第13話 二度目の依頼! 内容は……?
三
ヨークシャープディングなんて、初めて聞く名前だった。
ヨークシャーといえば、お姫様みたいな毛をした、ブリティッシュな犬。プディングは、プリン。
お子様が好きそうな、犬の形をした可愛いプリンが頭の中で組み上がったのだが、
「ちなみに犬でも、プリンでもないからね」
違うらしかった。頭の中、犬型プリンの前に大きくバツがつく。私の思考はガラス張りのショーケースなのだろうか、だとすれば幼稚な発想が少し恥ずかしい。
「ヨークシャープディングは、イギリス料理なんだよ」
イギリス料理。海外通の友達が、まずい、と断じていたことを思い出す。
「美味しいんですか……?」
「さぁ、日本人の口に合うかは分からないな。イギリスの料理があまり美味しくないって言われる原因は、一番はそこなんだよ。
彼らは食べる時にそれぞれ好みで味付けをする文化だから、根本が日本とは違うんだ。でも、全部が合わないってわけでもないよ。朝食は日本でも受け入れられてるしね」
イングリッシュマフィン、スコッチエッグに、ローストビーフと列挙される。言われてみれば、たしかにどれも一度は食べたことがある。
ローストビーフなどは専門店が乱立するくらい流行ったこともあったっけ。神戸発のチェーン店などは全国で話題になって、本店には大行列ができていた。
「本場ではヨークシャープディングが、ローストビーフの付け合わせなんだ。日本でいうお米みたいな扱いだね」
「おいおいそりゃ雑な例えじゃねぇか?」
「まぁそうですね、すいません。でも分かりやすいかな、と」
がははっ違いねぇ、と柳田さんはアイスコーヒーを煽る。服装から所作まで、豪気そうな人だな、と思った。またしても私とは正反対。
「あの、それで。そのヨークシャープディングが作れないっていうのは? レシピサイトとかを見ればいいんじゃ……」
実在する料理なら、インターネット検索をかければ、すぐにでも出そうだ。もしかして環境がないのだろうか。けれど、そうではないのだと柳田さんは言う。
「そんなことは何回もやった。でもよぉ、どうも同じにならねぇんだ。表現しにくいんだが、懐かしさを感じなかった。少しずつ配合を変えて試したんだが、現地で食べたのとはどうもな」
「えっと、イギリスに行かれていたことがあるんですか?」
「あぁ、もう四十年以上も前の頃よ。当時俺は大学生で、ロンドンに留学しにいったんだ。まぁ留学なんて名目だけで、音楽やりに行ってたようなもんだけどな」
柳田さんは遠くを見るように目を細めた。
一九七〇年代前半、イギリス。
当時のイギリスは、ヨーロッパ諸国の中ではほとんど一つだけ景気が後退し、国としては衰退に向かっていたそうだ。
英国病、と聞いてほのかな記憶に行き当たる。そういえば世界史の授業で聞いたことがあったかもしれない。
「でも、経済がうまくいかない時ってのはよぉ。反発するみたいに、若者が張り切るんだよ。今の日本がどうだか知らねぇけど、ともかく昔はそうだった。とくにロンドンは、若者文化の発生源だったんだ」
ロックバンドが次々に生まれ、スタイルのいいモデルによるファッションショーがブームになり、とそういった現代にも残るような、目新しい文化が次々とロンドンから発信されていたのだと柳田さんは言う。
彼は、それらに強い憧れを持っていたらしい。立ち食いそばをすすりながら、「浅草を出て、世界へ」と常に豪語していたのだとか。
「留学したって言っても、親にお金を前借りしてきただけの貧乏よ。お金なんざろくに持ってなかった。だからロンドンにいるときは同じように日本から来た学友と部屋を借りてたんだが、そいつが先に帰っちまうことになってな。
俺がほとほと困ってたときに、アントニーっていう英国人が俺を助けてくれたんだ。家に泊めてくれて、それだけじゃなく、飯まで毎日世話してくれた。立派なもんじゃあなかったが、俺には感激するくらい十分だった」
さっきまでどこか焦っているようだったのがどこかへ消えてしまったみたい、柳田さんは思い出に浸るようだった。その目には、一面の漫画棚ではなくセピア色にロンドンの街が映っているのかもしれない。
「アントニーはいかしたバンドマンでよぉ。俺たちはバンド組んで、ライブハウスで歌ったりもしだんだ。金はねぇけど、時間はあったから、それ以外の場所でも、いつも歌ってた。家でも路上でも。警察に補導されたこともあったっけな」
「ヨークシャープディングはその時に?」
駒形さんが尋ねる。
「あぁ。原材料は高くないが、腹は膨れるだろ。それで朝はいつも、そいつが作ってくれてたんだ。肉は少しで、そっちがメイン。
ソースもなんにもかけずに食ったもんよ。ひもじいだろ? でも、十分それだけでうまかった。それで今日も一日張り切っていこうと思えたもんだ。今でも思い出すな、仕事始めてから変に高級な飯食ったりしても忘れられない。原点ってやつだな。でも、その時の味がどうしても自分じゃ再現できないんだ」
「ならそのご友人に聞かれては?」
「……それが忘れてしまったみたいでよぉ。そいつに食わしてやりたいんだ。頼む、どうにかならんか駒形と嬢ちゃん。あの懐かしい感じを再現してほしい」
柳田さんは懇願するように私たちへ手を合わせる。余計な力がこもっているようだ、少し両手が揺れている。
「具体的にどんな味かは思い出せますか」
「どう伝えたらいいかがなぁ。塩っけがあって、香りもよくて、でも甘さもあって、とにかく懐かしいと思えたんだ。イギリスのもんだが、日本人の俺も同じように。うーん。いかんな歳か」
「……分かりました。少し時間をください、考えてみます」
駒形さんはそう言ったけれど、私は少し不安になった。
味を知っている本人さえ曖昧になっている、思い出の味を再現できるものなんだろうか。
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