第28話「王子の苦悩・摂政の帰還」
「殿下! 早く! 早くシルヴィア様を追ってあげてください!」
「しかしマニー嬢、あの女は……」
「あなた達には聞いていません! 殿下!」
マニーと側近たちと言い争う声を、マリウスは呆然と聞いていた。
何故、こうなった?
理由は分かっている。
怖かった。ただそれだけだ。
マリウス・ドライ・バラウールはいくつかあった見合い話のから、シルヴィア・バスカヴィルとの婚約を強く希望した。
初めて会った時、剣を振るう彼女の姿に見惚れた。
ひたすら上を目指す、赤い瞳の真摯さが、彼の心を射抜いたのだ。
話してみると、その見識の広さといかなることにも手を抜かないひたむきさに驚かされた。おてんばのわんぱく娘などと言う周囲の評判を嗤った。
マリウスは、ほぼ内定しかけていた別の令嬢との話を蹴って、シルヴィアと婚約した。
あの時、息子をめったに褒めない父王が「お前は人を見る目がある」と言ってくれたのが嬉しかった。
シルヴィアは彼にとって、伴侶と言うだけでなく、友であり、ライバルであり、同志だった。
次に彼女と過ごせるのはいつか。そんな事ばかり考えていた。
だが、貴族学校の高等部に進んだ時、悲報がもたらされた。
彼が婚約話を蹴った令嬢が、ショックで拒食症になり、衰弱して亡くなっていたと言うのだ。
マリウスは、恐怖に震えた。
自分が選んだから。選んでしまったから彼女は死んだ。
それから、マリウスは切り捨てることを異様に恐れるようになった。
選ばなければ、誰も不幸にならないとすら思った。
その苦悩を、婚約者に打ち明けていれば違っただろうか?
だが、厳しく自分を律するストイックなシルヴィアは、それを聞いて自分を軽蔑しないだろうか。
そして、また失ってしまうのではないか。
そんな心情をヤコブに吐露したのは、良かったのか悪かったのか。
「殿下はお優しいだけなのです。そのままの殿下でいさえすれば、きっとシルヴィア嬢も分かってくれるはずです」
彼の言葉は麻薬だった。
自分は弱いのではない優しいのだ。そう言ってもらうことで、ひと時だけ不安を忘れられる気がした。
善政で有名なセルヴィオ家の令嬢も、彼を優しいと言ってくれた。
シルヴィアが正しいことを言っているのも分かっていた。
けれど、彼らが自分を優しいと言ってくれなければ、きっと自分は駄目になってしまう。
何とか、取り戻さなくては。
このままでは、全て失ってしまう。
「……殿下」
まとまらない思考は、マニーの言葉で中止された。
彼女も、何か決意したように、まっすぐマリウスを見つめる。
「シルヴィア様を追いかけられないのでしたら、私はここでお暇させて頂きます。領の問題は、私が自分で戦うべきでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
マニーは、スカートを持ち上げて決別の言葉を述べた。
「マニー嬢! 何故!」
訳が分からないと混乱する王太子に、彼女は「何故?」と聞き返した。
彼女がマリウスを見る目が、何故かシルヴィアと重なった。
「殿下の相手に誠実であろうと努力されているところは、本当に好ましく思います。お慕いもしておりました。ですが、殿下が真にお優しいと思った事は一度もありません」
マニーは「それでは、ごきげんよう」と、練習室を後にする。
完全に思考が停止したマリウスに、取り巻きたちは「必ず彼女は連れ帰る」「きっと分かってくれるはず」などと口々に言うが、頭には入ってこなかった。
その日から、マリウスの魔力変換率は、2割を下回るようになった。
◆◆◆◆◆
「これはどういうことです!? 何故報告を怠ったのですか!?」
摂政リビエナ・アイン・バラウールは腹立ちまぎれに九頭竜製の扇子を床に叩きつけた。
彼女の気性は、弟の王太子に似ず激しい。
怒りをぶつけられた重臣たち身を固くする。
理由は分かっている。現場のサボタージュで彼女まで情報を上がってこなかったこと。彼女も重臣たちも倒れた王から仕事の引継ぎに忙殺され、貴族学校のままごとなどに構う暇は無かったことだ。
留学先から呼び戻されて以来、ろくに休みもとっていない。
現在の王国は、対立する2つの隣国のどちらと友誼を結ぶかでもめにもめている。
王家は現状のままローマン王国との交流を続けたいが、貿易の利益が甘受できない新興貴族は、既得権の切り崩しを狙ってファルクス帝国に接近している。
早速、混乱状態に付け込んだ帝国が、竜骨の大幅な値下げを要求してきた。適当に譲歩してお帰り願ったが、油断ならないことこの上ない。
津波のように押し寄せる難問を捌くだけで、リビエナは寝る間もなかったのだ。
やっと引継ぎが済んで一息ついたと思った時、ニュースはバスカヴィル公爵家からもたらされたが、それは決闘前日の夜だった。
「マリウス様をお呼びになりますか?」
「このタイミングで中止させてみなさい。『摂政は弟可愛さに勝負を捻じ曲げた』などと新興貴族が騒ぎ立てますよ?」
「で、ではどうさないます?」
不安そうに聞いてくる重臣たち。
彼女は苛立ちを逃がそうとするように眉間を押さえる。
「私が行くしかないでしょう。決着がついた段階で双方を叱りつけ、元に鞘に収めさせます。公爵家にも面目が立つでしょう」
「しかし、公爵家は何故このタイミングで情報を送って来たのでしょうか? もう少し早ければ対処も可能でした」
「多分、やらせたかったのでしょうね」
「えっ?」
驚く若い伯爵に、「いや、何でもありません」と頭を振る。
「せっかく仕事が一息ついたのですから、私は休むことにします。あなた達も交代で仮眠を取りなさい」
声を引き連れ、謁見の間を後にしたリビエナは、忌々しそうにつぶやいた。
「公爵も、人の親だったと言うことですね。まったく忌々しい……」
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