第3話 体験バイトすることに?



ようやく頭が冴え始めたのは、『小料理屋・蔵前処』を出て少し、駒形さんと二人、近くにある公園のそばを歩いている途中だった。


夜風に吹かれて、街灯に照らされた桜を見ていると、否応なしに思考がはっきりしてくる。

私は、なんて不用意な発言をしてしまったのだろう。撤回してしまいたかったのだが、


「あの、私、本当にバイトしてもいいんでしょうか。その、一応正社員で働いていまして」

「いいですよ、夜だけで結構です」

「別の大学生とか、もっと働いてくれる人がいるんじゃないですか?」

「いたら求人を出してませんよ。それで十分助かります」


こうまで素直に頼られると、私が撒いた種ということもあって、今さら断ることはできなかった。


「汐見さんは、お仕事はどこでどういったことを?」

「えっと、専門学校、演劇科とかが有名な芸術系の学校で事務を……。って、え、私の名前どこで?」

「あぁすいません。汐見祥子さん、と鞄に付けてあるカードケースに。俺だからいいですけど、気をつけた方がいいですよ。今の時代ですから、どこでどう悪用されるか」


私ははっとして、飛び出していたカードケースを内側へしまう。


「まぁそこまで神経質にならなくても大丈夫ですよ。一部の変わり者以外は見てないですから。事務のお仕事ですか、なるほど。二年目、二十三歳といったところでしょうか」

「そうですけど……」


まさかまだなにか個人情報をばら撒きながら歩いているのだろうか、私は慌てて自分の身なりを振り見る。そこまでリテラシーが低かったっけ。


「その分だと正解のようですね。あ、これはただの勘ですよ。安心してください。俺は二十六なので、なんとなく近いのかと思っただけです」


気のし過ぎだったようだ。

駒形さんは悪戯っぽく笑むと、私の頭の高さに合わせて腰を折る。


正面から見ると、なお美しい顔構えだった。見てるとそれだけでまた顔が赤くなっていきそうで、私は目を宙に泳がせる。


「ちなみに今回はどうしてバイトに興味を持ってくれたんです?」

「えっと……」


理由をあげるとするなら、イケメン店主とおしゃれな料理。だがそんな邪がすぎる理由は、さすがに口にできたものではない。


「どんな理由でも教えてくれたら嬉しいです」


いっそここで「バイトをするつもりはなかった」と申告できればよかったのだが、身から出たサビと思えば、それもできないのが私だった。


それらしい言い訳を創作しようとするのだが、容易ではない。しばらく黙ってしまっていると、


「あぁ無理に答えなくていいですよ。すいません、俺の方ばかり聞いてしまって。気になることがあれば、なんなりとお聞きください。働き先のことですから、気になりますよね」


駒形さんの方から、こう話を振られる。


いつから小料理屋をやっているの、とか色々疑問はあったけれど、根本的なものはひとつだけだった。それはもう差し迫った、クリティカルなものである。


「あの、私たちはどこへなにをしに向かってるんでしょう?」


まずは目前の、それが一切わからなかった。

小料理屋でバイトとなれば、まず浮かぶのはキッチンやホールだが、今日はもう店じまいをしてしまっているし、こうして外にも出てきてしまった。


「そうですねぇ、当ててみてください」

「え、なんでも教えてくれるってさっき!」

「ははっ、すぐに教えますから。ちなみにもうヒントは結構出てますよ。もし当てられたら、うちの食事をフルコースでご馳走します」


驚きつつも、そう言われると当ててやりたくなる。間違っても、食い意地ではない。


分かっている情報は少なかった。だが逆に言うなら、絞れていないこともない。小料理屋に関わることで、調理でも接客でもないものなど、そう多くはない。


たしか彼は「変わった仕事」「今日は早じまい」と言っていた。そうわざわざ言うからには、関係があるのかもしれない。


「……どこかの夜市で仕入れ、とかでしょうか」


色々なことを総合して、私なりに考えた結果の答えだった。これなら一応は、どの条件にも説明がつく。


「いい線は言ってますけど、ちょっと真面目に考え過ぎですよ」


だが、残念ながらハズレだったらしい。答えはというと、


「正解は、いわゆる探偵稼業です」


私の予想の範疇を大きく超えたものだった。は? と疑問符が頭上に浮かび上がる。風船のごとく膨らんでいく。


「汐見さんは、今からなにをするか推理をしてくれましたよね。それがヒントだったんですよ」


なるほど、質問自体が。納得しかけて、私は首を横に振る。


「小料理屋の店主さんがなんで探偵を?」


問題は、そもそもの部分にある。


「きっかけは大したことじゃないですよ。お店のお客さんの相談を聞いているうちに、一度小さな謎を解いたことがあったんです。


そこから口コミで徐々に件数が増えて、今みたくまぁ頻度的には週に一件くらい、謎解きの依頼を受けるようになったんです。

無料でやってるんですよ」

「えっ、すごい話ですね」

「まぁプロの探偵じゃないですから。

お客さんに楽しくお店に来てもらうためには、悩みを解決するのも仕事の一環かと、割り切ってます」

「じゃあ私の仕事は──」

「えぇ、その探偵業の助手兼店員です。探偵の仕事は、男一人だと、どうにもやりにくいことがありまして。とにかくまずは今日一回、お願いできませんか? 

特殊な仕事なので、その後続けるかどうかは汐見さんが決めていただいて結構です」


一回ということなら、今日が終わった時に、合わなかったとでも言ってお断りすればいい。


逃げ道を得て心が軽くなった私は、こくりと頷く。


一回くらいなら面白そう、なんて少し思ってもしまった。学校事務でのルーティンワークだけじゃ、刺激が足りない。


「ありがとうございます。お頼みついでにもう一ついいでしょうか。実は、堅苦しいのは嫌いなんです。敬語、やめてしまっても大丈夫でしょうか。これもひとまず今日だけです。今日だけは同僚なので」

「えっと、……はい」

「ありがとう。汐見さんもぜひ」

「でも駒形さん、年上なんじゃ」

「気にしないよ、それ以前に同僚だから。仮だけど」


私がされど、と渋っていると、駒形さんの足がつと止まる。閑静な住宅地に建つ、築年数の浅そうなマンションの前だった。


少なくとも、私の家に比べれば、かなり新しい。


「聞いていた家は、ここだね。依頼人は山川加奈さん、二十代後半、お店の常連さんなんだ」


いよいよ仕事が始まるらしい。

酒の成り行き、単発とはいえ、「探偵の仕事」とこれば普段の事務仕事にはない緊張感がある。私はごくり、と唾を飲む。


「あんまり固くならないでいいよ。もっと肩の力を抜いて。ね?」


私がはいと答えるのを待ってくれてから、駒形さんはエントランスのチャイムを鳴らした。カメラの奥へ欠けることのない笑顔を作る。


「ご存知かとは思いますが、私、『小料理屋・蔵前処』の駒形と申します。ご依頼の件でお伺いしました。こちらは助手の汐見です」


私なりに助手らしく、スーツ鞄を膝に当て背筋を伸ばしておいた。

脱力するよう言われたばかりなのに、肩はすっかりいかりあがっていた。

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