第12話 はじめて浅草歩きます。



少しの距離、一本の道を歩いただけなのに、蔵前とは道ゆく人の多さが桁違いだった。


それも、その半数近くが背の高い外国人。私の身長では、先も見通せない。気をつけていないと、すれ違いざまに肩をぶつけてしまう。人ごみは、低身長にとってみれば、壁に囲まれながら、知らぬ場所へと連れて行かれる感覚だ。


「汐見さん、大丈夫? すごい人混みだね」


私はキョロキョロと、人と人の隙間を振り見ながら、駒形さんの後ろ、はぐれないようについていた。掴んじゃえ、ができればよかったのだけれど、そんな軽率なことはしたくなかった。


浅草、浅草寺周辺。


歌舞伎座を代表として、町全体に色濃く江戸風情の残る、知らない人はいないだろう観光地だ。


だからと言って、決して古い印象は感じなかった。

隅田川の反対はるか高い所からは先進的の象徴ともいえるスカイツリーが見下ろしているし、浅草寺そばの商店街には、タピオカやチーズドックといった今時の店も、歴史を感じさせる蕎麦屋などとともに軒を連ねている。現代と歴史のハイブリッドタウン、そう言ってもいいかもしれない。


今回の依頼人との待ち合わせは、その一角にある喫茶店だそうだ。


「……すごい賑わいですね。ちょっと驚いてます」

「なんだ、初めてきたの?」

「はい。実は東京にきてから、あんまり観光ってしてなくて」


都民失格かもしれないが、まだスカイツリーにも東京タワーにも上ったことがない。どっちが好きかと聞くとそれだけで盛り上がるのが都民らしいが、私は赤と銀、くらいの区別しかついていない。


「じゃあ浅草寺に寄っていこうか。あそこは閉門時間がないんだ。夜も、二十四時間開いてるから」

「えっと、依頼はいいんですか?」

「うん。実は結構余裕を持って早く出てきたんだ。そうしたら、だいぶ時間が余っちゃった。まだ七時でしょう。一時間はあるな」


ごめん、と駒形さんは左手を顔の前に立てて、右の手で頭を掻く。格好良くて、料理の腕は抜群で推理もできる。まさしくフィルムの中のスーパーマンなのだが、たまに抜けているのだ、この人は。


私は、くすとり笑ってしまってから「いいですよ」と返事をした。むしろ願ってもない。


駒形さんに、雷門、仲見世通りと順々に案内してもらいながら、私ははじめて浅草寺の境内へと入る。大きなわらじが柱に結びかけられ、身体ほどの高さがあるちょうちんがつるされた門は荘厳で、踏みいるときに少し躊躇してしまった。宝蔵門というらしい。


てっきりイメージで、雷門が寺のすぐ手前にあるものと思っていた。

見所が、そう広くはない敷地に詰まっていた。歴史が古いだけのことはある。さすがに地元出身者だ。本堂だけではなく、「久米平内堂」のような小さなパワースポットのことまで細かく教えてくれた。まつられているのは犯罪者なのに、恋愛スポットなのだそう。久米平内への、死後の罰として地面に埋め「踏みつけ」ていたのが、時代が変わる中で「文付け」、つまりは恋文という意味になったのだと言う。


「願ってきたら?」


こう勧められたので、鳥居をくぐり小さな祠に手を合わせてはみたものの、なにを祈ればいいものやら。


元カレをくっきり忘れることか、それとも──


何の気なしに、鳥居の外の駒形さんをちらりとだけ見ると、狛犬の隙間からなのに、なんと目が合ってしまった。


それも笑顔だ。たぶん、私の心情とはまるで別のところから生み出される笑みではあるが、美しさが損なわれるわけじゃない、格好いい。


なんだかわけがわからなくなって私は、なぜか世界平和を祈った。犯罪者の霊に対して。


その後も、私たちは赤提灯通りや、花やしきなど、いわゆる観光地を見て回った。だが、狭い範囲に密集しているからか、それでも時間は残ったらしい。結局、先に喫茶店で待っていようという話になった。


約束の喫茶店は、入り口のビニルの軒や、年季の入ったスチールの看板からして、レトロな作りのいわゆる純喫茶だった。


店内も同様で、レザー調のソファ席しかない。そして壁沿いの棚を埋めるは、昭和期の漫画たち。


「最近はおしゃれな喫茶店が多いけど、こういう雰囲気もいいよね」

「はい」


そう答えながらも、私はそのノスタルジーな雰囲気に軽く酔いそうだった。喫茶というから、いわゆる英米風の店を想像していた。


「決まったか?」


席について少し、歳のいった店主が、ぶっきらぼうに注文を取りに来る。駒形さんは迷わずナポリタンセットを頼んだから、私は「……同じものを」と。


本当はまだ悩んでいたが、妙な圧を感じてしまった。優柔不断は許さない、そう店主の仏頂面に書かれているようだった。


すぐにセットのコーヒーが届く。無言で、だった。どういうシステムなのだろう。最新のドリップマシンの方が愛想がいいかもしれない。私がのっそり動く店主を怪訝に見やっていると、


「バイトはどう、少しは慣れた? 皆勤賞だけど」


駒形さんは気にも掛けない様子。カップに口をつけ、ミルクのように甘く笑った。

簡単にも訝しさは吹き飛んで、代わりに訪れるのは面映ゆさ。


「は、はい、おかげさまで」

「ならよかった。たまには休みなよ。うちがブラックだと思われる」


飲んでいるのはブラックで、顔はミルク、そしてバイトはブラック。ちぐはぐしていて、少し面白い。


だが実際のところを言うなら、バイトはどの角度から見てもブラックなどではない。繁昌時などは少し大変な時もあるが、いちいち気にかけてくれるから、今のところ快適に勤務させてもらっている。


なにより賄いが美味しいから、と話していたら、今度は一言「ナポリタン」と品名だけぼそりと呟いて、店主が料理を運んできた。やっぱり実に無愛想だ。


「……純喫茶ってどこもこうなんですか」


 一度は駒形さんの笑顔に免じるとして、二度までとは。


「蔵前処」の超がつくほど丁寧な接客とは大違い。有り体に言うなら、雑。店主はもう定位置のパイプ椅子に戻って、新聞を広げている。我が城は不可侵なり、そういった雰囲気だ。よしんば追加の注文があっても、あれでは声もかけがたい。


「ううん、ここはって話だよ。これがいいって人もいるんだ。水も入れにこないし、退店の催促もされない。逆に言うと、なにの邪魔もされないから、ってね」

「なるほど……」


 その視点はなかった。私たちも席にいる間は、我が城というわけだ。


「別に適当にしてるわけじゃない。それは食べれば分かると思うよ」


この店のナポリタンはケチャップソースが濃く、ここらでは随一に美味しいと評判なのだとか。あっという間に絆された私は、へぇと頷きつつ、手をつける。


なんとなく子どもの頃を思い出すような、懐かしい味がした。酸味と甘味が、いい塩梅に仕上げられている。ねっとりしたソースが野菜をよく絡め取っている。


「たまねぎがよく炒められてるね。ソースに溶け出して、うまみになってる。子どもの頃に食べたような味だね。みんなが、これを目当てにする理由がよく分かるよ」

「はい、美味しいです。食べたことがあるかは覚えてないのに、私もなんとなく小さな頃を思い出しました」

「うん、分かる。いい料理の証だね。人に思い出を呼び起こさせる、っいうのは料理の大切な役割の一つだから」


 深いな、と思う。たしかにそうだ、私自身で考えても、好きな料理というのはなにかしら思い出が紐付いている。


カレーは、演劇部の公演前に必ず母が作ってくれたから、勝負飯。逆に反省会とお疲れ様はチーズたっぷりのカルボナーラ。


それから、一番の好物である玉子焼きは、なにより元カレとの思い出が紐付いている。彼がその美味しさを知っていたのが、好きになるきっかけだったのだ。散々な結果には終わったが、純粋だった初期の頃のことまで憎いとは思えない。いい恋の思い出として、現状とは別の引き出しに保管してあった。


「駒形さんは、そういう思い出が浮かぶ料理って他になにかありますか」

「そうだなぁ、色々あってすぐには出てこないな」

「あ、逃げましたね?」

「ははっ別にそういうつもりはないよ。そういう汐見さんは?」

「私はカレーとかです! お母さんがいつも公演前に──」


私たちはそうして和気藹々と歓談を交えるうちに食べ終える。

観光地を練り歩いて、同じものを食べては、プライベートの話をする。これはなんだかデートみたいじゃないだろうか、と不意に思った。少しだけ胸がはやりだす。駒形さんは、どうだろうか。


「あぁごめんよぉ、駒形。急に呼びだしたりして」


若干惚けかけていたが、横入りしたしゃがれた声に現実へと引き戻された。


「いえ大丈夫ですよ、柳田(やなぎた)啓司(けいじ)さん。むしろいつも贔屓にしてくれてありがとうございます」


六十代頃、白髪まじりの老人だった。シャツに半パンという、実にラフな格好をしている。彼が本日の依頼人らしい。


駒形さんが、私の隣へ移ってくる。近いよ。そう、どきんとしたのは束の間で、駒形さんの真剣な目に、私は心の帯を締める。私も、上の空でいる場合ではない。


「悪いね。ちょっとのっぴきならなくてよ。週末までにはどうしても知りたいんだ」


柳田さんは座るなり、注文より先に用件を話しだす。少し、気が急いているみたいだった。


「どうしても昔食べたヨークシャープディングが再現できないんだ。頼む、一つなんとか作ってくれんか」



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