第2話 バイトしてみようかな?

なんで私ばかり辛い目に合わなきゃいけないのだろう。結局いつも、幸せは私にそっぽを向くんだ。


声に出ていたかどうかも分からない愚痴が頭を席巻して、段々ぼーっとしてくる。


「バイトか〜……」


寝ぼけまなこに掴んだのは、テーブルの上に据えてあった、この店の求人チラシだった。イケメン店主に、洒落た料理。私が大学生なら、間違いなく応募していただろう。


 私は今、芸術専門大学の事務として正社員で働いている。残業なし、年間休日は百三十日、ほとんどそれだけを決め手に選んだ職だ。


ううん、嘘。少しだけ破れた夢への未練があったかもしれない。


大学生の頃、私は舞台俳優を目指して、小さな劇団に所属してもいた。だから、仕事を選ぶときに、演劇専科のあった今の職場が気になった。


 ふと、最近副業禁止規定が解除されたことを思い出す。近年の潮流に沿って、とか部長が言っていたっけ。


いっそ私も応募してみようか、引っ越したばかりで金欠ということもある。


だが、少しだけ考えてみて、やっぱりなしだと結論がひっくり返った。


私が採用されるわけはない。大学生みたいに時間の融通も利かないし、そもそも、このバイトなら募集をかけずとも優秀な人手が集まりそうだ。それに仕事終わりにバイトをするほどのバイタリティは冷静に考えて持ち合わせていない。


『特別な技術は不要、簡単なお手伝いのみ、まかないつき、時給千四百円、女性募集』


甘い言葉の連なったチラシを手にしたまま、私は顔を伏せる。


いよいよ眠気は、限界まで達していた。

そしてそのまま、私の視界は、ブラックアウトした。




私が肩を揺られて起こされたのは、約一時間程度が経った午後七時ごろだった。


スマホの時計を見て、なんだまだそんな時間かとほっとする私に、件のイケメン店主は申し訳なさそうに眉を三角に落とす。


「よく寝てましたね。もう閉店の時間ですよ」


えっ、とつい声を上げてしまった。


小料理屋つまりは飲み屋さんなのに、それは早すぎる。


「ははっ面白いですね、お客さん。すいません、今日はちょっと早めに閉めさせていただく日となってるんです。──って、そのチラシ。もしかしてバイト応募してくれるんですか?」

「え、えーっと? あぁ……これ」


まだ頭には、酔いと眠気が残って、ぼんやり雲が浮かんでいた。

求人用紙を握ったまま、はっきりと答えられないでいたら、


「申し遅れました、店長の駒形と言います。探してたんですよ、バイトしてくれる人。最近はどこも人手不足で、なかなかウチみたいな小さなところは選んでもらえず困ってたんです」

「……はぁ、そうなんですか」

「えぇ、だからもし興味があるならぜひ。ちょっと変わった仕事なんですが」

「変わった仕事ですか」

「えぇ、だいぶ変わってます。まさにこれから、その仕事があるんです。どうでしょうか、体験がてら一緒に来てはくれませんか。もちろん、強制はしません。もしお暇なら。報酬はなんなりと、たっぷり出させていただきますから」


駒形さんは、日だまりのような笑顔を見せたあと、丁寧に私に向かって頭を下げる。

私の働かない脳が出した答えは、「仕草一つも美しいなぁ」とまるで関係のないことだった。世にこんな麗しいものがあるだろうか。なんとも例えられない。


顔が熱いのはお酒のせいだけではなさそうだ。


「どうでしょうか、そんなに時間はかけさせませんよ」


そして、私は訳もわからないまま首を縦に振っていた。振らされた、のかもしれない。



     

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