第6話 お皿、見つけました。




     四



「あんまり掃除できてなくてごめんね〜、ちょっと散らかってるけど」


キッチンは、よくある一人暮らし用の家より少し広い程度の間取りだった。


調理台もそこそこの幅があって、コンロは三口ある。私の家は一口だから、それだけで広さの印象が違って思えた。よほど、料理が好きなのだろう。


入るなり加奈さんは、あくせく食器置き場に積み上がった調理器具たちを戸棚にしまい始める。


駒形さんは気にしませんよ、と言うが、彼女は落着かないらしい。その手が止まることはなかった。


「でも、ちょうどよかった! このままにしてたら、また怒られるよ〜」


加奈さんがそう言ったから、少し気になって、私は聞いてみる。


「彼氏さん、結構厳しい方なんですか?」

「んー、そこまでじゃないよ。でも私とは真逆なんだよねー。冷静で、数字に強い方っていうか。仕事も銀行の内勤だから、真面目な方なんだ」


かっちりした髪に服装、男の絵がなんとなく浮かんだ。

たしかに、砕けた感じのある加奈さんとは真逆ではあるが、それが凸と凹みたいに噛み合って、いいコンビなのかもしれない。


「確かにきっちりされた方みたいですね」


駒形さんは、冷蔵庫の引き扉を開けてそう言う。あるものは全て見ていい、と加奈さんには了解を取っていた。


庫内は、きっちりと整頓されていた。手を入れずとも、肉類、野菜類、缶ビールにスイーツまで、どこになにがあるかが一目で分かる。


個人のであろうものには、ご丁寧に名前が記してあった。


「あっ、要ったらまたシュークリーム買ってるし!」


にひっ、と加奈さんが笑う。

いつか私もこんな微笑ましいことに小さな幸せを思った日があったっけ。

自分の思い出のかけらに引っかかって、また負の感情が内側から迫り上がってくる。


「汐見さん、どう? なにか変わったところあった? そんな顔してるけど」

「い、いえ、とくに普通なのではないでしょうか」

「そうだね、俺もそう思うよ」


だがそれは、駒形さんの屈託のない笑みを見ると、また少し後退していった。


次は、と彼は食器棚の前へと移る。引き出しを開けてまず、


「ご飯茶碗は一つしかないんですね」


こう呟いた。


「そうなんだよ! 私のしかないの。前の家の時はあったんだけどなぁ、捨てちゃったらしいの。でも買おうって言っても、いらないって」


茶碗がないわけじゃないのかもしれませんよ、そう言って駒形さんは棚の少し奥を探る。

ここも綺麗に片付けられていて、なにか掘り起こしものがある気配もなかったのだけれど、


「見つけましたよ、お茶碗」


大きなすり鉢をひっくり返した下に、それは埋まっていた。駒形さんは、加奈さんとの間にいた私に、まずそれを手渡す。

ないはずの、お茶碗だった。見た目よりも、ずしりと手のひらに重みが乗る。赤土で出来ているのだろう、と駒形さんが補足してくれた。


「なにこれ、こんな立派なのがあったの。見たことないんだけど」

「すり鉢なんて、あまり普段の料理じゃ使いませんから、わざとそこに置いたのかもしれません」

「それって、彼が隠してたってこと?」

「えぇ、まぁ。その可能性が高いでしょうね。あなたも、彼が種類の違う食器を重ねて置くなんて思わなかったでしょう? たぶんそれを利用したんですよ」


あっ、と加奈さんは口に手を当てる。図星だったらしい。

たしかに、相手が自分より几帳面な人間だったら、まず疑うことをしないかもしれない。


「問題はどうして隠していたか、ですが。もし山川さんにとって都合の良くないことでも、いいでしょうか」

「……うん、それはいいけど」

「分かりました。汐見さん、裏見てくれないかな」


私はその通りに、手首を返して食器を見てみる。底面に、なにやら小さく字が彫られてあるのを見つけた。私は、目を凝らして読み上げる。


「ながくずっと、かこ、しあわせに……?」

横書き、全てひらがなでこう書かれてあった。


駒形さんは私からひょいっと器を奪う。一周ぐるりと、指先で器の淵を撫でた。


「材質はかなりいい赤土を使ってます。お米には土器が合うので、茶碗としてはかなりいいものでしょう。でも、所々歪んでますね。職人じゃない誰かの手作りと見るのが正しいかもしれません。汐見さん、指を貸して?」

「えっ、はい」


訳もわからず、私は駒形さんの方へ、掌を開く。

彼はそっと壊れ物でも扱うように、私の手首を握った。びっくり、それからドッキリしていると、彼は器にあった窪みに私の指先を当てがった。大きさがひと回り違う。


「この場合、彼氏さんが作ったと考えるのがよさそうですね」


駒形さんの眉間にはシワが寄っていた。

加奈さんは深刻そうに俯く、私もそうせざるを得なかった。なぜなら、


「…………それって、うちの彼はこの器をこの「カコ」って子に送ろうとしてるってこと?」


これらの事実から一番簡単に導き出せる答えは、加奈さんにとってはよくないことだろうから。


「なんなの、要ったら同棲しようって言ってくれたから、期待したのに。まさかこの同棲は私を浮かれさせて、浮気を誤魔化すためって訳?」


加奈さんは、自虐的な半笑いを浮かべつつ、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。


「じゃあうちでご飯を食べなかったのは、この女に作って貰ってるから……? なによ、それ……」


やがて語調が早くなっていって、彼女は茶碗を掴むと、床へ向けて振りかぶる。


「……誰よ、かこって」


そして、一気に声は力を失った。こつりと、器は静かに台の上に置かれる。


私は自分のことのように、沈痛な気持ちになった。そう、人ってどうしようもなくなるのだ、こういう時。


腰の横で行き場をなくして固まっていた彼女の拳を私は反射的にそっと包む。私の手を弱く握り返した彼女の目には、涙が潤んでいた。


なおさら強く胸の奥が疼く。彼女の痛みは、たぶん私も知っているそれだ。


自分の純粋な思いが裏切られてしまった時に感じる、痛み。ただのすり傷じゃない、ずっと凶器が刺さっているような鈍痛。血が固まりだしても、重く響くように苦しいのだ。

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