第23話 イタリアンレストランに二人で。



 日曜日の昼、私は蔵前のイタリアンレストランにいた。駒形さんからのお誘いを受けて、だ。


買ったばかりの服を着る滅多にない機会だった。試着をしてから購入したのに、こうして外で見てみると、少し派手だったかなと思う。白に水色、憧れの色ではあったけれど、果たして似合っているか。


でも、この服には感謝をしていた。勝負服は二つもいらない。決心がついて、元カレにもらった服をゴミ袋に詰めて捨てられたのだ。そんな折に元カレから着信があったけれどいっそこの機会だ、と着信拒否をしてやった。


「今日はまた一段といい服だね。買ったんだ?」


そう褒めてくれながら、駒形さんがワイングラスをこちらに傾ける。


彼は、私服だがこの前よりさらにかっちり、黒を基調としたフォーマルなジャケット姿をしていた。嬉しいやら格好いいやらで、私はよく分からないけれど、くくっていうなら幸福、そういう気持ちになった。


今回は、仕事と聞いていなかった。ならば今度こそプライベートなのだろうか。それもイタリアンのコース料理となれば、普通の感覚でいけば、友達同士でいくものではなく、デートだ。


こんなことが琴さんにバレれば、いよいよ次は殴りかかられるかもしれない。でも、行きたいと思ってしまったのだからしょうがない。


私は、グラスを掴むと周囲の席をチラチラと確認する。大人な雰囲気を漂わせるカップルばかりだった。グラスのどの部分をどう持って、どう当てればいいのか、盗み見ようとするのだけど


「ははっ、そこまで拘らなくてもいいよ。まぁマナーを言うなら、細かい持ち方は省くけど、グラスをぶつける必要はないよ。手元で少し斜めにするだけでいいんだ」

「……なるほど」

「そう、十分。じゃあ乾杯。食前酒、ノンアルコールもあるけど、大丈夫?」

「はい、せっかくなので」


私は駒形さんが口をつけるのを見てから、そっくりそのままなぞる。スパークリングワインだった、甘みと炭酸のはじける強さが、舌をすっきりとさせて喉へ抜けていった。


そこへ、まずは前菜「アンティパスト」が運ばれてきた。カプレーゼにパプリカのマリネ、オリーブの盛り合わせ、それぞれが少量ずつだ。


「えっと、どれから食べるのが正解……?」

「とくにない、ない。あんまり形式だけに捉われない方がいいよ。最低限だけ順番とルールぐらい守ってればいいからね」

「少し気が楽になりました」


ならば、好きなものから。トマトの冷製カプレーゼからにしよう。チーズとオリーブには目がないのだ。


駒形さんは一つの料理ごとにその由来や、他の店との違いを教えてくれた。

カプレーゼはイタリア南部のカプリ島のサラダだから、カプレーゼというらしい。


今や日本にも手軽な料理として馴染みすぎて、気にしたこともなかった。そして、ここのカプレーゼは少し炙ってあるのが特徴だそうだ。トマトは焼くことで酸味が甘味に変わるそう。店によっては、剥きトマトやプチトマトを使う店もあるそうだ。


そうして三品さらえたところで、「プリモ・ピアット」つまりは第一の皿として、本日のパスタ・ジェノベーゼパスタが届けられた。バジルの芳しい匂いが湯気とともに空気に揺らぐ。


駒形さんは、言いながらパスタをさすがに慣れた様子でフォークに絡ませた。あんまりスマートにやるから、イタリアの貴族のようだった。私も見まねでフォークを回すのだが、ぎこちなくなってしまう。私は庶民階級らしい。まぁ家では、箸で食べることもあったくらいだから仕方ない。


苦労しつつもパスタを食べ終えると、次の料理までは少し時間が空いた。


「金曜日の夜はごめんね。振り回しちゃって」


 駒形さんは、ワイングラスを自分の方に寄せながら言う。

ちょうど、その話をしようと思っていたのだった。この間は尻切れとんぼで聞けずじまいになっていた。


「……あの、どうして西園寺さんの家すぐに出てきたんですか? それ以前になんで入ったんでしょう」


色香に惑わされて、すんでで踏みとどまった? だがそれでは私を連れて行く説明にはならない。


「うん。どうしてもストーカーを捕まえるきっかけが欲しかったんだ。西園寺さんの家を見れば、その犯人のことが少しは分かるかもしれないと思って」


ストーカーをするくらいなのだから、好きということ。であれば、趣味や物が似ることもあるのだ、と駒形さんは言う。


「そうならそうと言ってくれればよかったのに」


思った以上にほっとしている私がいた。悟られると恥ずかしいので、うまく隠したつもり、もう仕方ないなぁ、という雰囲気を繕う。


「西園寺さんに聞かれたくなかったんだよ。一つ気がかりなこともあったしね。本当申し訳なかった」

「なにか分かったんですか」

「まだ確信には至ってないかな。でも、少しだけは。繰りかえしになるけど、ごめんね、ほんと」


それでストーカーが早くに捕まるなら、別に謝られることでもない。なにより、あの時の全身の毛が一斉によだつような悪寒は、もう味わいたくなかった。


「絶対捕まえないといけませんね。ストーカーなんて、全部が気持ち悪いですし」

「ははっ、怨念がこもってるね。でも、ストーカー自体を全否定するのは、どうなんだろうね」

「えっなんでですか」


疑う余地なし、絶対悪といって過言じゃないと思っていた。


「ストーカーっていう行為は悪いことだけど、その気持ちそのものが悪いわけじゃないからね。逆に言うと、思いが強い、たとえば愛とかそういうプラスの感情の裏返しって見ることもできる」

「でも、やり方がよくないんじゃ」

「そう、大間違いだ。思いを一方的に押しつける前に、相手のことも考えてやらないといけない。法律も守るべきだし、それ以前に人としての良心もね」


思いを伝えることと、行為の順番。法律、つまりはルール。


「……それってなんだかイタリアンのコースに似てる話のような」

「ははっ、言われてみたらそうだね。最低限のマナーと順番、人に配慮するっていう意味では近いかもね」


人によって、恋愛にはいろいろな形がある。自分の好きに思う気持ちは自由だけれど、それが人に迷惑をかけることなら控えなければいけない。


そもそもイタリアンのしきたりも、そういった部分から始まったのかもしれない。決まった型があれば、人によって基準を変えずとも、失礼には当たらない。


「セカンドピアット」、第二の皿は、牛頰肉の赤ワイン煮込みだった。実に絶品で、ほろほろと口の中で肉の繊維がほどける。炭水化物に、メインディッシュ。ここまでで腹八分目まできていたが、


「さて、ドルチェだけど。いくつか選べるんだ。どうする? 二つ選んでいいよ」


スイーツは別腹というもの。

駒形さんがメニュー表を私に見せてくれる。


ティラミスとイチゴのパンナコッタ、迷った末に私はその二つを指差した。少し苦味のある甘さと酸味が欲しかった。途中で飲んだ赤ワインがかなりブドウが濃くて、甘かったのだ。


届いたのは一つずつで、駒形さんは半分を交換してくれた。本来ならマナー違反かもな、と愛くるしく笑っていた。

ずるいな、どきりとする。ドルチェを撮ろうとして、彼がはっきり映り込んでしまった写真を、私は消せなかった。本人を前に、うかうかとそれを眺めていて、一つ気づく。


「このパンナコッタは赤いソースがかかってるんですね」


 「蔵前処」で提供していたものはたしか、ソースはなく、カットした白イチゴが添えてあるだけ、真っ白だった。


「あぁあれには秘密があるんだ。今度食べてみるといいよ」

「でもお高いんじゃ……」


通販番組のナレーターみたいな台詞になるのは、いちごが一粒で数百円もすると前に聞いていたからだ。上品で控えめな甘さが、その特徴なのだとか。


「そこは、従食ってことでいいよ。ほら、食べよう。あんまり話してて、偵察だと思われたら敵わない」

「あっ、そうですね」


 駒形さんの言うとおり、店員さんからは少し警戒するような視線が送られてきていた。私は慌てて口をつぐみ、ベリーソースののったパンナコッタで口を満たした。


代金は、駒形さんが、金曜日の詫びだからと一括で払ってくれた。店を出たところで、私はつい平身低頭になる。


「俺が誘ったんだしね、楽しかったよ。ありがとう」


今日の食事は、いわゆる「ものごと」の順番のどこかに入るものなのだろうか、それとも。さすがに聞けたものじゃなかった。



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