機嫌そうにこう吐き捨てる。それから私を一瞥して、外へと出て行った。
「……そんなことまで調べたのか」
駒形さんは苦そうに乾いていたのか唇を舐める。
その様子に、私に籠もっていた熱は右下がりにすーっと引いていった。いざこざ、ってなんだろう。実家はたしかお寿司屋さんだと、琴さんが言っていたっけ。
「あの、駒形さん……」
「ごめん、夜遅くに邪魔しちゃって。喉渇いたな、アイスでも食べない? 俺、買ってくるよ」
気になったけれど、聞かれたくはないのが行動によく表れていた。
駒形さんはすぐに立ち上がって、微笑む。にっこり、けれどそれはお面が張り付いたよう、なんとなくぎこちない。まだ家の中なのにもう財布をお手玉のように遊ばせているのも、少しおかしい。
「えっと、なら……私も行きます」
私は、順序やマナー以前に、線引きがあるなと気づいた。
仕事の同僚が踏みいっていいライン、仕事とプライベートの境界線。それを今まさに、ここまでだ、と目の前で引かれた様な気がする。
その線は、物理的に近づいても、自在に動いて彼と私の間をへだてる。もし私に少しの勇気があったなら、簡単にまたげたのかもしれない。
だが、それを持たない私には、その一線を越えることができなかった。
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