3章 イタリアンドルチェ
第19話 ストーカーされてるらしい。
一
四月二十一日、金曜日。少し、いやかなり機嫌よく、私は小料理屋・「蔵前処」のバイトへと足取り軽く向かっていた。
今日、私は少しだけ背伸びをしたのだ。高めのハイヒールを履いたわけではなくて、金銭的、精神的な話だ。
大学事務の仕事にたまたま空きができたので、午後半休を取得して、私が向かったのはスカイツリータウン。
昨日、二十日に振り込まれたばかりの四月分給料を元手に、「ソラマチ」で洋服を新調し、蔵前では家具などの雑貨類を思い切って購入したのだ。やっと手にした万単位がすぐに財布から飛んでいくのを見ると、肝が冷える感じがしたが、それもまた悪くない感覚だった。
優柔不断ぶりを大いに発揮した私が家に帰ってきたのは五時で、「蔵前処」への出勤は五時半。荷物を袋からも出さずに家を出てきたが、行く時点でもう帰ってからの「一人戦利品お披露目会」が楽しみだった。
駒形さんは、部屋のレイアウトのセンスも高そうだ。少し相談してみるのもいいかもしれない、そうして上々の気分で店へと入る。
「お疲れ様〜、今日はよろしくね。あれ〜、なんかいいことでもあった?」
控え室で制服に着替えて出ていくと、久しぶりに今野さんに遭遇した。
まさかまた急な探偵依頼が入ったのかしら。私は身構えるのだけど、そうではないらしい。
「僕、明日からしばらくだけ地元に帰るんだよね〜。だから、その埋め合わせ。今日は夜も僕がメインで回すんだ」
「……そうなんですか。よ、よろしくお願いします」
私は小さく頭を下げる。
駒形さん以外の人と組んだことがなかったから、少し心細いような気がした。それに今日は週で最も忙しい金曜日、いわゆる「華金」だ。
「ちなみに聡先輩なら、倉庫で財務処理してるよ。ちょっと邪魔しないであげてね〜」
財務というと、帳簿管理などだろうか。それは確かに集中を削いではいけない。
私は私の仕事をやろう、と思い直す。最近は、少しずつこなせるようになってきたのだ。もう洗い物やホールでの基本応対は一通りできる。
とはいえ、不安が拭い切れたわけではない。私が手帳に書き付けたメモ書きをさらっていると、白目の部分に紐のようなものがちらついた。見ると、今野さんが大根のかつらむきをしている。
「楽しみだなぁ、関西」器用なことにやりながら、しみじみと言う。「神戸って遠いよね〜。明日の新幹線混んでないといいけど」
「えっ兵庫県出身なんですか。私もです」
私は、つい話を攫ってしまった。年齢も同じ、出身も同じ県とは知らなかった。
「へぇ汐見ちゃんも! 僕は神戸の岡本出身なんだけど、どの辺り?」
「私は、明石です。西明石の駅の近くで。でも、それにしては関西弁出ないですね?」
「専門学校の時にこっちに出てきたから、取れちゃったみたい。そもそも神戸の関西弁は柔らかいしね〜」
「そうですよね! 明石は、姫路も少し混ざってるので、またちょっと違ったりして──」
話していて、自分が饒舌になっているのに気がつく。
懐かしい地名が出てきたせいだろう。
明石に最後に帰ったのは、元カレの件があったから、もう一年以上も前だ。ゴールデンウィークも、学校事務の仕事は祝日に関わらず出勤なので、帰る予定はない(かわりに夏休みが長い)。
生まれ故郷に思いを馳せたおかげ、一気に打ち解けていたところで、カランと表の鈴が鳴った。本日最初のお客さんが来たようだった。
「というわけで、よろしくね」
「はいっ」
地元が同じと分かるだけで安心感が増した気がする。私は元気よくホールへ出て行って、お客さんを出迎えた。
実際、不安は杞憂に終わり、お店はつつがなく回った。
駒形さんほどではないにしても、彼も相当な腕の持ち主のようだった。それに、なによりマイペースさが功を奏していた。繁盛してきて、席が全て埋まり注文が溜まった時も決して慌てない。そのうちにピークを乗り越えて、無事に営業終了──と、そうなるはずだった。
「もう我慢ならないっ!!!」
のだけれど。
閉店五分前になって、まばらになった客席からキンと高い声が上がる。アッシュのかかった金髪をした、今どきな女の子だった。席を立って、うーと獣のように唸る。
するとそれに追われるように、一人の男性客が狼狽えるように店を出て行ったのだ。
「……代金! ……は、ある」
机に置かれていた額はちょうどで、食い逃げではなかった。が、それにしてもなにか事情がありそうだった。
「んー、こればっかりは僕じゃどうしようもないなぁ。聡先輩呼んでくるよ」
閉店後、私と駒形さんは、声を上げた女の子、西園寺(さいおんじ)琴(こと)さんに話を聞くことになった。
駒形さんは、ちょうど諸々の経理処理を終えたところだった。お客さんの前では珍しく、制服ではなくシャツスタイルだ。
「聡〜。今日は全然表に出てこなかったけど、どうして?」
「少しお店の処理をしておりまして」
「……ふーん。まぁこうやって顔見れたからいいけどさぁ。そのシャツいかしてるね」
琴さんはまだ酔っているのか、とろけそうな声を漏らして、駒形さんだけを見つめる。だけ、だ。私のことはないみたいに扱われている気がする。事情の説明も中々してくれなかった。
ちょっとだけ、ムカッとしてしまった。お客さん相手に、私のしつけがなってないと言えばそれまでだけど。
「あの、それでさっきのは……?」
我慢ならずにこう聞くと、細くきつい目で一瞬睨みをきかされた。
ブロンドの髪に赤のウィッグが混じっている。いわゆるギャルっぽい見た目もあって凄みを感じたのだけど、駒形さんの方を見つめる時には、くるっと変わって、丸っぽくなる。
「えぇ。西園寺さん、よければ話してください。お力になれることもあるかもしれません」
それにしても、あの目つきどこかで見たことがあるような。記憶の線を辿っていて、行き着いた。そうだ、前に睨まれたことがあった気がする。
「……そうね、話すわ。琴、最近ストーカーされてるのよ、たぶん。さっきの逃げ出した客に」
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