「穴底、記憶喪失、小鬼」

 ――死ぬのか、ワタシは。

「大丈夫ですか! ちょっと! もう、自分でも、泳いで、ください!」

 ――うるさい。あと苦しい。

「もう! 最悪、この鎧、沈むし、ぬげろぉ、ぷはっ」

 ――寒い。あとどこ触ってる。息ができない。

「ちょっと! ほんとに死にますよ! ああもうなんで飛び込んじゃったんだろう、最悪! やば、つった、死ぬっ」

 昏倒、回復成功。

「ああ、くそ! 助けに飛び込んで来ておいて、先に溺れるな!」


――――――


「先ずは、礼を言う。キミのおかげで助かった」

 そう言って剣士は頭を下げる。

 流れの激しい水脈から這い上がり、残った装備は鉄兜、腰のナイフ、手足の鎧だけである。剣は見当たらず、鎧の胴(どう)の部分は脱ぎ捨て水底に。

「いえ、こちらこそ......」

 対してもう一人。森の洞窟において衣服だけ、武器どころかもの一つ持たない少年。

 洞窟で目覚め、水脈で沈もうとする剣士を見つけて飛び込んだはいいものの自分が先に溺れそうになった者だ。

「キミ、近くの村の子か? ここが洞窟のどの辺か分からないが、森の奥までその軽装で来るなんて、自殺志願者か相当の間抜けだ」

 剣士は意図して語気を強くする。それは無謀な者を咎めるものだ。

「いえ、その......目が覚めたら、ここに、向こうの吹き抜けで......それより前のことも、何も覚えていなくて......」

「目が覚めたら......? 記憶もない、か」

 剣士は腕を組んで思案を始める。腕には豊満な胸が乗る。

「......あれ?」

 水から上がった息を整え、ようやく視線を剣士へと向けた少年は、先ずその豊満な胸に視線を奪われてしまう。

「少年はあれだな、ワタシも話にしか聞いたことがないが、おそらく隠し子だな」

「隠し子?」

「ああ、地底の奥深くに住む道の神ダラムが、人間の記憶を消して洞穴や岩の下に隠す。という昔話があるのさ。大きな地震のあとにはそういうダラムの隠し子がどこかで目を覚ます、というな」

 剣士は組んでいた腕を開いて、わざと陽気そうな仕草をした。

「......よくあること、なんですか?」

「どうだろうな。そういう昔話があり、稀にそういうことがある。くらいにしか聞いたことがない。実際ワタシも見るのは初めてだ」

「............」

 剣士は少年の肩に手を置いた。

 その手は鉄の手甲で冷たかったが、同時に少年に暖かさを感じさせた。

「とりあえずワタシと来い。見つけた以上、見捨てることはしない。命を救って貰ったしな」

「......信じてるんですか?」

「ん? 嘘を言っていたのか?」

「そ、そんなことはないですけど、そんな簡単に......」

「簡単なものか。どこの国でも、簡単に救える命はない。だからワタシは、来いと言ってる」

 剣士はそう言って、背を向ける。

 慣れない言葉を使い、恥ずかしいようだ。

「とりあえず、こっちから風の音が聞こえる。向かうとしよう」

 足早に進み始める剣士に、少年は慌ててついて行く。

 無意識に少年は笑んでいた。迷っていても、少年はその剣士の言葉が嬉しかったのだ。


――――


 剣士と少年は、水場を離れ、横穴に入り洞窟を進む。

 進む先からの音を頼りに、剣士は迷いなく歩を進める。


「ところで、少年。武器使えるのか?」

「いえ、多分、使えません」

「......そうか、まあ武器はこのナイフしかない。魔物と出会わないことを祈っておいてくれ」

「......はい」

「あと、その、別にそんなに畏まらなくていい」

「わ、わかりました」

「......まあ、慣れてからでも、頼む」


 しばらく進むと、道が二手に別れている所へ辿り着いた。

 左の道からは、微かにオレンジの光が見える。

「右だな」

「......なんで? あ、なんで、ですか」

「......ああ、左から複数の生き物の息遣いが聞こえる。恐らく小鬼の寝息だ」

「小鬼?」

「ゴブリン、だろうな。大方この時間だと、夜の狩りに出る前の午睡といったところか」

「耳が良いんですね......」

「少ない取り柄の一つだ」


 剣士達は右の道を選んだ。

 進むと、滝の裏側へと通じていた。滝を抜けることは出来なさそうだ。道の側面を水の絶壁が覆っている。

 とても大きな水音で、会話はできそうにない。

「このままー! すすむぞー!」

「えー!? なにかいいましたー!?」

「進むぞー!」


 滝の裏側を通り抜けると、先の方から白い光が見え始める。

 光へ近づくと、そこは竪穴になった墓場だった。汚れた骨が幾つも棄てられている。

「小鬼達の餌になった者達のものだろうな」

「集めてる、わけじゃない......?」

「恐らく、ここは上から掘られて出来ている。今通って来た道に、ここに繋げる為に掘られた穴だろう」

「へえー......」

「ここは小鬼の住処のようだしな。小鬼は住処には部屋を作る習性がある。前の分かれ道のとこが寝室、ここは掃き溜め、といったところか」

「行き止まりですね、ここからは上がれないみたいですし」

「仕方ない。戻ろう」


 剣士達は来た道を戻った。

 今度は分かれ道の左を進むことした。

 開いた空間に出る。真ん中に儀式的な彫像。辺り数箇所に干し草などが積まれている。

「あれ? 何もいない」

「そうだな。さっきまでの息遣いが消えている。起きてどこかへ行ったのか......なんにせよ、ここからは警戒しておけ」


 いくつかの松明が火をつけたまま立てられている。

 小鬼達の寝床には、幾つもの道があった。

 剣士は同じように耳をすませ、一番風が通っている道を選んだ。

「ここ、どこなんですか?」

「ん?」

「近くに街とか、そもそも人が来るような所なのか......」

「ああ、確かに、まず人が来ることは無いな。ここから一番近い村には鍛治職人もいないし、狩人も近寄らない。大きな街からは離れている。ただ洞窟の外の、森の外縁には大きな街道があり、商人の馬車や行者なんかはよく通る筈だ」

「そう、ですか......」

「そうだな。森にまで、それも洞窟にわざわざ入って来る人間はいないだろうな。森からでた魔物を殺す為にワタシのような者が来ることもあるが、洞窟にまでは入らない。行くような奴は小鬼や魔物に強い恨みでもあるか、何かしらの誓約を負っているかだな」

「......」

「まあなんにせよ、ワタシがキミと出会ったのは幸運なことだ」


 洞窟を進んでいると、剣士はある音を聞き取った。

 地面は岩肌で、足跡などができない。先に何者かが通っていたとしても、その手がかりを見つけることは難しい。

 しかし、音の反響する洞窟だからこそ、剣士はこの先にいるモノを察知した。

「気をつけろ。もし、ワタシが死ぬと思えば振り向かず、走り抜けろ」

「それは、どういうこと」

「食っている。気づくべきだった。この臭い、それに、忙しなく得物を鳴らして、誘っているのか......?」

「何かいるのか、先に」

「ああ、小鬼がいる。悪いが守ってやることはできない。いいな、迷わず、走れ」


 進むと、開けた空間に出た。

 目に入るのは、数匹の小鬼達、何匹かの狼が、息を荒く、剣士達を待ち構えていた。

 剣士達を待っていたのだろう。開けた空間の先は出口に繋がっているにも関わらず、小鬼達はそこから動かずにいた。

 息を荒く。道を塞いでいる。

「少年、まずは動くな。奴らから目を離すな。ワタシが奴らの視界をとる。死角を意識して走り抜けろ」

「でも、あんな多くの!」

「大丈夫だ、任せろ」

 剣士は確かに、ゆっくりとそう言ってから、言葉を待たずに駆け出す。

 腰のナイフを抜く。小鬼達はそれを見て、その相手が戦う者であることを理解し、声を揃えて叫び、狼達へ指示を出す。

 狼達は真っ直ぐに、剣士へと走る。

 その突撃を、剣士は避けることなく、迎え撃つ。

 立ち止まり、狼の速度を利用し、剣士はその衝撃のまま頭にナイフを突き立てる。

「■■■■■■!!!」

 狼は痛みに吠える。続いてもう一匹の狼が同時に襲いかかる。

 しかし、剣士は体勢を低く、刺さった狼ごと振り抜き狼の喉を切り裂く。

 続けざまに剣士は片手で中空に灯火文字を描く。

『火』

 その一字は精霊を昂らせ、小さな爆発と共に炎を作る。それだけで二匹程の狼が焼け、身を引かせる。焼き尽くすまでには至らない。

 だがそれで充分とばかり剣士は踏み込み、狼の頭に足先で蹴りをみまわせる。鉄の鋭利な部分が狼の側頭を抉る。勢いのまま独楽のように、ナイフを手放した剣士はそのままもう一匹の狼の首を絞め折る。

 狼達はこれで片付いた。残るは怯えた小鬼達だけだ。

「■■■! ■■■■■!」

 そう、ゆらりと剣士が立ち上がると小鬼達は叫び叫び逃げてゆく。

 小鬼は利口である。狼達が一人の人間に殺された時点で自分達もタダでは済まないと理解した。小鬼達にも群れがあり子どもがいる。ここは小鬼達が持つ幾つかの寝床の一つであり本拠ではない。そうした点から小鬼達は逃げることを選択した。

 剣士が想定していたことでは無いが、幸運にも危機を脱したのだった。


「ふう、何とかなったな」

 剣士は狼の死と小鬼達が消えるのを確認してから、一息、大きくゆっくりと吐いた。

 少年は無事かと辺りを見回すと、少年は変わらず先程と同じ場所に立っていた。呆れたように剣士は言う。

「少年、勝てたからいいものの、逃げろと言ったろ。それに――」

「す......」

「ん? す?」

「すごい......魔法? とても、綺麗な魔法だった。本当に......!」

「んむ......照れるな、やめてくれ、そんなに大した技じゃない。一字しかワタシは描けないし、日に何度も使えるわけじゃない」

 剣士は少し肩を落とし、手振りで否定する。

「こんな戦いにしか役に立たない魔法は、三流だ。本当の魔法使いはこんなものじゃないぞ」

「そ、それでも!」

「わかった、わかったよ。もういいから、行こう」

 剣士は慌てるように話を断ち切り、先を進もうと促す。

「もうすぐ外だ、キミさえ良ければ、ワタシ達と行こう」

 そう言って、背を向けて進み出した。


――


 洞窟を抜けると、眩い夕暮れが剣士達を出迎えた。

 剣士はおもむろに、その鉄兜を外す。

「ふう、やっと出られたな。恐らくワタシの仲間は街道に出て待っているか、報告の為に街に向かっている筈だ。とりあえず南下して、街道に出てからワタシ達も街へ向かおう」

 剣士はそう言って、先の行動を提案するが、少年からの返事が何も無いことを不審に思い、振り返る。

「ん? どうした」

 鉄兜に収まるように結われた、夜空のような黒い髪。理知的でありながら、幼さを残す獣のような、金の瞳。

 風が運ぶ、爽やかな汗の匂い。戦いの熱が冷めきっていない、赤みがかった頬。相手を気使い微笑む口元。豊満な胸。

 そのどれもに、少年は目を奪われる。

「え――と」

 言い淀む少年に、剣士は得心がいったと笑みを深くする。

「名乗るのが遅れたな」

 剣士は鉄兜を脇に抱え、片方の手を胸に置く。

 雄々しく、しかして優しげに、その名を告げた。

「アーキス。魔物狩りだ」

 剣士でもなく、魔法使いでもなく。

 少女、アーキスはそう名乗った。

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