第4話 お話聞きます。



人様の家に上がるのは、私にとって数年ぶりのことだった。


就職の折、地元である兵庫県の明石から東京へ引っ越してきてからは、一人を除いて、知り合いさえ職場のほかにはいないのだから当たり前だ。

それもうちの職場は飲み会などはほとんどなく、仕事以外の関わりはないに等しい。その唯一の一人とも諸事情あって、もう会うことはなくなっている。

だから、まずこの状況が落ち着かなかった。テーブル席の端に預けてもらって、半ば借りてきた猫のように駒形さんと依頼人である加奈さんの顔を伺う。


「今日はわざわざありがとうね、駒形さん。そういえばこの間の件も! 財布取っといてくれて助かった〜」

「いえ、それは大丈夫ですよ。お店にくるのはいい人ばかりですから。でも店の外で落とされたものまでは拾えませんので気をつけてください」


二人はそれなりに親交があるらしい。気安そうに、世間話を交わし始める。


「は〜い、気をつけるよ。でも駒形さんがお酒を出しすぎなせいもあるって」

「ははっ、そりゃあうちも商売ですから。それにビールのためならお金は惜しまない、ってこの間は豪語してましたよ」

「え〜、そうだっけ? でも止めてくれたっていいよね。ね、祥子ちゃんだっけ? 聞いた? 新しいバイトの子なんでしょ、この悪い店長叱ってあげて」


眺めていたら、思いがけず矢が私の方へも飛んできた。


「……えっと」


ぐさりと急所に刺さった感じだった。全く反応できずに言葉に詰まっていると、「いいの、いいの、冗談!」と机を叩かれ、あっさり流される。


「元から安いし美味しいから、それくらいは許すとしよう! で、相談したいことなんだけどさあ」


加奈さんは、私とは違って底抜けに明るそうな人だった。シラフでこれなのだから、飲んだくれると、もっとなのだろう。


輪の中心でビール瓶を掲げている姿が、容易に想像できた。たぶん人生で三桁は空にしてきている。


「……あっ、まずはお茶か! すぐ持ってくるから、お二人さん適当に話しておいて!」


そして、忙しい人でもあるようだ。忘れっぽいんだよね、と加奈さんがキッチンの方へドタドタと向かう。


「お気遣いなく」


駒形さんはこう請け合う。

それから、私の顔をのぞき込んだ。


「やっぱり緊張してる?」


急に近づくのはやめてほしいかもしれない、心臓に悪い。


「はい、かなりしてます……」


依頼自体と格好良さ、二つに。


「あんまり、無理になにかしようとしなくていいよ。もう助かってるから」

「えっと、私なにもしてませんけど」


今のところ、ただ縮こまるだけ以上のことはしていない。借りてきたにしても、招き猫の方がましなくらいだと思ったのだが、


「いいや、十分さ。女性が一人でいるときに、人の愛の住処に男一人で入るのは結構ハードル高いんだ」


それが役に立っているらしい。それにしても愛の住処ということは。


「加奈さん、結婚されてるんですか?」

「ううん、結婚はしてないだろうね。袴田って別の名前が書いたものが結構あるし、同棲ってところじゃないかな?」

「……なるほど」


同棲。酒で撃退したはずの、薄暗い気持ちが再度こみ上げてくる。

が、それを切り裂くように、冷えた麦茶のグラスが、コトリというよりはドンとあらっぽく置かれた。

グラスの中で液体が波立ち揺れる。


「さすが駒形さん! 正解、正解。彼氏と付き合って五年目、最近ついに同棲始めたんだ〜。それでさっそく相談なんだけど、いいかな。それも少しは関係ある話だし」


ついに本題に入るらしかった。

私は麦茶を大きな一口で勢い飲み下す。場合ではない陰鬱な思いは、もう一度胃下へと押し込めておいた。叶うなら、そのままパスタに絡んで、消化されてしまえばいい。


「はい、なんなりとどうぞ」

「ありがとう。あと、できるだけ早く終えてくれる? 荷物の受け取りがあるとかで、九時には帰るみたいだから。あんまり調査してたとかって、彼に知られたくないの」

「分かりました。もし予定より早めに帰ってきそうになったらまた教えてください」

「りょーかい! メッセージ送り続けてアンテナ張っとくよ。で、相談なんだけど、話は私の連れ、つまりは彼氏、袴田要のことなんだ。私の気にしすぎならそれはそれでいいんだけどさ」


そう前置くと、加奈さんは私と駒形さんの方へずいっと身を乗り出す。


「彼、なぜか引っ越してきてから、家で白ごはんを食べなくなったの」


依頼内容について、こう一言で切り出した。

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