2章 ヨークシャープディング(イギリス料理)
第11話 もう一人のシェフさんは犬っぽい。
一
私、汐見祥子は時代の潮流にも乗って、最近、副業を始めた。
本業の大学事務に加えてやり出したのは、小料理屋でのアルバイト。だが、単に店員かというとそうじゃない。なぜか探偵の助手という妙な役割までくっついた、他にそうない仕事だ。
採用になってからというもの、定休日の日曜を除いて毎夜、私は小料理屋・「蔵前処」へ出勤するようになっていた。
やる前は体力が持つものかと不安だったが、物が皆無のワンルームに帰っても、就寝までに特にすることはない。よっぽど疲れていなければ、ここへ来る方が有意義だった。それに、賄いと呼ぶのが申し訳なくなるような豪華なご飯もついてくる。むしろ行かない理由がなかった。
探偵の依頼は、そういつもあるわけではなかった。仮バイトとして初の依頼をこなしてから一週間、今のところ二件目の依頼はきていない。
そう多くあっても困る。なにせ依頼は無料で承っていて、食事のサービスまで付いているのだ。そればかりでは経営が傾いてしまう。そもそも店内の席数はカウンターとテーブル合わせて、ちょうど十五しかない。いつも九割方は埋まっているとはいえ、収支はプラスなのだろうか。
だが、そんなことはアルバイターのペーペーが気にすることではない。
「皿洗い終わりました。えっと次は」
「うん。じゃあ裏からタッリアッテレの五ミリ、取ってきてもらえるかな。平べったい、少し緑色のパスタ麺なんだけど」
「……はい!」
まだ普通のバイトなら、試用期間にあたる。指示をもらわなければ動けない。その分やる気をみせなければ。
私はキッチンスペースの中、狭しと置かれた調理器具たちの間を縫うように動く。パスタなどの人気メニューを作る器具は当然として、あまり出ないという中華系の用具まで揃えてあるから、物量は必然と多くなる。
駒形さんは、「できるか?」と聞かれて、「できない」と答えたくないそうだ。「なんでも屋」が理想なのだと言う。負けず嫌いなのかもしれない。
そんな店主の持つ倉庫だから、ここもかなりの収納スペースと物がある。
私がワインラックの取り付けられた壁を引くと、ぎぃとゆっくり、壁が手前に動く。隠し扉になっていて、その裏が倉庫なのだ。初めに知ったときは感嘆してしまったし、いまだに少しワクワクする。小学生の男子か、私は。
この倉庫は、結構アバウトに管理されている。よく使う物以外は、ほぼ仕入れ順に詰め込んだだけで、まだ整頓できていないそうだ。
「タッリアッテレ五ミリ、タッリアッテレ……」
忘れてしまわないよう呪文のように繰り返しながら、倉庫の棚を手前、上から順に見ていく。
無情なことに、目線どころか頭上よりずっと高い。一、二と横歩きをする。三つ目の棚で、それらしいものを見つけた。背伸びをしたとき、
「あ、もしかして噂のバイトちゃん〜? 汐見ちゃんだっけ」
足元から人の声がした。
思いがけないことに、ひっと声をあげ私はバランスを崩す。こけてしまって、真正面からその人の顔を見た。
「やっぱりそうだ〜、このサイズ」
くりっと巻いた栗色の髪に、力なさそうな目をした男の子だった。鼻に抜けるような声をしている。男性というより、男の子いや芝犬、そんな印象だった。誰だろうか、まさか盗人? だがそれにしてはあんまりに余裕そうな態度だ。
「取ってあげようか、パスタ」
「えっ、はい」
その人は私の代わりに、棚に手を伸ばす。だが私よりはずっと高いが、その人も男の人としては小さく、辛うじて袋の先に指が届く。百六十五もないかもしれない。
「ほら、これでいい? タッリアッテレ五ミリ」
「ありがとうございます。あの、誰……?」
「あれ聞いてない? 僕もここの店員なんだ。今野(いまの)寅(とら)次郎(じろう)、こんな歌舞伎みたいな名前だけど、うら若い二十四歳」
他にも店員がいるとは聞いていなかった。それに同い年らしい。うら若い、というが、見た目だけなら高校生にも見えた。店の制服ではなく、シャツ姿なら、確実に勘違いをしているところだった。
私も自己紹介をした後、気まずさにちょっと間黙ってしまう。同僚だとして、出会い方を間違えてしまった気がする。これではまるで少女漫画の一話だ。
「戻らなくていいのー? 聡先輩に頼まれたんじゃ?」
「あっ、そうだった!」変な妄想をしている場合ではない。
私は急いで起き上がると、キッチンの方へ戻る。駒形さんは、
「そんなに焦らなくてもいいよ、うちのお客さんは優しいから」
包丁から目を離さず言った。アジを三枚に下ろしているらしい。その目は鋭く、切っ先へと向いている。私も三枚おろしには挑戦したことがあるが、あの下準備は、かなり集中力を要するものだった。そして、私は全力の集中をもってしても失敗して、ぐっちゃりとなった。
私は、邪魔にならないようパスタ麺を横手に置いておく。だが、思いの外あっさりと、さも容易なことのようにアジをさばき終えた駒形さんは、流れるように今度は鍋の前へ移り、パスタを湯がき始めた。
「どうしたの、なにか言いたげだけど?」
湯の塩加減を確かめながら、私の顔も確かめる。
「あの、倉庫で今野さん……に会ったんですけど」
「あぁ、寅次郎に。ごめん言ってなかったな。普段は昼の部の定食と朝の仕入れ、仕込み担当なんだよ」
「じゃあ今日はどうして夜に?」
「無理言ってきてもらったんだ、ついさっき。実は急な探偵の依頼が入ったんだよ。あと少ししたら、俺ちょっと出かけてくる。前みたく事前に分かってたら、店じまいするんだけどね」
なるほど、そんな事情が。ということは、だ。
「じゃあ私も……?」
「うん。来てくれると嬉しい。ほんと急だから、出かける用意がないとかなら、来なくても大丈夫だけど」
「いえ、行きます!」
私の、二度目の探偵助手としての仕事ということになりそうだ。
なんだかやる気が出てきた私はホールへと出ると、空いていたテーブル席を丁寧に拭いて回る。アルコールを吹き掛けていたら、どこかから視線を感じた、ような気がした。
位置的には、若い女性のお客さんの角度からだったが……。
「汐見さん、準備できそう?」
「はい、すぐに行きます」
が、特に覚えもなかったので、気にしないことにした。
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