第21話 夜道は不穏な空気。
二
だが、そんな胸に灯った火は夜風にあっという間に吹き消されてしまった。
店の締め作業は、今野さんが引き受けてくれた。夜道に気をつけてね、と見送られ、私と駒形さんは、琴さんの帰り道に随行することになる。
だが正確には、随行していたのは駒形さんだけと言ってもいいかもしれない。彼女は駒形さんの横をべったりとキープして、私はその数メートル後ろからそれを尾行する形になっていた。
「やっぱり男の人が隣にいないと安心じゃないわ。女二人と男一人だと舐めてかかられるかもしれないし。他人のふりをしててもらえる?」とは琴さん。
こう大義名分を掲げられては反駁もできない。ん? いや、反論ってなんだ。業務遂行上必要なことなのに。でも、分かっていても、むかむかとするのだからしょうがない。
「ここのコンビニが最寄りなのよ」
「それから、ここの喫茶がいきつけ! 聡、今度行かない?」
私は背を向き合う自分の気持ちと格闘していて、気づくのが遅れた。この帰宅路は、私とほとんど同じだ。
琴さんの家は、なんと私の家から十メートルもない、はすむかいに建つマンションだった。あっさり、なにの気配に行き当たることなく家に着いた。
「今日はいないようでしたね。ここがご自宅なら、とりあえず安全についたようですので、ひとまずこれでいいでしょうか」
駒形さんはそう言うと、踵を返して、私の横に立つ。送るよ、と小さく囁いた。とくんと私がときめきの鼓動に胸を打たれている間、また琴さんはしかめ面になっていた。
「いつもならくるのよ。あんた、ちゃんとアンテナ張ってたの?」
そう叱るような口調で私を責める。
「……えっと」
弱いところを突かれた。事実、私は自分との戦闘で一杯になっていた。しっかり感知しようとしていたかといえば、していない。
「ほらね、次はちゃんとやってよ。ねぇ聡、もう一回歩いてみない?」
「えぇ、それは構いませんが」
駒形さんの腕を躊躇もなく取る琴さん。幸満面といった風に笑みが弾けるが、
「俺が横にいると、ストーカーも出てこない可能性がありますね。それなりに背が高いので、警戒されているのかもしれません。次は、汐見さんと歩いてもらえません? もし出てきたら、俺がストーカーを追いますよ」
すぐに荒んだものへと変わった。その切り替わる瞬間は、見てはいけないものだったかもしれない。まるでクリオねが餌を捉える瞬間。ぞっとして肩が吊り上がってしまった。
駒形さんは「もしストーカーがこのやり取りを監視していたらいけない」、と私たちとは十分に離れて見守っていることになった。
家に着いたのに、夜道を女二人でただ往復するのも怪しい。いるかも定かでないストーカーに見せるための行為として、私たちは過ぎたばかりの最寄りのコンビニへ向かう。
あたかも仲良し女子二人がホームパーティーを催すかのように、お酒や菓子を買い込んだら、来た道を引き返し始めた。
買い出しだなんて、大学生の頃以来だった。だが一つ違うのは、友人同士でもサークルの集いでもないこと。
「あんたがちゃんと見張ってたら、こんないらないもの買わないで済んだのよ」
「……えっと、すいません。私が持って帰るので、お金も払いますから」
「そういうことじゃないっ!」
友情どころか、なぜか一方的に目の敵にされていた。すいません、と私は平謝りするしかない。私はむやみに波風を起こす方ではないのだ、どちらかといえばことなかれ主義。だが、彼女をかきたてる荒波は収まらない。
駒形さんがいないと見るや、本能・本性を前面に押し出してきた。
「大体、あんた最近バイト始めたのよね」
「そうですが……」
「夜しか来てないみたいだけど、なんのつもり。それにろくに働けてないし」
それには事情があるのだ。だが、そもそも別で正社員として働いている、と言ったところで焼け石に水、それどころか業火に油をそそぐことになりかねない。
カツカツとヒールが不機嫌そうに、地面に叩き下ろされる。細く高いピンヒールだ。それが彼女のそもそも高い身長をさらに際立たたせている。威圧感のようなものが放たれていた。
長い髪がメデューサのように蛇になって襲いかかってきそう。
心にゲージがあるなら、かなりすり減っていた。元カレのせいかおかげか、悪口への耐性はあるとはいえ、好き好んで浴びたいものではない。
琴さんのマンションが、私のボロアパートが見える。やっと終わる、新品雑貨の待つ我が家恋し、と私がほっとした時、カンと。
「大体あんたはね──」
後ろからだった。甲高い金属音が、琴さんの苛烈な叱責の途中、狭い路地を這い渡った。なにかがぶつかりあったような。
私と琴さんは足を止めて顔だけ振りみる。だが、あるのは静かな住宅地。変な音もしない。
「………今、いた気がしない?」
「は、はい。確かに……」
少なくとも、なにかはいる。
しかもすぐそばに、だ。このあたりに住み着く野良猫ならいいが、万が一ということもある。可愛く鳴いてくれれば安心するのだけど、それ以降は音もしなかったのが一層不気味だった。
「やっぱりいるのよ、ストーカー! 今すぐ聡呼んで!」
琴さんは、たぶん自分の経験上なのだろう。もうストーカーによるものだと決めつけていた。もしそうだとすれば、私たちで太刀打ちはできない。
「今、連絡してます!!」
駒形さんへすぐに連携を取れるよう、右手にはずっとスマホを握っていた。
唐突な緊張感に襲われたせい、細かく指が震えだす。琴さんより、私がうろたえていた。「うしろ」と三文字打ち込む。思えば、初めてのメッセージだったのだが、メルヘンな気分には到底なれなかった。
了解、と返事があって少し、駒形さんは私たちの前に駆け足で現れる。
「どうでしたか?」
と聞けば、すまなそうに首を振った。
「人はいることにはいたけど、少し行ったら大通りに抜けるから、誰かまでは特定できなかったな」
本当につけている人がいたようだ。寒気が、足下からてっぺんまで駆け抜けていく。
これが毎日、もう一週間ともなれば、私ならもう怖くて家から出られないだろう。たぶん布団にしがみついて離さない。だが、琴さんはもう怖がったりも、捕まらなかったことに落胆もしていなかった。
強靱なメンタルを持っているのかもしれない。ぱっとテレビのチャンネルを、ニュース番組からバラエティ番組に回したように切り替わっていて、
「まぁそんなこともあるわよ、また今度お願いね。それより、この買っちゃったお菓子とお酒で私の家で飲まない、聡?」
強引に駒形さんをこう誘う。夜に男を家に引き入れようとするのだから、狙いは一つだろう。駒形さんにストーカーからの警護をしてほしい……のではなくて、既成事実を作って落としてしまえ、ということ。もう見ぬ振りをしたところで間違いない、この子は駒形さんが好きなのだ、それもかなり。
断ってほしい、なんて思った。それがどの立場からかは分からないけれど。
「少しだけなら構いませんよ」
が、願い通りにはならない。
駒形さんも、少なからず琴さんのことを悪くはなく思っているのだろうか。女子耐性がないところ、ハートを狙い撃たれた、とか。
したくもない妄想ばかりがたくましくなっていく。それが私を上からがしゃんと、くぼませんとしてくる。
「ほんと!? じゃあ行こっ!」
「その代わり、汐見さんも一緒に、でいいでしょうか」
そして、虚をつかれた。……はい?
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