第6話「窓際補佐官」

 相談を終えて騎士団屯所にやって来たハルを出迎えたのは、山と積まれた書類と、大欠伸する雇い主だった。


 常に飛竜の襲撃に備える屠龍王国では、貴族学校と騎士学校は騎士団屯所に隣接している。人材交流制度も充実しており、実力が認められれば実習で飛竜に乗る事も出来る。

 意図は明白だ。貴族学校の生徒は基礎的な魔法教育を受けているので、乗り手として素質があれば引っこ抜いて竜騎兵にしてしまえと言うわけだ。

 見逃した中級竜が一匹でも住宅密集地に飛び込むだけで、王都はパニックを起こす。

 人命の為、お金の為、王国が誇る屠龍騎士団は人材の確保に余念がないのだ。

 そんなわけで、学校と屯所の行き来は割と楽である。


「補佐官、烏丸補佐官?」


 名前を呼ばれた事務室の主は、緩慢な動きでハルに視線を移した。


「おお、来たか」


 安物の整髪料で固めたバーコードヘアがてかてかと光る。

 制服はよれよれだが、正規の屠龍騎士団の物で、竜騎士に憧れていた時代の自分が見たら怒り出したのではないかと思う。


「またあのお嬢さんのところで研究か? 事務官として雇ってあげるから、あんな小娘じゃなく吾輩を敬いなさい吾輩を」


 小役人臭溢れる台詞を吐きながら、えっへんと胸を張るこの男性の名は、烏丸惣吉からすまそうきち。これでも団長補佐と言う肩書を持つ幹部である。

 不遜な物言いも、特に腹は立たない。言葉に邪気が無いのと、何だかんだでシルヴィアに好感を持っているのが言葉の端から伝わってくるからだ。


「はいはい、今日の仕事はこれだけですか?」


 烏丸は、頷いてもう一度欠伸をすると、「じゃ、吾輩は飲みに行ってくるから!」と席を立つ。


「またですか? 最近多いですよ?」

「吾輩人気者だから、若者がほっとかんのよ。いつも仕事任せちゃってスマンね。だが吾輩謝らんよ? その仕事を完遂して、必ず任務を果たしてくれると信じとるからね」


 ひらひらと手を振って、補佐官は事務室を出て行く。

 ハルは「いや、『スマンね』って謝ってるじゃないですか」と苦笑すると、書類の山に視線を落とした。


 騎士団の事務補助募集に受かったのは我ながら僥倖だったと思う。

 実はあのちゃらんぽらんな補佐官が「人気者」と言うのは嘘ではない。

 上級騎士の認識では、団長相手にごりごりゴマを擦って、補佐官の肩書に縋りつく「ああはなりたくない」存在で、都合の良い便利屋でしかない。彼は安請け合いした面倒ごとを下級騎士を拝み倒して手伝ってもらい、成果として上納する。


 これだけならただの嫌な奴だが、烏丸はどんな小さな仕事でも手伝ってもらった騎士を飲みに誘い、盛大に奢ってやる。実家に仕送りしていて余裕の無い見習いなどはこれが嬉しいので、いつも烏丸の頼みごとを待っている。

 その翌日に彼らの上官を捕まえて「新人の〇〇は目端が利いて優秀ですな。この間も……」と具体的な例を挙げてにわっしょいする。多くの幹部は無視するが、「それなら試しに仕事を任せてみようか。駄目で元々だし」と考える者も少なからず居るし、若手の人事について相談に来る者もごく少数だが存在する。

 抜擢されたものがその経緯を周囲に伝え、若手の人材が「何か手伝う事はありませんか?」と寄ってくる。


 本当に天然でやっているのか訝しんだが、3か月働いて、意図してやっていると確信した。

 ハルに回される書類は日に日に増えているが、処理できない量だったことは無い。そして、彼の権限で処理できない様な書類は1枚たりとも紛れ込んで居ないのだ。

 補佐官は、自分の成長に合わせて、回す書類を調節しているのだと確信した。

 意識してみると、彼は目敏い。ハルが金欠の時は食事に誘ってそっと金を出し、悩みがあると、回りくどい自慢話のオブラートに包んで、遠回しなヒントを伝えてくる。


 この人は、周りをよく見ている。


 一度「何故もっと発言力を増すなり、上手く立ち回るなりされないんです?」と真顔で聞いたことがある。烏丸はけけけと笑って、「だって面倒くさいんだもの」と答えた。

 あの時やれやれと肩を竦めたハルは、クリエンテスになってお金に困らなくなっても、この仕事をずっと続けている。


「……補佐官。一番面倒くさいのは貴方だと思います」


 一言呟いて、インクの瓶にペンをつけた。

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